六百六十三、東京地評元オルグ平賀健一郎氏の講演
平成二十七乙未
一月二十六日(月)
東京地評の元オルグ
先週の土曜(二十四日)にうちの労組では、昭和四十四年から東京地評のオルグを務められた平賀健一郎氏をお招きし、総評労働運動と地域共闘についてご講演を頂いた。労働運動の歴史といふと、今では昭和五十五(1980)年辺りから始めることが多くなつてしまつた。しかしこのとき既に総評は解体に向かひ、その五年後のプラザ合意で日本の労働組合から現業職が激減することになる。だから労働組合の歴史は終戦前後から始めなくては駄目である。
長年さう思つてゐたところ、平賀氏の講演は終戦直後から初めてしかもその五年前に労組幹部が戦争協力の踏み絵で転んだことにも言及した。まさに今の時代に最適な貴重な講演であつた。
一月三十日(金)
1945年 敗戦・GHQとマッカーサ5大改革指令
平賀氏の作成された資料を参加者に配り、講演会は始まつた。貴重な講演だから私の資料は書き込みだらけになつた。書き込みを紹介すると地域共闘は1945年から。その前は産別すぐ近くに太陽のない街 共同印刷といふ書き込みもある。この辺りは平賀氏の資料では1945年 敗戦・GHQとマッカーサ5大改革指令である。5大改革指令の5番目は労働組合の奨励だが
労働省(当時)の労働組合課や大きな自治体の労働組合課が各企業を回つて労組を作らないと違法だと説明した
労働省と自治体が各企業を当時回つたことは米軍占領下での命令だが今ならそんなことは許されない。国民が労組を必要だと感じれば結成するし必要がなければ作らない。しかし昭和六十(1985)年辺りまでは役立つた。
一月三十一日(土)
戦後労働組合の誕生
1945年10月 労働組合法施行47年に改正
各企業に労働組合ができるとともに、企業幹部の公職追放で民間の部長クラスまで退職した。
産業別組合と企業内組合の混合(産業報国会の解散と経済混乱)
産業別組合について1940年から戦争協力で転ぶ。だから外から来たオルグを信用せず、また転ぶのではないかと工員は思つた。産業報国会については(1)多くはこれを戦後、労組にした、(2)牢獄や兵から戻つた活動家も加はつた。日本の労組が左翼なのはこのときがルーツ。企業別労組のルーツもこのとき。
48年の組織率は2千数百万人中55.7%。今は6千数百万人中17.5%(2014年)。
産別会議と総同盟の総同盟について
総同盟で今残る大きいところはJAMと海員。海員は今の一般型。日本は企業別組合が産別に横の連携。新しいリーダは軍需に変わる仕事を見つけなければならず、企業内で工場間の連合体に。
東京南部地域・尼崎・川崎などで労働組合間の連絡組織
二月一日(日)
総評と55年体制
45〜47年に自然発生的に地域共闘。47年に冷戦始まり、アメリカのニューディーラーがGHQに来てゐたがパージされマッカーサの反共路線に。全官公がゼネスト計画しまだマッカーサを瀋陽してゐたが中止させる。48年に官のスト禁止
1950年 朝鮮戦争/レッドパージ/全労連解散/総評結成
朝鮮戦争で日本の経済は回復したとよく言われるが、福岡空港から爆撃、横須賀に空母、旧日本海軍が徴用され元山沖で掃海し戦死者もたくさん出た。
総評はお上の肝いりで結成されたが平和三原則で日本の主流になつた。砂川基地闘争。お上と一定の緊張関係。お上が手を入れて日鋼室蘭など争ひ総評が負けて第二組合作られる。地域ぐるみ闘争(室蘭など北海道はうまく行った)、炭鉱の闘ひを公労協、日教組、自治労などが共闘。
1952年 地域ぐるみ町ぐるみ闘争(三鉱連・尼崎・日鋼室蘭など)
各県・各自治体単位に地域共闘組織(地区労・県評)
未組織労働者の組織化・全国一般の誕生
総評組織綱領草案(58年) 地区労の役割(1)地域共闘の組織者、(2)中小組織化、(3)個人加盟労組、(4)勤住協、(5)社会運動、(6)農商連携
勤住協は勤労者住民協議会、社会運動は米よこせ、電気料金等々、農商連携は商店ストライキを1972ころ大したことなかったがやった
1955年 自民党/社会党の2大政党、春闘の発足=55年体制
総評の地区組織 総評→県評→地区労(県評・地区労には中立系の組合も)
県評は県労連と名乗り中立の入つたところもあつた。茨城は日立に気を使つて県労連を名乗つた。
二月八日(日)
総評の解散と連合
1989年 総評解散・連合発足
連合の地区組織
連合→県連合→地区連合(連合地協)・・・・・連合加盟のみ
地区連合は協議体(但し組織化オルグも存在・県連合に地域ユニオン)
予算なく専従もゐない 大きいと産別整理する
争議・組織化・社会運動は産別自決
つひに総評は解散してしまひ連合が発足した。連合とは大企業労組の集まりである。それでも当時は現場労働者が多かつた。ところがプラザ合意の後は「中の上」を目指す人たちだけの集団になつてしまつた。
産別整理については、総評時代なら賛成である。総資本対層労働といふ対立軸が明白であり、産別整理を行はず全国一般を単産化したことが総評労働運動の敗因とさへ私は考へてゐる。産別整理して単産に加入することにより刺激を与へるとともに各単産組織各多大機能として活動資金を全国一般に投入することが可能だからである。
連合の産別自決は反対である。産別とは名ばかりで企業別組合の集合体に過ぎないくせに自決すればエゴ集団になる。
上の図で地区連合が、本文では組織化オルグが存在、私の書き込みでは専従がゐないと矛盾するのは、地域によつてゐたりゐなかつたりするか、専従が掛け持ちだと私は想像してゐる。
二月八日(日)その二
その他
95 「新時代の日本的経営」は非正規労働者が急増したが地域共闘が壊れた典型と書き込んだ。中小・非正規労働者の労働条件悪化は春闘が波及しなくなつたとある。春闘が波及しなくなつたのは人手不足の時代から人余りの時代になつたのに労組が何もしなかつたためだ。
昔は悪徳弁護士の事務所に押しかけたが今は損害賠償←地域共闘がなくなったため
19世紀末のイギリス・・・・・クラフトユニオンからゼネラルユニオンへ
職能 一般
そしてトレイドユニオンへ
産業別へ
クラフトユニオンは労働貴族化したためもう一度ゼネラルユニオンとして特権階級ではない労組を作つた。ゼネストをやるくらいではないと
平賀氏の講演の結論として、58年の六項目の見直しを。共闘組織を作るときではないか
と仰られた。東京地評を支へてきた大先輩による貴重な結論である。(完)
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