五百九十六、沖縄旅行記(その一、琉球村、名護、辺野古、ゲート通り、那覇)

平成二十六甲午
七月二十八日(月) 深夜便で沖縄へ
毎年夏は青春十八切符で旅行することが多い。最近は遠距離なので途中で行きと 帰りの途中に一泊づつ泊まることが多い。例へば春に行つた 長州巡りのときは往きも帰りも倉敷に一泊した。目的地に二泊して合計四泊。 一泊四千円前後の安いところでも切符を含めて三万円弱になる。
今年の旅行先を探したところ、何と沖縄三泊四日で三万二千五百円を見つけた。私 は今まで沖縄には行つたことがない。青春十八切符で沖縄には行けないからである。 安い秘訣は全日空が期間限定で深夜の貨物便に旅客を載せ運行することになつた。
といふことで本日深夜羽田空港に向かつた。

七月二十九日(火) 琉球村と水牛
安いだけあつて泊まつたのはホテルとは名ばかりのコンドミニアムであつた。今年の 春に山口県に行つたときに倉敷で泊まつたのも長期滞在型マンションだつたので、 別に驚きはしなかつた。といふよりこの程度が丁度よい。
明日路線バスで名護に行く予定だつた。しかし天気予報では明日は一時雨が降る。 といふことで予定を入れ替へこの日名護に向つた。まづは琉球村である。古民家を 順に見学すると心地のよい音階が聞こえて来る。琉球の音楽はよいものである。 音楽は人の心を豊かにするものでなくてはいけない。
やぎを飼つてゐる古民家でおばあさん二人が沖縄言葉で話してゐた。今回の滞在中 に沖縄言葉を生で聞いたのはここだけである。あと一回はバスの録音放送といつしよ に流れる広告が一つだけ沖縄言葉だつた。
ハブの展示は入口まで行つたといふか入口から2mくらい入つたところで退出した。 ハブとの決闘は動物愛護のためありません、といふ貼紙で元はマングースとの決闘 ショーだつたことが判るし、私は二十数年前に奄美大島でハブとマングースの決闘 ショーを見た。あのとき決闘とは名ばかりでハブは何回も使ふことが判つた。確かに 毎回ハブがマングースにやられてはハブの調達が大変である。おそらくマングース の歯を抜いたのであらう。ハブが負けても何回も再利用できる仕組みだつた。しかし 今では、そもそもマングースはハブを食べないしヤンバルクイナを食べるといふこと で除去対象である。菅、野田、亜倍と同じで早く除去すべきだ。といふことでハブの ショーは見ないことにした。
水牛は始めて見た。黒糖を精製する装置をぐるぐる回してゐた。近くに水牛と書かれた 囲いがあつて、もう一匹がゐた。説明には水牛は汗腺がないのでときどき水浴びを するそうだ。牛と水牛の違ひを旅行前に調べたところ、牛は寒い地方、水牛は暑い 地方に棲むとあつた。あと、牛の乳より水牛の乳のほうが濃度が濃いとあつた。スリ ランカかどこかで水牛の乳から作つたヨーグルトを食べたことを思ひ出した。

