六百五十九、右翼と左翼(これまでの認識と調査後の変化)甲、仲正昌樹氏「ポストモダンの正義論、右翼/左翼の衰退とこれから」、その二

一月十八日(日)その二 第四章、その一(左と右の定義が確立)
マルクス主義は、第二次大戦後、「左」の代表的思想になった。別の言い方をすれば、マルクス主義に近いほど「左≒進歩的」で、遠いほど「右≒保守的」であるという形で、思想の「右/左」を判定する尺度ができあがった。

これは正しい。日本の左翼と右翼は本来分かれる必要がないのにロシア革命でソ連といふ共産主義国が誕生した。私が今回のホームページを作る前の結論はここであつた。或いはマルクス主義の前は無政府主義があり幸徳秋水は訪米してその影響を受けてしまつた。つまり外国の影響が日本の政治運動を左右に分けたといふのが結論であつた。

次に仲正氏はハイエクを取り上げてマルクスの進化の最終帰結をあらかじめ設定してそこに到達することを目指すような発想を設計主義だと批判する。私もハイエクの説に賛成である。戦後の日本では、左派社会党が独立を優先させるか独立と社会主義を同時に進めるかで清水慎三案の論争があつた。このとき独立を達成した後で社会主義を目指すかどうかはその時代の人たちが決めるとすればよかつた。独立の次に社会主義を目指すでは社会主義に反対の人たちは独立に賛成しないからである。設計主義はやはりよくない。だからといつて独立と社会主義を同時に進めるといふのは余計に困難だから更に反対である。一方で
生産中心主義的な路線を取った社会主義諸国では、一般国民の(労働以外の)日常生活を多様で快適にするための消費財の生産が遅れ、最終的にはそれが社会主義諸国における経済成長の停滞を招いたとも言われている。
には不同意である。社会主義は国民の生活に必要なものを提供するまでで、それ以外の余暇は環境を破壊せずに文化活動をすべきだ。資本主義のように地球を破壊する悪魔の思想に比べれば社会主義はまともである。またマルクスは勝者の論理だとして
「革命」によって”打倒”されるのは、「資本家」という意味での「ブルジョワジー」だけとは限らない。(中略)ブルジョワジーでない人も多数巻き込まれ、命を失うかもしれない。革命政権下での生産体制の再構築の過程で、(マルクス主義から見て時代遅れの)伝統的な産業形態が廃止され、中小の零細商工業者や農民、公務員などがそれまでの職を失うかもしれない。

多数が巻き込まれるのは戦争や動乱も同じである。特に近年はほとんどの戦争がアメリカにより引き起こされてきた。仲正氏はなぜアメリカを非難せず共産主義を批判するのか。もちろん国内の動乱は絶対に反対である。だから仲正氏と見解に相違はないとも言へるが、仲正氏は共産主義を批判するだけの目的で言及した。次に中小の零細商工業者や農民、公務員などが職を失つたとしても一般の労働者農民の仲間入りできれば問題は無い。労働者農民が政権を握つたのだからそれまで違ふ職業だつた人は仲間に入れないといふのであれば大問題である。さうではないのならよいことである。伝統的な産業形態が廃止されるのは問題である。左翼は伝統を軽視するが、新たに創成させたものは不定要素が大きい。伝統が重要な事はバークが述べたとおりである。一方で従来の職業が失業し伝統を破壊したものこそ資本主義ではないか。仲正氏の主張は偏向がひどい。次に
マルクス、エンゲルス以来、マルクス主義の主流派は、民族ごとの固有の文化に価値を認めず、階級闘争の過程で、歴史の進歩に適応して進化できない"弱い民族”が消滅し、一つの大きな民族あるいは国家へと統合されることを当然視していた。統合された方が(中略)共産主義社会への道を歩むことが容易になるからである。

ここは当時の事情を考慮する必要がある。衣食住が満足しない状態では衣食住こそ第一である。またマルクスとエンゲルスは西洋以外の事情を知らないから民族問題に気が付かなかつた。ドイツ語と英語はアジアの感覚では方言だし、ドイツ語とフランス語は東京語と沖縄語程度の違ひである。ここで重要なことは後世に唯物論を拡大解釈して民族は生産とは無関係とすることだ。これは文化や伝統や娯楽をすべて無意味にすることだから絶対に認めてはならないが、唯物論者を自称すると主張し兼ねない。一方で資本主義はどうなのか。古くは帝国主義、近年はグローバリズムで資本主義こそ批判すべきだ。


この本の133ページから後は読む価値がないので一旦図書館に返却した。その後思ひ直して再度貸し出しを受けた。その内容が以下である。

一月二十一日(水) 第四章、その二(ベンヤミン)
マルクス主義にも内在していると思われる「進歩」という形の「勝者の論理」を、"内部"から批判した論者は少なからずいたが、
としてベンヤミンを取り上げる。まづルカーチが
革命運動に直接的に寄与する芸術、リアリズム芸術だけを真に生産的な芸術として認める立場を取り、表現主義などの「前衛芸術」を大敗芸術として、その存在を否定した。
それに対してブロッホは
表現主義芸術には、革命的ポテンシャルが備わっていると主張した。

