五百八十七、(その一)「ナショナリズム論の名著50」を読んで

平成二十六甲午
七月三日(木) この書籍を読んだ経緯
大澤真幸編「ナショナリズム論の名著50」を読んだ。萱野稔人氏がゲルナーへの反論としてこの書籍 を引用したからである。萱野稔人氏の主張を読む限り大澤真幸氏には賛成、萱野稔人氏には反対である。 しかし「ナショナリズム論の名著50」を読んで有用な内容は予想外に少なかつた。その理由を考察し ナショナリズムから有害性を除くとともに、ナショナリズムを批判するだけで無駄飯を食ふリベラルを撲滅 して消費税を元に戻させるのが今回の目的である。

七月四日(金) まえがき
編者まえがきの冒頭で大澤真幸氏は
本書は、ナショナリズム論の重要著作を紹介し、批判することを目的としている。ここで「批判」というのは、 非難することではない。その可能性と限界について反省の目を差し向けることである。

この書籍が反省の目を差し向けるかそれとも非難になるか。それは50の著書について論じた34人に 掛かる。それをこれから紹介しよう。

七月五日(土) 最初読んだ章
最初「ナショナリズム論の名著50」のうち読んだのは3.スターリン「マルクス主義と民族主義」、5.西田 幾太郎「日本文化の問題」、15.竹内好「方法としてのアジア」、24.ゲルナー「ネーションとナショナリズ ム」、28.山内昌之「スルタンガリエフの夢」など極めてわずかだつた。これだと一番最初にスターリンが 来ることになる。スターリンは共産党内で独裁権力を獲得する前と後は異なり、獲得前の主張は区別 すべきだ。またグルジア人のため民族問題に詳しくマルクスの欠点である西ヨーロッパ出身者の立場 での考察を克服した。しかし最初にスターリンが来るのはあまりに印象が悪い。そこで1.フィヒテ「ドイツ 国民に告ぐ」から読み直し2.、3.、4.、5.と順番に読み進んだ。しかし途中で読み飛ばしが多くなり消滅 した。

七月五日(土)その二 フィヒテ「ドイツ国民に告ぐ」
「ドイツ国民に告ぐ」はナポレオン占領下の、しかもフランスと比べて国が統一されておらず遅れたドイツ での演説である。時代背景を考へないと大きな間違ひを犯す。だからこの単元も最初から三行目で
高校世界史でこの演説は、ベルリン大学創設、プロイセン改革、反ナポレオン 解放戦争の文脈で登場する。当然、ナポレオン支配下で愛国主義者がおこなった「救国演説」という印象が 強い。
と紹介するもののすぐ次に
加えて、ピーター・ヴィーレック『ロマン派からヒトラーへ』などによってフィヒテを「ナチズムの源流」とする 視点は増幅されてきた。
「(前略)フィヒテはドイツ人はもっとも混血しておらず、したがって神秘的自然力にもっとも近いと云う」

私は最後の「もっとも混血しておらず」の文には絶対反対である。しかし当時の先進国 フランスに占領された後進国ドイツの印象が国民にあつたのでそれを克服するための発言である。判り 易く言へば日本には富士山がある。敗戦国を元気付けるために戦後さう演説するやうなものだ。背景が 判ればフィヒテの演説も理解できる。そこが「ナショナリズム論の名著50」では説明不足である。だから
フィヒテのいう「真のドイツ人」とは、現実のドイツ人ではなく、新しい 教育によって誕生すべき理想のドイツ人である。
と言つて見ても不毛の言論になる。一方で
敗戦後、帝国大学総長に就任した南原繁が、GHQ占領下に打ちひしがれた国民に民族の自覚を説き 「精神革命」の必要性を訴えたとき、『ドイツ国民に告ぐ』は(10文字略)よみがえった。マッカーサー占領 体制をナポレオン占領体制のアナロジーとして「国民の精神的革命」と「民族の再生」を提唱した南原繁 の演説集は『祖国を興すもの』として刊行された。
と『ドイツ国民に告ぐ』をよい意味で評価するそぶりをみせるものの「10文字略」と書いた部分の 「世界市民主義」の文脈でを元に戻すと曖昧になる。それは
「戦後日本のフィヒテ」南原繁は、『ドイツ国民に告ぐ』から「文化国民」「自由の強調」「世界主義との綜合」 の三要素を取り出している。
にも現れてゐる。戦後まもなくは敗戦への反動、その後は米ソ冷戦下で自由を主張することは良いことで ある。しかし冷戦終結後に自由を叫ぶことは単に祖国を破壊し社会を破壊しアメリカに擦り寄ることであり、 「ナショナリズム論の名著50」は冷戦終結後に出版されたといふ偏向から抜け出せてゐない。
因みに私が「世界に民族といふ単語は存在しない」といふ意味は、一つの民族も細分できるし複数の民族 にも共通点は多いし、民族といふデジタル分類をすると対立の原因になるから使はないのであり、世界を 欧米文明で統一しやうとする意味での「世界一民族」や「世界市民主義」とは正反対である。

