六百十五、ニセ新聞東京パンフレット(自称東京新聞)による弱いものいじめ(三橋公民館批判)を許すな、すべての国民は団結しよう(マスコミの横暴を許すな26)

平成二十六甲午
九月二十六日(金) ニセ新聞東京パンフレット(自称東京新聞)の弱いものいじめを許すな
公民館館長といへば部下が十人前後の小さな組織の長である。それをあらうことか、ニセ新聞東京パンフレット(自称東京新聞)が攻撃してゐる。ニセ新聞とはいへ 従業員数は全社で3079名。おそらく派遣、非正規を含めれば5000名、東京本社はそのうち1500名か。マスコミによる弱いものいじめを許してはいけない。 日本国内の自民党、公明党の与党から維新の党、次世代の党、みんなの党、共産党、生活の党、社民党その他の野党までを含むすべての国民は団結し、 悪質ニセ新聞会社の弱いものいじめを糾弾しよう。

九月二十七日(土) マスコミの行為を糾弾
今回は掲載の良し悪しが問題ではない。俳句の出来の良し悪しはましてや問題ではない。大々的に騒ぐマスコミの体質が問題である。騒動でつち上げを 許したら、マスコミに逆らふと大変だといふ雰囲気が国内に出来てしまふ。ニセ新聞東京パンフレットはさつそく
俳句掲載拒否問題 三橋公民館が発行する月報には(中略)7月号を発行。7月4日の本紙朝刊の報道で発覚した。

とこの問題で市側が譲歩したら大々的に勝利宣言をすることを臭わせた。

九月二十七日(土)その二 ここでもニセ新聞に載ると醜くなる原理が
良心的な人でもニセ新聞に載ると醜くなる。これまで何回も指摘した原理がここでも働く。「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」といふ俳句自身醜い訳でも なんでもない。尤も俳句と呼ぶことが適切かどうか。季語を入れれば俳句になるといふものではない。俳句全体に季語が生きなければいけない。この句は 「夏空に『九条守れ』の女性デモ」でもよいし「秋空に『九条守れ』の女性デモ」でもよい。つまり季語が全体に生きない。しかし俳句かどうかが今回は問題 になつてはゐない。この句をニセ新聞が取り上げることで醜くなつてしまふ。本文には
安倍晋三内閣が、解釈改憲で 集団的自衛権の行使容認へと突き進んでいた今年六月。女性は東京・銀座で、子連れの母親らがデモ行進するのを偶然見かけた。「雨の中、『憲法九条 を守れ』と懸命に声を上げる人たちを見て(以下略)」

さうであれば「雨の中、『九条守れ』の女性デモ」にしなくてはいけない。それでは季語がない。なくてよいではないか。このとき空に注目しなかつたのだから 無理に空をつけてはいけない。変なニセ新聞に載つてしまひ掲載されることで季語を無理にでつち上げた経緯まで公開されてしまつた。

九月二十八日(日) 先頭の大見出しに載せる内容を弁えない奇妙な連中
以上の文章(自称記事)は一ページ目先頭に載つた。それだけでも驚くが白抜き大見出しで作者女性「今も納得できぬ」 には呆れる。まづ1ページ目先頭文章の白抜き大見出しは例えばニセ新聞社デスク変死、菅と野田の嘘つき増税の時に財政 危機を煽る文章を載せた天罰かといふような世間を騒がせる大きな事件のときにつけるものだ。ましてや作者もこれだけ騒がれれば納得する訳が ない。当り前のことにいちいち大見出しをつけるな。昨日は雨で地面が濡れたに大見出しをつけるようなものだ。

九月三十日(火) 拝米の馬脚を現す
ニセ新聞の本質は拝米であり、シロアリ民主党と同じである。つまりニセ民主主義を狂信する。ニセ民主主義とは51%が49%を切り捨てる恐ろしい思想である。 ナチスのユダヤ人虐殺はまさに多数は何をやつてもよいといふニセ民主主義が引き起こした。あの事件を過去のことだと思つてはいけない。菅や野田の行つた 消費税増税はまさにニセ民主主義である。
ニセ新聞は香港の長官選を巡る抗議行動を一応は中立のふりをして書く。一応はといふのは、まづ香港がイギリスの植民地だつたときにニセ新聞は総督が選挙 ではなくイギリスが任命することに反対したのか。イギリスの植民地のときは反対せず今回は中立のふりをして実際は中国批判の立場で書く。
なぜ中立のふりをした中国批判と断定するかといふと、二十八日朝配布物の香港の文章のすぐ下に米シカゴ大「孔子学院」閉鎖へ  民主化議論禁止「言論の自由脅かす」といふ見出しがある。二十九日も香港の文章の下に中国、アフリカ浸透 次は 人材 新卒エリート派遣「新植民地批判」もといふ見出しが並ぶ。つまり香港の中心部の占拠は違法だし周辺の住民に迷惑だから催涙弾で排除したと しても警察側の行為は批判できない。だから中立を装つて下に別の見出しを並べるといふ手の込んだ拝米洗脳工作である。
中国が新卒エリートをアフリカに派遣することは新植民地主義ではない。それよりアメリカが自由だ民主主義だと叫びアジア、アフリカ、中南米の政府を転覆させたり、 世界人口の僅かしか閉めないにも関はらず軍事力と経済力を背景に世界を引き回すことこそ新植民地主義ではないのか。日本で英語公用語だのグローバル大学 たのと騒ぐ連中もその仲間である。

十月四日(土) 題のある俳句
元の句よりは「雨の中、『九条守れ』の女性デモ」のほうがよいと先日述べた。それに対してこれでは梅雨かどうか判らないといふ意見が出さうだ。だつたら「梅雨の街 『九条守れ』の女性デモ」でもよい。少なくともニセ新聞に載つた文脈では空を出すのは見当違ひである。しかし更によい方法がある。題をつける。「梅雨の日に思ふ  雨の中、『九条守れ』の女性デモ」にすればよい。題を付けなければ状況が判らないのは邪道だと思ふ人がゐよう。その人に言ひたい。最初に三橋公民館が掲載しな かつた句にも題が付いてゐる。ニセ新聞が大騒ぎをしたといふ題が。ニセ新聞に載るとなぜ良心的な人まで醜くなるかの原因はここにある。(完)


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