六百四十四、今年の忘年会(1.世の中は統計だ、2.新宿三丁目界隈)

平成二十六甲午
十二月十日(水) 三人寄れば文殊の知恵
職場の忘年会が先週の金曜にあつた。八チームに分かれてクイズをやつた。トランプゲームのところでうちのチームはトップに立ち、 そのまま逃げ切つた。なぜトップに立てたかといへば確率でトランプゲームをやつた。司会が6以下を引いたら次は7以上の確率が 高いから大きいを選ぶ。8以上を引いたら次は7以下の確率が高いから小さいを選ぶ。
チームのメンバーで既に出たカードからどちらを選べばよいか進言する人がゐて、これは貴重な選択肢だつた。麻雀をやればこれは 常識だが私は麻雀はやらないから気付かなかつた。といふことで三人寄れば文殊の知恵。これが勝因である。

十二月十四日(日) 終了後に一つ間違へた
今回は一回目が1点、二回目が2点、三回目が4点、四回目が8点と得点が累乗で上がる。ゲームが終つたあと私は次のように 周囲に言つた。点数が後になるほど累乗で増えるから二回目以降は選択範囲を拡げたほうがよかつたのではと。しかし誰も理解 しなかつた。後で考へると私の主張は間違つてゐる。司会者がカードを引いた後で続けるか降りるか選ぶなら私の主張でよいが、 選んだ後で司会者がカードを引くから単純な確率でよい。
しかしその事を誰も指摘しないから皆も理解してゐなかつたと思ふ。

十二月十七日(水) 新宿三丁目界隈
忘年会の終了後に会場脇の大きな自動車の通行する道路とは反対方面に歩いてみると実に心地よい繁華街である。車の通らない道の 両端にぼんぼりのような柔らかい光源がある。屋外のレストランもあつて十二月なのに屋外で飲食をしながら歓談する多数の人がゐる。 この光景を見て、極楽があるとすれば今の日本なのだと確信した。勿論これは宗教性を除外した感想である。この平和な飲食街なら宗教心 を除外しても問題はない。
翌日は土曜で組合事務所に行つた。最近は往路だけ新宿から池袋まで歩くようになつた。普通は新宿駅で降りるがこの日だけ新宿三丁目 で降りて前日の街を歩いた。朝は街灯がないし飲食客はゐないので前日とは雰囲気がまつたく異なる。なるほど街灯がこの街の特徴なのだ と判つた。ホームページを読むと昭和の
36年地下鉄丸の内線が開通し「新宿三丁目駅」ができた。(中略)60年には区商工課より商店近代化資金を導入、街路灯52基を設置、明るく、 若い人たちの集いやすい、より健全な街づくりを目指す。

とある。それにしても会場脇の大きな道路は何だらうと調べて驚いた。明治通りを短絡して甲州街道に繋げるバイパスである。いつの間にこんな 道路ができたのだつた。甲州街道はかつては新宿通りから左折して入つたが二十年ほど前に新宿御苑の下にトンネルができた。そのせいで 四谷大木戸の水門まで繋がつてゐた玉川上水が分断された。その甲州街道国道二十号線へのバイパス である。

十二月十九日(金) 朝は普通の街
翌朝歩いた感想は何の変哲もないごく普通の街である。なぜ昨夜は平和な飲食街だと感じたかといへば一つは街路灯である。しかしそれだけ では駄目である。屋外てもテーブルと椅子のある場所で飲食する人がゐるこの和やかな雰囲気である。シロアリ民主党の半分を占める新自由 主義者どもにはほとんどの国民が嫌悪感を持つ。その対極がこの平和な夜の雰囲気である。

そのまま数年ぶりに明治通りを池袋まで歩いた。驚いたのは歩道を走る自転車である。三十台はすれ違つた。大した台数ではないと思ふ人も ゐよう。しかし散歩とはゆつたり歩けなくてはいけない。自転車は歩行者に取り危険である。こんなところにも西洋猿真似だと一周遅れになるから 対応が遅れる弊害がある。

十二月二十日(土) 昭和三十一年の地図
昭和三十一年の東京の地図を見ると三日前の驚きの十倍は驚く。会場横の道路はかつての都電が新宿通りの新宿三丁目の停留所から斜めに 北上して靖国通りの四谷三光町を経由して新宿終点に行く道路だつた。なぜ気が付かないかといへば今は靖国通りから更に延長して明治通りに 繋げてバイパスになつた。当時は中学生だつたが都電の十二系統が廃止になる前に何回も乗つた。それなのに気が付かないのは道路を拡張した からだ。かつては二車線の道路を四車線や六車線にすれば気が付かない。(完)


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