七月二十九日(火)その二 万座毛、名護博物館
バスに再び乗り万座毛に行つた。バス停から万座毛は歩いて10分なのに暑くて大変 だつた。観光バスや観光客の自家用車駐車場、みやげ物店舗が並ぶところの手前に 琉球歌人の碑があつた。暑い中をツアーではなく路線バスで来た甲斐があつた。あと バス停の近くに琉球の集団墓地があつた。本土では墓石だがこちらは小さな玄関と 呼ぶのが相応しい形態である。
歩くのが大変な理由は琉球村で缶ビールを飲んだからだ。昼間にビールを飲むとその 後、体がだるくなるから私は昼間は酒類は飲まない。このとき5000円を崩す必要が ありオリオンビールの一番安い175円くらいのものを飲んだ。飲んでみて発泡酒だと 判つたので、もう少し高い210円くらいのものを買えばよかつた。オリオンビールが 本土の悪徳ビール会社並みに合法脱税ビールを作つてゐるとは知らなかつた。
5000円を崩した理由はバスが5000円札以上を受け付けないためである。ところが 琉球村から乗つたバスで、三十代くらいの男が五千円札を変へてくれないかと多少 たどたどしい日本語で話し掛けてきた。私は外国人を差別することはしないし、まして や日本語を話す外国人は日本の国益にも重要である。といふことで交換してあげた。 そのため万座毛から名護まで、ハラハラドキドキしながら前面上の料金表を眺めた。 細かいお金は1300円しかないので、それを超えるならそこで降りるつもりだつた。と いふほど心配はしなかつた。万座毛を観た後のバス停で待つてゐるとき、雲助タクシー が停車して「名護まで1000円でいいよ」と車の中から話し掛けるので「もうすぐバスが 来るからいいよ」と断つた。名護まで千円以下だらう。事実八百五十円前後だつた。

七月二十九日(火)その三 名護市内
名護バスターミナルまで乗る予定だつたが「名護城入口」といふ停留所名が気に入 つて下車した。降りた後、まづ名護市立博物館に入つた。琉球村の古民家と言ひ 博物館の農機具と言ひ、私が小学生低学年までは東京周辺でも見られた。あのとき 所得倍増計画と東京オリンピックがあり、日本中が変になつた。これが正解である。
アグー(沖縄在来豚)の説明があつた。別の場所では琉球イノシシの説明もあつた。 イノシシを家畜化したものが豚だから、アグーと琉球イノシシの関係はどうなつてゐ るのかと思つた。
博物館の展示は「沖縄近海の捕鯨」の部屋を除きすべて賛成である。この部屋の どこが反対なのかといふと、まづ1950年に始まつた捕鯨砲を正当化する。クジラ の心臓を狙つて発射したあとクジラを疲れさせるため船のエンジンを止めるといふ 説明を読み嫌悪感を持つた。この部屋にはホエールウォッチングといふ変な外来語 も用ゐるほか、アメリカではイルカを自閉症児童の治療に使ふといふ記述もあつた。 この論法で行くとアメリカは原爆を使つたから日本も使つてよいことになる。この部屋 だけ倫理観に極めて欠けた展示だつた。
展示館を出て少し歩くと道路の中央に大木がある。ひんぶんカジュマルである。横の 公園に徳田球一の出身地だといふ説明があつた。名護市公設市場に寄つた。ここで 弁当を買い食べてから裏通りを歩いた。スナックが数十軒といふくらいたくさんあつた。 昨年の朝のテレビ小説「あまちゃん」のロケ裏話で久慈はスナックが多いといふ記事 を読んだことがある。人口十万人程度の都市はスナックが多い印象を予ねて持つた。

