七百二十六、原理主義が有害な理由(拝西洋原理主義のリベラルを撲滅しよう)

平成二十七乙未
七月十九日(日) 原理主義
原理主義といふと、XX教を指すこともあるがイスラム過激派を指すことが多い。そして原理主義の意味は経典を文字どおりに解釈することだとしてゐる。しかし定義としては今までの歴史を無視して経典を解釈するとしたほうがよい。さうすることにより世の中にはびこる多くの不都合な主張を当てはめることができる。しかも原理主義者と周囲の双方にとり好ましい改善法を見つけることもできる。
経典や教祖の時代から今に至るまでの変化には、世の中に合はせる知恵と、堕落によるものがある。後者は戻さなくてはならない。前者は経典や教祖の時代に戻してはいけない。戻すとすれば一つ前である。

七月二十日(月) 日本史上最悪の原理主義
日本の歴史上で最悪の原理主義は神仏分離である。仏教が日本に入つたあと、曽我氏と物部氏の争ひに始まり、聖徳太子から鑑真の来日、伝教と弘法の留学、鎌倉仏教と長い年月を掛けて集合してきた神仏を、明治維新後の数年で分離させてしまつた。日本の歴史のほとんどを占める膨大な時間の膨大な人たちの努力に気付かなかつた明治政府の高官どもには呆れるばかりである。と云ひたいが仏教の側に責任がある。
日本は長い間、神仏集合がより前の時代より進んだ。判りやすく云へば日本の歴史は仏が神を統合する歴史であつた。ところが江戸時代の初期にその流れは止まり、あとは神が仏から離れる歴史だつた。幕府の寺請け制度が仏教を魅力のないものにしてしまつた。
そのような歴史があるのだから、寺請け制度の前まで戻せばよかつた。ところが明治政府は曽我氏と物部氏の前まで戻してしまつた。

七月二十一日(火) 共産主義の原理主義
マルクスの思想は、当時の人々からは実現不能なユートピアと思はれた。そのマルクスが世界で注目されたのは偏にロシア革命だつた。しかしこれは皇帝退位と第一次世界大戦の敗戦続きといふ混乱のなかで起きたもので、前例や模範にしてはいけない。だからその後は他の社会主義各派への弾圧となつて現れた。それなのにアジアでは人気が高かつたのは西洋帝国主義による植民地化が原因だつた。孫文もホーチミンもソ連に頼つた。
日本も事情は同じで、戦後は昭和五十年代前半あたりまで革新勢力の人気が高かつたのは、ベトナム戦争が昭和五十年まで続いたといふ事情とともに、反西洋文明といふ土台の上に立つ反資本主義の感情であつた。私が今でも革新勢力を支持する場合の革新勢力とはこのときの社会党、共産党のことである。日本で共産主義者がマルクスを学ぶとすれば同じくこのときの日本社会党や日本共産党の見解である。間違つても西洋の社民政党を学んではいけない。同じくマルクスの時代まで遡つてもいけない。マルクスの時代にはパリコンミューンの壊滅など残忍性が入り込んでゐるからである。

七月二十三日(木) リベラルとは唯物論のことだ
マルクスの弁証法的唯物論は、当時の崩壊しつつあつた宗教と道徳規範に代はるものとして、一回は試す価値があつた。しかしレーニンとスターリンの失敗でもはや取り入れてはいけないことが明らかになつた。或いはレーニンやスターリンのやつたことは単純唯物論であり弁証法的唯物論ではないといふ見かたはできる。できるが共産党の要職や政府の高官を含めて仕事のローテーションを行はなければ弁証法的唯物論は完結しないのに、行ふ国が一つもない。
その弁証法的唯物論より更に悪い単純唯物論を掲げるのがリベラルと称する連中である。鳩山派と小沢派が抜けた今となつてはシロアリ民主党全体は単純唯物論である。それだけではなく自民党の拝米勢力はリベラルであり唯物論である。悪魔の思想を掲げる連中は撲滅しよう。

七月二十五日(土) 民主主義の原理主義
日本の政治形態は民主主義である。それなのに更に民主主義を唱へる人がゐるとすれば悪性の発言者である。江戸時代に唱へるなら偉い。東條内閣のときに唱へても偉い。戦後に唱へることは別の意図がある。一つは拝米である。露骨にアメリカをありがたがることはさすがに気が引けるらしい。だから民主主義をまづ賞賛し、次にアメリカは民主主義だと叫ぶ。アメリカに白人が上陸したときに多数派の原住民に従つたか。そんなことはない。ライフル銃で撃ち殺した。それは西部劇を見れば明らかである。二番目にアメリカは世界の人口比では極めて少数である。それなのに軍事力と経済力で非先進国に自分たちのやり方を押し付ける。これほど反民主主義なことはない。
二つは多数決だから偉くも何でもない。戦国時代は兵力の多いほうが原則として勝つた。戦略、士気など別の理由で勝こともあるが、それは偏向マスコミ(日本の場合は全国紙はすべて偏向してゐるから本来はマスコミと書けば意味が通じるが)のせいで世論とは別のところに行きつく現在と同じである。例へば先の消費税増税騒ぎである。あの前にまづマスコミによる鳩山降ろし、小沢降ろしがあつた。菅が首相になり突然消費税増税を言ひ出すやマスコミは一斉に財政危機を煽つた。民主主義を叫ぶ連中の民主主義とは多数決のことだから、それは戦国時代と変らず偉くも何でもない。
三つは草の根民主主義を破壊する。民主主義だからといつて何でも多数決を取ればよいものではない。私が会議をまとめるときは全体の意見を聞き、それではこの線でどうですか、と全員が納得するところでまとめる。多数決を取ることはほとんどない。これが日本で最も合つた多数決の方法である。ところが消費税増税騒ぎの時に菅だか野田だかは、51%を取つたほうが民主主義だと叫んだ。

七月二十六日(日) 西洋猿真似原理主義
西洋から自然に入つたものが長い年月を掛けて日本に溶け込む。これが正常である。だから戦後は異常である。それでも昭和五十五年辺りまでは米ソ冷戦の影響でどちらに付くのかといふ酌量の余地があつた。その後は共産側に入る可能性がなくなつたにも係はらず拝米工作を続けたため大変なことになつた。しかしこのことに気付いた人は少ない。私も船橋洋一(後に拝米反日新聞主筆)の英語公用語論と小渕敬三首相私的懇談会の英語第二公用語論が出るまで気付かなかつた。
西洋猿真似は、長い年月を掛けて日本に溶け込んだものとは異なり歴史がないから原理主義である。(完)


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