七百四十二 村山富市の抗日戦勝軍事パレード出席(病気で未遂)は筋が通らない(中国のパレード挙行はまだ理解できる)
平成二十七乙未
九月五日(土)
世界の恥さらし村山富市
村山富市が中国の抗日戦勝軍事パレードに出席しようと訪中したことは筋が通らない。まづ元首相が抗日戦勝を名乗る催しには絶対に参加してはいけない。日本の国会は村山の元首相の呼称を禁止する法律を採択してもよいくらいだ。二番目にかつて社会党委員長を務めた者が、日本社会党と中国共産党が労働者として国際交流した歴史に泥を塗つた。
九月六日(日)
中国の抗日戦勝軍事パレードは筋が通らないが、中国国内の事情として理解はできる
中国の抗日戦勝軍事パレードは変である。まづその後の国共内戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争を無視するからだ。
二つ目に中国共産党の党是からすれば日華事変とその後の戦争は帝国主義勢力同士の醜い争ひである。国民党は中国国内の各軍閥や共産党や汪兆名の国民党左派と内戦、弾圧、暗殺を繰り返した。日本は日露戦争で得た特殊権益の延長を21か条で認めさせた。両者が衝突するようになると国民党はイギリスと組み、日華の争ひはつまりは帝国主義同士の争ひである。(ここで日中とは日本と中共、日華とは日本と国府を意味することは昭和五十年辺りまでは常識だつた)
三つ目に共産主義は、国家を超え労働者階級として世界が連帯しなければいけない。普仏戦争や第一次世界大戦が起こると、各国の労働者は政府を支持するようになつてしまふが、それは理由があり、また昭和五十(1975)年以降は別の理由も生じた。
以上三つの理由で中国共産党の抗日戦勝軍事パレードは間違つてゐるが、国内事情として理解することはできる。まづ国民党との和解を目指すから抗日で共通項を見つけたいといふ思ひがある。二つ目にアヘン戦争以来、西洋列強に虫食ひ状態にされたとはいへ、その後一番大きく侵略したのは日本である。だから中国が抗日戦勝軍事パレードを開催したことは中国の国内事情だといふことで、日本は静観すれば済む問題である。
九月七日(月)
村山富市三つの大罪
ところが村山富市といふ偽善男がのこのことパレードに出掛けた。しかし悪いことはできない。北京で急病になりパレードを欠席した。村山はこれ以外にも過去に二つの大罪を犯した。
一つ目は日本社会党を消滅させた。社会党は昭和二十年に結成された。左右分裂と再統一、民社党の分裂はあつたものの平成六(1994)年までは一貫性を保つた。ところが自民社会連立政権といふ当時の状況(自民党の長期政権を終了させて1年後)では絶対にやつてはいけないことをやつてしまつた。自民党が首相の座を少数派の社会党に譲り、名誉欲のかたまりの村山がそれに乗つた。そして消費税を3%から5%に上げることを閣議決定し、村山退陣後の平成八(1996)年に社会党は消滅した(新たに結党された社民党は今でこそ後継政党を装ふがこのとき第一回大会を開催し社会党との断絶を強調した)。
二つ目は菅と野田が嘘つき消費増税を行はうとして大変な騒ぎの最中に、村山といふ男は消費税を5%に上げたのは正しかつたと発言した。これから8%、更には10%に上げるかどうかの最中にこの発言である。村山は絶対に許すことのできない悪徳政治屋である。
九月九日(水)
資本主義こそ諸悪の根源といふのが、世界の共産党と日本社会党の主張だつた
世界の共産党にとり資本主義こそ諸悪の根源だつた。それは日本社会党も同じで、伝統社会での労働者政権(西尾派)、アジア型共産主義(鈴木派)、ソ連型共産主義(社会主義協会)といふ違ひはあつても反米独立、社会主義では共通だつた。西尾派の民社党として独立、鈴木派から分離した江田派の西欧化、社会主義協会の強権化と弱体化などがあつたものの、村山が委員長になつたときまで一貫してゐた。
なぜ資本主義に反対しなければならないかは、マルクスの時代は悲惨な労働者の生活と政府の弾圧、戦前戦中は帝国主義戦争、戦後しばらくは植民地主義、今は地球温暖化である。つまり今でも地球温暖化を防止するため資本主義には反対しなくてはいけない。ところがリベラルと称する奇妙な連中は反対しない。村山もその一人である。
九月十日(木)
米英仏と日独伊は、どちらも帝国主義
米英仏と日独伊は、どちらも帝国主義である。日独伊は軍国主義、米英仏は平和主義といふことは絶対にない。だからソ連は最初ドイツと組んだ。日本は独ソと同盟するつもりだつた。ところがドイツは突然ソ連と戦争を始めた。戦後、ドイツはヒトラーに騙された被害者といふ方法で敗戦を乗り越えた。日本もヒトラーに騙されたと主張したほうがいい。一方で日独防共協定は何だつたのか。歴史学者による日独ソ同盟への期待と日独防共協定の考察が望まれる。
九月十二日(土)
伝統主義、自由主義、社会主義は直線ではなく三角
昭和五十年代に伝統主義と自由主義と社会主義の関係は直線になつてしまつた。さうなると社会主義の政党で自分の議席だけを気にする連中はどんどん資本主義にすり寄つてしまふ。以上は日本での話である。中国では文化大革命の失敗、ソ連の崩壊により三つの関係が同じく直線になつてしまつた。しかも党幹部の子供のなかでアメリカに留学する人が続出する。そしてついに帝国主義の一方が勝利した日を戦勝日としてしまつた。