七月五日(土)その三 スターリン「マルクス主義と民族問題」
「マルクス主義と民族問題」は七つの節からなり、このうち
冒頭の「民族」の節はその後、社会主義圏で民族問題が取りあげられるたびに、「民族の定義」を示す 準拠として参照された。(中略)中国ではソ連邦崩壊後の今日でもまだこの事情は変わらない。
とある。引き続き
ロシアのマルクス主義者が当面しなければならない革命の舞台は、欧亜にまたがって分布する二〇〇 に近い多様な民族を擁していた。ところが、西欧の正統マルクス主義はこのような、ヨーロッパのみならず アジアをも含む多民族状況を視野に入れたことがなく、また潜在的に民族問題が存在していても、民族 そのものが、廃絶されるべき否定的な、あるいはせいぜいマージナルな存在として考えられていたから、 それを正面に据えて論じることはしなかった。
ソ連が崩壊した結果、日本では左翼が激減し西洋かぶれの反日反社会の連中が多くなつた。つまり リベラル心中主義者と変らなくなつた。その理由の一旦はここにある。西欧はラテン系、ゲルマン系でも 方言の差が少し大きくなつた程度である。ドイツ語と英語は方言程度である。一つの文化に統一すると マルクスが考へたのも無理はない。しかし西欧以外は絶対に真似をしてはいけない。
第一節はまず「民族とは何か?」という質問から始められる。(中略)ここに言う「言語」は、西欧のマルクス 主義者にありがちな、単なるコミュニケーションの道具にとどまるものではなく、精神の形成に関わって いることが示唆されている。さらに注目すべきすべきことは、おくれた言語が、より進化した言語によって 取りかえられうるものだといったような進化主義的な認識は、たとえばエンゲルスなどの場合とは異なって 、まったく見られないことである。 同じことはレーニンにも見られ
レーニンが「必要なのは民族の自決ではなくプロレタリアートの自決だ」と述べ(中略)民族というカテゴリー は文明の発展の過程で、終局的には意味を失って、階級のなかに解消していくものと考えられていたのに 対し、スターリンにおいては、実体をともなう堅固な共同体として考えられていた。

北朝鮮では建国ののちに民族語を大切にする運動が進んだ。今から四十年前に公立図書館で金日成の 「主体(チュチェ)思想」の日本語版を読んだことがある。当時は公立図書館にも置いてあつた。読み終は つた印象は、朝鮮語を大切にして同じ意味の朝鮮語があるときは漢語や日本からの外来語は使はない やうにすることと、知識人もプロレタリアートとして活用しようといふ二つしか残らなかつた。
このうち同じ意味の朝鮮語があるときはこれを用いて現在使はれてゐる漢語や外来語を用いないといふ のは原理主義であつて伝統主義ではない。伝統主義は歴史の経過も重視し、今まで使はれてきた漢語は 歴史の重みがあるからそのまま使ふべきだ。今ならさう思ふが当時はそこまで気が付かなかつた。
この姿勢は北朝鮮だけのものではない。共産主義は欧米に反対し民族文化すなわち伝統を重視するといふ 意識が非欧米には大きいから共産主義は人気があつたしAA諸国も中立であつて決して資本主義陣営 ではなかつた。投じの地図帳を見てみよう。資本主義と中立と共産主義と三つで世界地図が塗り分けられて ゐる。その後、毛沢東が文化大革命で文化破壊に走り、ポルポトも文化破壊と虐殺を行なつたため共産 主義は世界中から信用されなくなつた。

