七百八十二 築地本願寺、養老孟司氏の講演

平成二十七乙未
十二月十四日(月) 出席するか迷つたが、参加することにした
一昨日は築地本願寺で仏教文化講座があり、養老孟司氏が講演された。もともと仏教文化講座への出席は今回を最後にしようと考へてゐた。しかし私は養老孟司氏の本は読んだことがない。出席は止めようと気が変はつたが、それを押し戻したのは「現代における仏教」といふ題だつた。香山リカの内容のない講演を聴いた後遺症が残る。講演会を聴きに行かうとすると、時間の無駄だから止めようかといふ気持ちが涌いて来る。
会場は満席になつた。今までにないことだ。養老孟司氏の知名度は高い。「まだ左右に席の空いたところがあります」と場内放送があつた。

十二月十九日(土) 養老孟司氏の講演
講演の良し悪しは、内容量が時間に合ふかで判断するのが一番良い。その基準を当てはめると養老氏の講演は良かつた。時間に合つた内容量とは
以上の内容だつた。「諸行無常の響きありと書いてあるが700年経つても文章は変はらない」「ニュースはさすがのNHKも明日の分はやらない」「私なんか十一回入れ替はつた」など話も面白かつた。講演のとき一つの主題についてその関連情報を含めて話す方法が普通で、主題がいくつかる場合もある。養老氏の場合は、細かい情報が多数あり、それぞれは関連付けられてはゐないので、かういふ話し方もあると感心した。関連付けられてゐない情報を聴者に気付かせず次々に引き継ぐ話術はみごとだつた。強いて主題を一つ見つけると、情報はデジタル化できて、人間は情報ではなかつたが現在は情報になつたといふことだらう。講演が終つた直後にさう感じた。今は一つの主題ではなく、話された情報量全体が主題だと思ふようになつた。(完)


仏教(八十八)次、仏教(九十)

メニューへ戻る 前へ 次へ