七月二十九日(火)その四 辺野古、ゲート通り
暑くてへとへとになりバスに乗つた。帰りは沖縄市に寄るため西海岸経由のバスに 乗つた。島を縦断する山脈を越えるため山道を走り乗客は二人だけだつた。車内放送 で自治体から補助金があるといふ説明があつた。西海岸に出るとキャンプシュワプの ゲートがあり、更に走るとテントが二つか三つあり垂れ幕を掲げてゐた。辺野古反対 運動である。警察官が二列縦隊になり、外側の列と反対運動の人たちが対峙してゐた。 二列なのは、もし突破されても大丈夫なようにだらう。沖縄県警はそこまで米軍基地に 気を使はなくてもよいように思ふ。
バスは青い海やその先の島、島の石油備蓄基地を左に長時間走り沖縄市内に至る。 胡屋で降りる予定だつたがその手前のコザで降りた。幅4mくらいの屋根のある商店 街を見つけたからである。この商店街と直角に走る幅2mの細い商店街やそれと平行 する商店街もある。
元のバス通りに戻つた後、胡屋に向ふとパークアベニューといふ狭い車道の両側に 洋風の店の並ぶ商店街があつた。英語の看板や駐車禁止を指示する日本語英語 併記の警察、商店街の標識があるものの、買い物客のほとんどは日本人だらう。 つまりはアメリカかぶれの日本人が訪れる商店街といふ印象を持つた。その証拠に 商店街入口に、「パークアベニュー清掃活動 米海軍下士官協会による清掃活動に 参加してみませんか?」といふポスターが貼つてある。英語の勉強になる、グロー バルだなどと参加する日本人は多いかも知れない。これはアメリカ軍による対日工作 である。
更にバス通りを進むとゲート通りがある。四車線くらいの道路の両側にほこりを被つ た看板の店が並ぶ。バーやアメリカ人向けの店が並ぶ。るるぶの沖縄観光ランキング の四位がコザゲート通りである。このほこりまみれの通りが四位かと驚く。基地のゲート まで往復する間に女の物乞ひが二人ゐた。そのうちの一人が私が通るとき手を出した が無視した。(私は物乞ひがゐると無視しないことが多い。 例へばロサンゼルスからサンディアゴの国境を越えてメキシコに入国しアメリカに戻る前 に物乞ひが気になつて一人1ドルづつ寄付したことがある。アメリカ国内のホームレスは 無視した。州政府が面倒を見るべきだ。中国で交差点の地下歩道にゐる物乞ひも無視 した。共産党が面倒を見るべきだ。日本のホームレスは単に怠け者だから無視してよい、 といふ具合には行かない。借金苦に逃げた人などもゐるが、日本の数多の宗教団体 はこういふ人たちに布教すべきではないのか。)
以上を踏まへた上で、日本に物乞ひがゐるとは驚きだがなぜ生活保護を受けないのか。 米海軍下士官協会は沖縄市清掃局ではないのだからパークアベニューの清掃ではなく 基地周辺の元売春婦(日本人かどうか不明だが私は違ふと思ふ)か何だかの救護を すべきではないのか。

「るるぶ」の沖縄観光の人気ランキングではゲート通りは四位だ。因みに一位は「ブセナ 海中公園 海中展望塔&グラス底ボート」、二位はOKINAWAフルーツランド、三位が 琉球村、そして四位がゲート通りである。ゲート通りはとうてい二十位どころか五十位 にも入るはずがない。「るるぶ」だけではない。実業之日本社発行の「てくてく歩き15  沖縄」の十四ページにはチャンブルーエリア 那覇から (車)40分(沖縄市を基準)
米軍基地が多く、周辺の街にはアメリカと沖縄、日本の文化が混じったチャンブルーな 魅力がある。 音楽・芸能が盛んなのもこのため。(以下略)


とあるが冗談ではない。パークアベニューとゲート通りを除いてアメリカの文化なぞ 沖縄市に混じつてはゐない。といふか本土自体がアメリカの属国みたいなものだから 沖縄もそうなる。しかしそれはチャンブルーでも何でもない。
琉球王国時代に中国や日本との交流で沖縄料理のチャンブルーみたいに混ざり 合つたものはある。しかしアメリカまで混ぜると亡国に至る。

七月三十日(水) 早朝の散策
朝食前に、波上宮まで散策することにした。ホテルの横の道を進むと福州園といふ中華 庭園に至る。そこを北西に進めばよいのに北東に800m歩いた。そして沖縄船員会館 の背後に停泊中の粟国島行き村営船を写真に撮つた。このときはまだ道を間違へた ことに気付かない。道を三回尋ねて波上宮に向かつたがずいぶん遠い。波上宮と護国 寺を参拝ののちすぐ福州園の交差点に出て、先程道を間違へたことに気付いた。護国 寺はよいお寺である。住持の信仰心が篤いためだらう。