七月六日(日) 竹内好「方法としてのアジア」
竹内好が没したのは、一九七七年である。まだ冷戦のさなかであり、また、 いわゆる改革・開放へと中国が大きく舵取りをする直前でもあった。
竹内好ほど後世の評価が確定しがたい人はないと思われるが、その理由の大半は、冷戦構造(あるいは 中国革命)の枠組みから派生した知識人の党派性、またはその冷戦構造に規定された解読格子があった として、竹内がその枠組みを踏み外した部分を多分にもっており(以下略)

竹内好のどこが正しくどこが間違つてゐるか、特に冷戦構造が崩れた後に拝米反日知識人が増へた現在 にあつては重要である。
竹内は、「西欧の優れた文化価値を、より大規模に実現するために、西洋をもう一度東洋によって包み直す、 逆に西洋自身をこちらから変革する、この文化的な巻き返しによって普遍性をつくり出す」ことの必要性を 説き、「その巻き返す時に、自分のなかに独自なものがなければならない」とする。しかし、「そういうものが 実際にあるとは思わ」れず、「しかし、方法としては、つまり主体形成の過程としては、ありうる」のだとしている。

日本が西洋を学んだのは植民地の魔手がすぐそばまで迫つたためだつた。日露戦争に勝利したときから 日本は帝国主義の側に入つてしまつたが本来は植民地化を逃れるためだつた。植民地化の恐れがなくなつた 戦後にあつては、西洋を東洋で包み直したり西洋自身を変革するのではなく、東洋は東洋、西洋は西洋で それぞれ独立に道を歩めばよいではないか。今の世界経済は余りに西洋主導である。これを改めさせ、一方 で今の西洋のやり方では地球が滅びる。そのため西洋の化石燃料消費を止めさせる。これがよいではないか。

七月六日(日)その二 吉本隆明「共同幻想論」
『共同幻想論』が出されたのは一九六八年、全共闘運動がその頂点にあったときだ。当時、既成のマルクス 主義的な社会変革理論に矛盾を感じていた多くの学生たちがこの本を、変革についての新しいヴィジョンを 伝えるものとして読んだ。
私は「共同幻想論」を読んだことがないが、だとすれば一回読む必要はある。次に
現在の世界思想の水準のなかで、吉本の国家論がどの程度の原理性と普遍性をもつのかということを考えて みたい。
近代国家についてのもっとも本質的な原理思想は、ルソーとヘーゲルに代表されるが、注意すべきは両者の あいだに一つの重要な思想的転回が見られるということだ。(中略)ルソーでは、人間は本来独立した「個人」 であるが、必要上仕方なく共同体=社会を形成した、という考えが、意識的、無意識的に生き残っている。(中略) ヘーゲルはこの点を再考し、人間は本来自由な個人存在だったという考えを棄てる。彼は、近代市民社会を、 もともと人間がもっていた個人としての自由を制度的に確保しなおす原理としてではなく、人間の政治制度の 歴史の総体が、人間の精神の本性としての「自由」を徐々に現実化していくプロセスの、自覚的かつ画期的 段階、と考えるのである。

ヘーゲルをまだ読まない中での感想だが、人間の本能は利己的である。しかし社会生活でそこに共同の精神 が生まれる。だから人間の本性としての「自由」を美化してはいけないと思ふが、或いは「ナショナリズム論の 名著50」の偏向がヘーゲルの学説を曲げたのかも知れない。次にマルクスは
ルソー、ヘーゲルの市民社会的な「自由」の概念を「利己的な人間の自由」として批判し、これに「類的人間」(社会 的存在本質としての人間)という概念を対置した。
私はマルクスの説に賛成である。

七月六日(日)その三 結論
「ナショナリズム論の名著50」は2002年に出版された。この書籍を読んだ感想は一言に尽きる。それは 1991年のソ連崩壊以後に出版された書籍は偏向が酷いといふことである。


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