しかしどちらも
革命を通じての歴史の「進歩」という観念自体を早退かあるいは無効化する方向に議論を進めることはなかった。

それに対しベンヤミンは
必ずしも「進歩」自体をポジティブに評価しない。

ここまでベンヤミンに賛成である。しかしベンヤミンは進歩を評価しないのではなく進歩が定常に達しないことによる矛盾を評価しないのではないのか。だから
大都市は、人々の願望を吸い上げ「流行」を起こすことによって進歩し続けているように見える一方で、その内部に売春や麻薬、犯罪などの暗い要素、定職に就け(か)ないで生活面で安定しない人や、(中略)ゴミや瓦礫の山などを内部に抱えている。

となる。

一月二十二日(木) 第四章、その三(フランクフルト学派)
ベンヤミンは第二次大戦中に亡くなったが、彼と親しい関係にあったフランクフルト学派の論客たちは、「進歩」に対して懐疑的な歴史観を継承し(以下略)

フランクフルト学派は前に調べたが意味のある学説とは思へない。「進歩」に対して懐疑的なのはよいことだが過去の文化を無視するからかへつて文化破壊者になる。昨日の話に戻るとルカーチの主張には一理ある。社会には全体を救ふ共同意識が必要である。ブロッホは仲正氏の解説を読む限り社会を破壊する。フランクフルト学派はブロッホと同一ではないだらうか。

一月二十四日(土) 第五章
人間は生活に必要な場合は誰でも働く。生活にゆとりが出てくると、あくせく働く人と、生活や趣味を重視する人に分かれる。それだけのことなのに仲正氏はドゥルーズとガダリの遊牧民(ノマド)的な生活を取り上げる。そして一つの目標に向けて労働し続ける偏執狂(パラノイア)的な人と、ノマドの人たちはそれとは対照的に分裂症(スキゾフレニー)的な人を対比させて、パラノだスキゾだと空論を続ける。
そこには人類が長い年月を掛けて築いた文化への敬意がまつたく見られない。そして集団志向と個人主義への日本と西洋との差異への考察も見られない。私は決して日本は集団志向、西洋は個人主義といふ分け方はしない。西洋には西洋の集団志向がある。日本は表面だけ真似するから一旦はうまく行つたように見えてすぐ駄目になる。
七十年代後半に入った頃から、(中略)西欧諸国の旧植民地における(西欧によって歪められた)文化の在り方を再考するポストコロニアリズム・スタディーズが台頭してくる。ポストコロニアリズム・スタディーズの中心的な論客の多くは、英語圏のアカデミズムで活躍する旧植民地出身者で(以下略)

旧植民地出身者が独立した祖国で文化再興のため活躍するのであれば賛成である。英語圏のアカデミズムに属すると西欧の伝統と祖国の伝統を軽視することになりかねない。勿論害悪を及ぼす伝統は廃止すべきだ。しかし害悪を及ぼすかどうかは祖国にゐるから体験できる。ここで
マルクスは英国によるインド支配を分析した論文で、インドにおけるアジア的な経済関係、家父長的な体制を英国が破壊することによって革命の可能性がインドに生まれると論じているが、サイードに言わせればそれは、「東方」の人々の固有の文化、生活様式を無視した、身勝手な西洋中心主義的メシアニズムの現れに他ならない。サイードは、(マルクス主義を含む)進歩史観・文明史観的な傾向の強い西欧の普遍主義的な「歴史」観を、帝国主義を支えるものとして拒絶する。

サイードの発言自体は100%賛成である。問題は仲正氏がなぜ引用したのか。マルクスの引用のときもさうだが、私のように地域や少数派の独自性を保つことに熱意を持つ人間でさへマルクスの発言は問題にならない。当時の西欧の状況下でのことだからである。仲正氏はサイードの次にインド出身の比較文学者で、デリダの書籍の英訳者でもあるスピヴァクを取り上げ
彼女が具体的に問題にしているのは、英国の植民地になったインドにあって男性の支配下に置かれた女性たち、特にカースト制度の最下層のさらに外側に置かれる不可触民の女性たちの「歴史=物語」である。

ここで仲正氏の悪質さが現れる。イギリスがインドを植民地にしたことよりインドの前近代を問題にする。勿論女性差別や不可触民には絶対に反対である。しかし当時のイギリスにも白人と現地人の超えがたい差別があつた。どんな制度も時間の経過とともに堕落する。インドの前近代にもイギリスの近代にも堕落はある。概して前近代のほうが時間が長いだけ堕落も大きいがそこには自称作用もあり、一方でイギリスは帝国主義とともに堕落を加速させたから一概にどちらの堕落がひどいか決める事はできない。それなのに仲正氏はインドの悪い例だけを明記することでイギリスの植民地支配を隠蔽した。だから続いて
こうしたポストコロニアルな問題提起は、八〇年以降、日本の植民地支配や戦争犯罪の問題に対する関心を強め、海外に在住する元従軍慰安婦の裁判闘争を支援するようになった日本の−一部のマルクス主義者や市民派も含んだ−「新しい左派」にも影響を与えることになった、

二月一日(日) 第六章も読まうと努力はしたが
第六章も読まうとしたが、どうもこの無益な文章は読みたくない。そんな状態が一週間続いた。そのため松本健一氏「思想としての右翼」は(その三)にする予定だつたのに(乙)にして先行して読み始めた。あとで仲正氏の第六章に戻るとあることに気が付いた。それは仲正氏のいふ右翼とは松本健一氏のいふリベラルである。
それでも我慢して読んで見たがリベラルの立場から左翼と右翼を批判するだけで内容も不愉快である。といふことで第六章はほとんど読まずに仲正氏の著書の紹介を終了する。(完)


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