七月三十日(水)その二 那覇市内
那覇市内はまづ国際通りに行つた。国際通り自体はあまり魅力を感じないが、そこから 分岐する市場通りなど屋根の付いた商店街は風情がある。第一牧志公設市場は一階が 肉や魚や野菜売り場、二階が食堂で、これは昨日の名護公設市場と同じである。ただし 名護の二階は各店ごとに部屋に分かれてゐるのに対し、ここは大部屋に各食堂が同居 し懐かしい感じがする。部分的に畳席の店もあり昭和三十年代の本土を思ひ出す。外に 出て浮島通り、平和通のアーケードも楽しんだ。
台風が接近したのでときどきにわか雨が降る。早ければ数分、遅くても十五分で止む。 昨日もゲート通りの先で降つたが、今日は三〇分おきに降る。壺屋やちむん通りで降つて きたので国際通りに戻り市立図書館で郷土資料を四十五分ほど読んだ。外に出たら雨が 上がるところだつた。安里交差点先の狭い商店街がパンフレットには載つてゐるのでここ にも寄つたが朝十時過ぎだと観店が閉つてゐる。そのまま安里からゆいレールで首里城 に向つた。

七月三十日(水)その三 首里城
まづ円覚寺の末寺三つくらいの跡地を見ながら首里城に入つた。復元の時のビデオを 興味深く観た。外壁の色を何にすべきかを決めるのも大変である。わずかに赤い塗料が 残つてゐたといふ証言があり赤に決まつた。首里城に限らず沖縄は赤い屋根が多い。 タイや中国に旅行したことを思ひ出すのは赤い瓦のためであつた。
次いで金城町石畳を見た。ここで注意すべきは石畳の手前も石作りでしかも日本の道 百選の碑がある。ここだけ見て戻つてしまふ人も多いだらう。その400m先のバス通り を過ぎたところが石畳である。NHKの朝のテレビ小説「ちゅらさん」で使はれた家もあり、 使はれたのは外観のみで居住者がゐるので入らないでくださいといふ看板が掲げられて ゐた。そういへば昨年の「あまちゃん」で東京谷中の第2まごころ寮も外観だけ使はれて 中は巣他事務のセットだそうだ。
石畳を更に進むと湧きに入つたところに古木と礼拝所があり、ここに寄つた。石畳は更に 続くが暑いので引き返した。上り坂できつかつた。弁財天堂、龍潭池、円覚寺跡を観て ゆいレールの駅に戻つた。途中でお昼を買つて食べた。首里観音堂、玉陵は暑くて行く 余裕がなかつた。

七月三十日(水)その四 県庁、那覇空港
ゆいレールに乗つて県庁に行つた。正面にシーサーがあるといふそれだけの理由である。 しかしわざわざ見に行く価値はある。多数のシーサーが正面上部に飾られてゐる。一階 でダムの展示を見た後に最上階の展望台に行つた。県庁はこの程度がよい。ここ二十五 年ほど本土では豪華すぎる県庁や市役所が多い。
次に那覇空港に行つた。今回の旅行は深夜便のため、昼間の空港も見ておきたかつた。 一通り見終はつたが一番のお目当ての国際線がない。あちこち探したあげく別の建物だと 判つた。100mくらいしか離れてゐないのに途中で大雨が降つてきて無効に着いたときは 足がかなり濡れた。国際線は台湾、韓国、香港、上海の便がある。インターネットで調べると あと北京が週2便である。かつては国交のない中国大陸と台湾を行き来するのに上海と 台湾行きを沖縄で乗り継いだそうだ。しかし大陸と台湾の直行便が運航されるにつれて乗り 継ぎ客は消滅した。
那覇空港の国際線ターミナルは雰囲気がよい。アメリカやヨーロッパに行く便がないためか、 或いは日本の航空会社は一便も運航しないためか。


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