八百四 朝日新聞一月十五日の「社説余滴」が駄文の理由を解説
平成二十八年丙申
一月十九日(火)
素人より下手な駄文の見本
社会破壊拝米新自由主義反日新聞(自称朝日新聞)の一月十五日の「社説余滴」に、素人でも書かない駄文が載つた。以下で駄文の理由を説明したい。
一月二十日(水)
燃料費と人件費を混同
それでは文章を見よう。
東日本大震災の直後から電力自由化を担当してきたなかで、少しだけど自分なりにこだわってきたことがある。
「なぜ自由化なのか?」という問いに対して、「電気料金が安くなる」とは書かないようにしたことだ。
電気料金は、大きく燃料費、人件費、設備費、利益から構成される。今まで競争がなかつたからこのうちの人件費と利益が増大した。それを純民間並みにするには競争原理を導入するのが一番良い。そんな判り切つたことなのに、電気料金が安くなると書かないことにこだわったといふ。つまり、燃料費、人件費などに大別されることを知らなかつたからだ。
それにしても文章の最後に経済社説担当と担当内容まで付けてある。経済が担当で、この内容はおそまつだ。
一月二十一日(木)
「値上げの抑制」と「安くなること」を混同
年末あたりからテレビCMなども盛んに流れるようになった。「〇〇電力よりも〇%安くします」といったコピーや、ガスや携帯とセットで契約すると割引になる、といった文言が躍る。
もちろん、電気料金が安くなるに越したことはない。競争環境が整えば、安易な値上げを抑制する自律的な仕組みも働くようになるだろう。
電力会社は競争がないから価格が高止まりになつた。だから下がるのが常識だ。これには前例がある。かつて電話はNTTの独占だつた。第2電電や日本テレコムが出来てから遠距離通話が劇的に安くなつた。東京電話ができてから市内通話も安くなつた。
国民の期待はこれと同じ現象だ。ところが「社説余滴」は安易な値上げを抑制と矮小化した。捏造記事を誤報と呼ぶのと同じ発想だ。
一月二十六日(火)
大企業でも努力するところは応援
私は、大企業は駄目で、中小はよい、といふ立場は取らない。大企業でも新規ビジネスに熱心な企業もあるし、中小でも駄目なところはたくさんある。だから共産党の独占資本は悪、民族資本は良といふ立場は魅力的ではあるが、それとは異なる。
かつて電話がNTTの独占だつた時代に、私は日本テレコムと契約した。二か所の登録した市外局番は料金が安くなるといふ制度があり、それほど使ふ訳ではなかつたが、応援する意味で私と妻の実家を登録し、月に何回か利用した。
その後、アダプターを電話機の前に付けるようになつた。当時は、普通に電話を掛けるとNTT、先頭に00xxを付けると新電電につながるといふ不公平な競争なのでそのアダプターだつた。
日本テレコムは公衆電話にも進出した。クレジットカードを通すと国内通話ができる。海外によくある形式だ。成田空港の確か第二ターミナルにあつたので、第一ターミナルが出発の場合も連絡バスで第二まで行き、今から出国するからと家に電話を掛けた。或いは北海道に旅行したとき、函館駅にあつたのでここからも掛けた。
東京電力が東京電話といふ事業を始めた。それまでの新電電は市外通話を安くするものだつたが、これは市内通話を安くする画期的なものだつた。我が家も東京電話に乗り換へた。
一月二十九日(金)
虚偽と偽善と怠慢、朝日新聞社の堕落を示す
二十一日の「自律的な仕組みも働くようになるだろう。」の続きは
とは言っても、料金を決める要素はほかにもある。電気料金原価の半分前後は燃料代だ。原油・ガス市場や為替の影響を受ける。
そのため燃料費調整制度がある。そのことを知らないか忘れたか、或いは知つてゐても誤魔化せると思つたのか。実に悪質だ。悪質と云へば
欧州など自由化が先行した地域では事業者の淘汰が進んで寡占が強まり、電気料金が上昇するといった時期もあった。競争は重要だけれど、万能ではない。
「電気料金が上昇するといった時期もあった」といふことは、上昇しない時期が大部分で、上昇するのは例外だといふことがよく読めば判る。普通に読むと、下がることも上がることもあるのか、と思つてしまふ。続く「競争は重要だけれど、万能ではない」もよく読めば、競争は不十分だといふことが判るが、この文章を書いた人は、競争は駄目だと読者に思はせる目的で書いた。もつと判り易くいふと、(1)無競争、(2)不十分な競争、(3)十分な競争、の三種があり(2)では駄目だから(3)になるようすべきだといふのが正解だが、普通に読むと(3)は駄目だと思つてしまふ。
大手新聞社は競争がないから、とにかく競争を悪者にしようとする。世間全体が無競争で電力業界にだけ競争を持ち込まうとしてゐるなら、かういふ意見があつてもよい。実際は多くの業界に競争があつて、電力と大手新聞社にはこれまでなかつた。だつたら競争すべきだ。こんな怠慢な主張がなぜ出て来るかと云へば
正直に言えば、「選択」は面倒でもある。
そんなに面倒なら、駄文記事も面倒だらう。売文業界に勤務するのも面倒だらう。如何に大手新聞社が堕落したかを示す記事だつた。(完)
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