七百十九、政党老い易く学成り難し、結党時の精神軽んずべからず(自民党は自主憲法、革新勢力は社会主義、公明党は国立戒壇を目指せ)

平成二十七乙未
七月三日(金) 真意は日本の独立
私のホームページがこれまで主張した中で名言と云はれるものがあるとすればまづ「米帝国主義は人類と全生物の敵である」であらう。これは日本社会党の故佐々木委員長の「米帝国主義は人類の敵である」を地球温暖化時代に適応させたものである。或いは「アメリカ合州国解体論」だらうか。これも地球温暖化を防ぐために将来必ず出てくる話である。何もアメリカの領土を割譲させようとするものではない。住民は13州に住み、残りはアメリカの領土を維持した上で先住民と野生生物の保護区にするものだから極めて穏健である。「昔総評、今米軍」といふものもある。これは「昔陸軍、今総評」をもじつたものだが昭和五十年代までの総評は毎年春になると国鉄も私鉄もバスも工場も止めてそれだけの力があつた。
あと一つ「自民党は自主憲法、革新勢力は社会主義、公明党は国立戒壇を目指せ」といふものがある。このうち一番引つかかるのが国立戒壇であらう。この発言の真意はすべての政党が日本の独立を目指せといふものである。

七月五日(日) 国立戒壇
創価学会は、昭和四十五年に国立戒壇を放棄した。そのこと自体は何の問題もない。戒壇は民衆立で行くとした。そのことも何の問題もない。国立戒壇でも信教の自由は保障した上で、非信徒にはその分の税金を還付すれば、国立でも民衆立でも差はないからだ。
ここで重要なのは布教を続けるのかどうかだ。日蓮の時代は飢饉疫病や蒙古の襲来などが続き、その対策として日蓮は法華経を軽視するばかりか他宗派が広まつてゐることが不幸の原因であるとした。だとすれば日本中に法華経を広めるしかないからだ。今は飢饉疫病や外国軍の襲来があるか。ないのだから他宗教と共存し、しかし宗教の活性化を図るべきではないのか。
どの宗派でも世襲の弊害は大きく、それは創価学会や公明党国会議員が十七年前まで所属してゐた日蓮正宗も同じで、末寺住職の任命権は宗務院が掌握するからその点では他宗とはまだ違ふとは云へ、宗務院の任命が代々坊主(親が僧侶)なかでも有力一族の息子に偏つて、発心坊主(在家出身)は冷遇されるといふ記事を創価新報(創価学会が聖教新聞とは別に日蓮正宗攻撃用に発行し、今は青年部機関紙の性格が強くなつた)で読んだことがある。
公明党は国立戒壇を昭和四十五年に放棄したのだから国立戒壇は目指さなくてよい。代はりに宗教全体の活性化に尽力すべきだ。具体的には墓地は共有にする。これで僧侶は旧檀徒と従来どおり関係を持つため布教に力を入れるようになるし、それに刺激されて新興宗教や外来宗教も活性化する。それで過労死や非正規雇用や地球温暖化を防ぐ。公明党の目指すべき道はこれである。

七月六日(月) 革新勢力
かつて革新勢力といふ言葉があつた。社会党と共産党と総評のことで、民社党を含める場合もあつた。総評の第二回大会は冒頭から
講和を前にして今や日本は民族の完全独立と平和をかち取るべき重大な段階に到達した。/この時に当りわれわれ労働階級の結集体たる日本労働組合総評議会は輝ける第二回全国大会を開き(以下略)

昭和五十年代前半まで、社会主義陣営は欧米植民地からの民族独立を第一義に掲げたため、社会主義とは民族独立のことだつた。そして民族独立とは西洋文明からの独立である。
中国の文化大革命の失敗や、カンボジアのポルポト派による大虐殺があつたため、それまでの革新勢力は西洋文明になびいてしまつた。自由だの民主主義だのを叫ぶ左翼崩れの誕生である。江戸時代や東條英機の時代に自由や民主主義を叫ぶのは偉い。今叫んでも何の意味もない。革新勢力は社会主義を目指せといふことは、西洋文明に従属することを止めろといふ意味である。

七月十四日(火) ゴミ憲法の改正を
国立戒壇と社会主義が遠のいた今、一番実現可能なのは人類史上最も残虐な戦争犯罪人、トルーマンとマッカーサの押し付けたゴミ憲法の改正である。ホーチミンは「国の独立ほど尊いものはない」と語つた。今こそゴミ憲法を改正し国の独立を果たすべきだ。(完)


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