六百六十七、「建国記念の日」奉祝行事に参加

平成二十七乙未
二月十二日(木) 本日の行事
昨日インターネットを見てゐて「建国記念の日」の奉祝行事のあることを知つた。パレードが10時から12時半まで表参道、1時から奉祝中央式典が明治神宮会館である。どちらも参加の予定で家を出た。主催は「日本の建国を祝う会」で事務局は神社本庁にある。表参道には神輿が多数待機する。昨年のホームページは外苑並木通りが出発だが今年は交通整理の関係で短くなつたのだらう。さう思ひ表参道の本部宣伝カーの近くにゐたところ、すぐ横で神事が始まつた。私も周囲の見物者と同じく低頭をしたり拍手を叩いた。図らずも主催者、各団体の長のすぐ横で参列することになつた。
神事の向かう側に待機する幼稚園児の鼓笛隊を先頭に列は進み、各大学の吹奏楽隊のときは本部宣伝カーで主宰者の挨拶、自民党の国会議員、都議会議員、区会議員の挨拶があつたのでこれを聴き、いよいよ神輿が出発した。全ての神輿を見送つた後に明治神宮に向ひ、明治神宮では神輿の前で旗を持つ役員四人を追ひ越しここで各神輿を見た。次に本宮前で各神輿が挨拶するのを最後まで見届け、神事のあと解散まで参加した。
このあと奉祝中央式典に向かはうとすると一時四十五分を回つてゐた。なるほどパレードは明治神宮の入口まででその時点で12時半、境内の神事は含まれなかつた。といふことで今年はパレードのみ見物客として参加した。
今朝、ホームページを見るとパレードは外苑並木通り発とある。なるほど大学の吹奏楽部だけ外苑を出発し、神輿は交通の妨害にならないよう表参道だけだつた。しかしこれでよかつた。神輿は昔からあるが吹奏楽と西洋音楽は明治維新以降である。昔からある神輿だけを見ることができた。

二月十四日(土) それぞれ特徴のある神輿
神輿は万歳会が多かつた。神輿自体は地元の愛好団体のもので、各神輿の参加者は当該愛好団体の会員が5%、それ以外が95%といふ印象を受けた。これはよいことである。特定の団体の神輿と構成員が参加するようだと多様性が廃れて偏狭になるだらう。これでは西洋かぶれ拝米新自由主義反日(自称朝日)新聞やそれを新聞失格まで貶めたニセ新聞と変はらない。
私が感心したのは明治神宮の神前奉納の後の、神事、役員挨拶などのあと、誠寿万歳(「天皇陛下万歳」を皆で唱へる)のときに私の隣にゐた人が万歳をしなかつた。終はつた後でその人をさりげなく見ると足袋を履き法被を着てゐる。つまり典型的な神輿好きである。それでも万歳三唱の時は皆がする中で静かにする。その行為は尊い。ちなみに私は万歳三唱に参加した。女系天皇反対国民集会に始まり、明治節の祝ひなど私も何回か万歳三唱に参加したからまつたく気にならない。そもそも日本社会党(かつての日本最大野党で、革新系の各都道府県知事や大都市市長を誕生させる主力だつた)の結成大会では浅沼稲次郎の発声で「天皇陛下万歳」を三唱した。私はこの歴史的事実に合せて参加することにしてゐる。

二月十六日(月) 外国人にも解放的なパレード
神輿の行進とともに沿道の見物客に日の丸の小旗が配られた。西洋人の観光客三人がそれを振りながら見物したり写真を撮つてゐた。外国人に解放的なのはよいことである。明治神宮の中では中国旅行会社の小旗を持つたガイドの後を観光客15人ほどが続いたが珍しそうに神輿を撮影した。日本人観光客みたいに小旗のすぐ後に整列するのではなく20mくらいに広がるところに国民性が現れる。

二月十七日(火) 誰でも構成員になれる運動を
建国記念のパレードは見物者として誰でも参加できる。外国人も参加できる。このような運動が必要である。かつての総資本対総労働のときはやはりすべての国民が参加できた。ストライキには参加しなくてもストライキに声援を送ることで参加できた。今の労働組合は労働組合ではない。まさにニセ労組シロアリ連合である。
かつての労働運動に変はる国民運動を考へるとき、それは建国記念の式典のようなものであらう。(完)


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