しかし数日前に述べたように中国には中国の国内事情があるといふことで、日本は戦勝パレードを静観すればよかつたのに、村山が行つてしまつた。
九月十四日(月)
労働者の国際連帯
共産党宣言にあるように、共産党と他の社会主義政党の違ひは労働者の国際連帯をするのかどうかである。しかし普仏戦争や第一次世界大戦のときに多くが政府支持になつてしまつた。これは好意的に考へれば共産主義者は少数派のため周囲の大多数の政府支持に押し流されたことが原因と考へられる。昭和五十年代にアジアの共産主義は頭打ちになり以降は下降線をたどつた。一つはポルポトの大虐殺であり、二つには中越戦争である。これらの原因は毛沢東の文化大革命にあり、文化大革命が失敗したときこれは単なる権力闘争であることも明らかになつた。更に時代を遡るとスターリンの粛清も権力闘争だしボリシェヴィキによる他派弾圧も権力闘争である。
マルクスの時代はそれまでの社会規範が崩壊し宗教も消滅するだらうから、それに代はる唯物論的弁証法といふ社会規範を作つた。すべての人類活動の根源は労働だと規定することで、搾取つまり権力闘争を無くす。なぜ搾取を無くせば権力闘争が無くなるかは誰もが搾取される側より搾取する側に回りたいからだ。労働とは空気中の二酸化炭素の動きから考へると判りやすい。農作物を育て、それを食べたエネルギーで物を作り流通させ文化活動を行ふ。化石燃料の消費によるエネルギーの使用は未来の全生物の生存権への搾取だから中止する。次にマルクスのいふように労働は循環させる。国家主席は来期は農民になるし、首相は工場労働者になる。人類活動の根源は労働なのだからこれが普通である。これで権力闘争はなくなる。
現在の共産主義各国がさうなつてゐないのは資本主義国がたくさんあるためと好意的に考へることができる。しかし共産主義各国は世界に共産主義を広める努力をしてゐるのか。村山はマルクス主義者を自称するのだからそこまで考へないといけない。
九月十六日(水)
伝統との相違
昭和三十年代、四十年代に革新勢力と呼ばれた社会党、共産党に人気があつたのは、先祖伝来の生活との乖離に対する反発と捉へることができる。しかし昭和四十九年辺りから日本の貿易黒字が国際問題になり、このころから近代化の反発より経済の利益のほうが大きくなつた。しかしそれは地球温暖化と引き換へである。
マルクスの時代もそれまでの生活が破壊され、労働者の生活は悲惨なものだつた。だからといつて昔の時代には戻れないからその対策を考へた。ここで大切なことは、(1)従来の生活との乖離で生活が悲惨になり、(2)元には戻れないといふ点である。二つが揃ふ必要がある。
米ソの冷戦が終結すると左翼崩れと云ふ奇妙な連中が現れた。社会破壊反日拝米者である。左翼崩れ自体は新自由主義ではないが社会を破壊し反日拝米を貫けば新自由主義に至る。その典型が朝日新聞でありシロアリ民主党であり村山富市である。
九月十七日(木)
労働価値説
人間を自由にしておくと欲望と利己心で大変なことになる。そこで人類は宗教を考へたがマルクスの時代にはこのまま消滅するのかと思はれた。そこで宗教に代へてそれまでの労働価値説を発展させた。労働価値説に従へば権力闘争も戦争もなくなる。マルクスはさう考へたがレーニン、スターリン、毛沢東は権力闘争に走つた。
消滅するはずの宗教は消滅しなかつた。だから宗教を尊重して人心を安定させようといふのが私の主張だが、重要なのは宗教を含む社会の文化である。戦後の民族解放戦線ではスターリン、毛沢東は少数民族を重視したし、ホーチミン、金日成は自国文化を重視したことで、共産主義は唯物論を克服した。弁証法的唯物論と単純唯物論は異質といふ立場である。しかし彼らは労働価値説に従はず仕事のローテーションをしないから権力闘争になつた。
それらを考へず、単にのこのこ中国に出掛けたのが自称マルクス主義者の村山である。
九月十八日(金)
国の消滅
日本の左翼崩れが陥りやすいのが反日である。マルクスの時代には国は労働者を弾圧し戦争の原因だから、労働価値説により国が消滅するとしたことは意義があつた。ここで国は機能がなくなり眠るように消滅するのであつて消滅させるのではない。労働者を弾圧する機能と戦争をする機能を消滅させることで国は従来の国ではなくなる。しかし調整機能は残るし歴史の連続性としての国は残る。
次にこれば重要なことだが、ドイツ語と英語は方言どうし、或いは英語は方言の文法の崩れたもので、その場合でも実際の話者にとり遠い方言程度である。ドイツ語とフランス語は構造が同じでドイツ語はラテン語やフランス語からの借用語が専門語に多い。英語はノルマン人の占領のときにフランス語からの借用語が極めて多く、単語の比率では英語の語源はフランス語といつてもよいくらいである。つまりマルクスの母国語、亡命先の言語はすべて親戚関係だつた。だからマルクスはインドヨーロッパ語族以外への配慮が無かつた。そして当時の科学の発達と輸出入の増大で世界は一つの言語に統一されても何の問題もないと考へた。そもそも労働者の悲惨な生活を考へれば食べることに精一杯で言語のことまで考へなかつた。
この問題はロシア革命以降の民族独立と反帝国主義で共産主義は克服した筈だつた。ところが日本ではソ連崩壊ののちに、拝米拝西洋の馬脚を表して反日に至るといふとんでもない連中が現れた。村山富市もその一人である。(完)
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