六百六十九、1.右翼と左翼は民主主義を賞賛してはいけないが従はなくてはいけない、2.今の世で民主主義を叫ぶ人間は腹が黒い

平成二十七乙未
二月十九日(木) 左翼崩れ批判
戦後アメリカが押し付けた憲法は日本が自発的に作つたものではない。だからその民主主義は日本に合つたものではない。その結果、ニセ労組シロアリ連合やシロアリ民主党のような醜い連中が出現した。昭和三十年代から六十年代にかけては右翼も左翼もそのことを判つてゐた。だから左翼、特に全共闘は安保反対闘争や安田講堂占拠を行つたし、右翼は三島由紀夫が自衛隊で切腹した。
ところが右翼はともかく左翼は村山富市以降左翼崩れに堕してしまつた。戦後の民主主義をありがたがる連中である。もし戦後の民主主義がありがたいのなら安保反対闘争や安田講堂占拠事件が起きるはずがない。左翼は民主主義を賞賛してはいけない。しかし民主主義に従はなくてはいけない。

二月二十日(金) 「民主主義に従ふ」とは
民主主義に従ふとは今の選挙制度で政権を取り、そして選挙制度を変へることである。改めなくてはいけない理由は政治家は自分の生活を犠牲にして世の中のために働かなくてはいけないのに、今はさうなつてゐない。シロアリ民主党の菅直人が典型だが上昇志向しか中身がない。或いは野田や前原が典型だがアメリカの猿真似しか中身がない。
世の中が騒々しい時代にはストやデモで世の中を変へることもできた。アメリカ大統領の来日を阻止したし、砂川基地闘争も勝利した。成田空港の開港も遅らせた。しかし今は時代が異なる。まづは選挙で多数になり次に選挙を変へるべきだ。

二月二十一日(土) 「賞賛してはいけない」とは
民主主義の欠点は少数を切り捨てることである。しかしこれでは戦国時代と変らない。戦の勝敗は兵士の数でほぼ決まる。例外として用兵や戦意がある。これは民主主義でもカネのあるほうが有利だつたり偏向マスコミの国民への洗脳と同じである。つまり民主主義とは戦国時代のやり方といふことで近代的でも何でもない。だから民主主義の行き着く先がナチスによるユダヤ人虐殺であり、イスラエルによるパレスチナ人追放である。
そればかりではない。アメリカ大陸に上陸した西洋野蛮人たちは少数の時は武力を用ひ、人数が多くなると民主主義を主張する。またアメリカ人は世界では極めて少数派なのに軍事力と経済力を背景に世界で極めて過大な発言力を持つ。西洋野蛮人のいふ民主主義はまやかしである。

三月二日(月) 「今の世で民主主義を叫ぶ」とは
徳川時代に民主主義を叫ぶのは偉い。東條英機が首相のときに叫ぶのも偉い。今の世で民主主義を叫ぶには何か下心がある。何しろ大雨の日に雨乞ひをするようなものなのだから。
一つは反日西洋猿真似である。西洋の猿真似をすることが進歩的だと考へ周囲を見下す。反日社会破壊拝米新自由主義新聞(自称朝日新聞)とシロアリ民主党が典型である。
二つには既得権維持である。民主主義を叫べば既得権を維持できる。自民党長期政権だし、シロアリ化する前の民主党鳩山政権のようなものはマスコミと官僚が一体となつて潰す。民主主義とは菅直人以降、現状維持の代名詞になつてしまつた。

三月十四日(月) 「腹が黒い」とは
もし高額所得者だけが集まつて議会を開いたらどうなるだらうか。大変な世の中になつてしまふことは誰でも想像がつく。実は今の日本がこの状態である。議員は高額所得者である。そればかりか公設秘書が3人と通信費など多額の費用も支出される。社会党が駄目になつたのも議員でゐたい連中のゴミ溜めと化したからだ。
国内の政治を考へるなら議員の給料は国民の平均所得でよいし、或いは生活保護の金額でもよいし、最低賃金でもよい。そんなことは少し考へると判るのに西洋の猿真似ばかりするから気がつかない。腹が黒いとは西洋猿真似の別名である。国民と社会のことを考へないのだから。(完)


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