五百八十一、新左翼系の機関紙を読んで(セアラ国立大学アレクサンドル・コスタ教授)
平成二十六甲午
六月二十日(金)
新左翼系の機関紙
うちの労組に新左翼系の機関紙がときどき送られて来る。購読してゐる訳ではないが、
宣伝活動として送つてくるのだらう。或いはA前副委員長(現在療養中)は新左翼に顔
が広いからその関係で送つてくるのかも知れない。
せつかく送つてくださるのだから私はすべて目を通す。共通して言へることは新左翼は
ベトナム戦争時代の反米と民族独立戦線を取り戻すべきだ。冷戦時代に東側諸国は
戦略として民族解放を掲げた。それが主目的ではなかつたとしても、世界で多くの支持
を集めた。冷戦が終結すると左翼の側は唯物論だけが残り民族文化を破壊する側に
回つた。だから旧社会党、共産党も国内では微小勢力になつてしまつた。
六月二十一日(土)
コスタ氏の主張、その一
週刊かけはしといふ第四インター系の新聞にブラジルのアレクサンドル・コスタといふ
左翼活動家でありセアラ国立大学教授の論文が載つた。「エコ社会主義は旧い進路より
はるかに急進的」「気候危機と左翼」「「IPCC評価のはるか先まで進むことがわれわれの
任務だ」と題が付けられてゐる。
本文は気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の第五次報告が発表されたことを短く
述べた後、次のように続く。
社会主義的左翼が気候変動問題を無視することが共通のことになっている。しかしこれは
極めて深刻な間違いだ。(中略)資本主義が発生させているこの危機に対し、破局的な
結果を避けるための闘争は、尊厳の下に人類が生き残るための物質的条件を保護する、
という闘争だ。
ここまで私も賛成である。賛成ではあるが資本主義を廃止したときに化石燃料非消費
社会が来るか不確実である。資本主義の資源消費社会に慣れた人類は、資本主義を
廃した後も半分或いは1/3程度の化石燃料を消費し続けるのではないか。そのとき
資本主義に比べれば1/3だから画期的だといつては駄目である。化石燃料の消費は
0にしなくてはいけない。それができないとすれば左翼の側はまづ進歩思想の誤りに
気付くべきだ。日本だつて昭和三十年代まではほとんど化石燃料を消費しなかつた。
あの時代に戻ることは困難ではない。
六月二十二日(日)
コスタ氏の主張、その二
コスタ氏は続けて次のように主張する。
孤立した一国だけでの社会主義はまったくあり得ない。性差別主義、レイシズム、同性愛
叩き、トランスジェンダー叩き、外国人叩きを残したままの社会主義もまったくあり得ない。
そして、干からびた地球の上の社会主義などあり得ない。
まづ性差別主義から外国人叩きまでの五つはあつてはならないが日本では社会で問題
になつてゐるのかどうかを考へる必要がある。新大久保でのヘイトスピーチが問題に
なつたが、これなどは拝西洋、拝米、反日、文化破壊者など(すべてに該当するのが朝日
新聞だが)の人たちが極めてごく一部のデモ行進を大々的に取り上げてこれ幸いとばかり
大騒ぎしただけだ。
レイシズムには反対だが現実の日本国内を見よ。悪質な大手パン会社は白人の子の
絵を配送トラックの側面に書いてゐる。世界では欧米、特にアメリカが自分たちとは違ふ
政治形態の国の転覆や政権交代を狙ふ。しかし欧米もかつては別の政治形態だつた。
今の形態に至るには長い時間が必要だし、今の政治形態はもし人類が五百年後に存続
してゐれば人類史上最も悪い政治形態だと見做すだらう。それは地球を破壊するからだ。
そのことを棚に置いて西洋の形式を押し付けたりありがたがるのはレイシズムである。
多くの国民はそのことが直感で判る。だから米ソ冷戦下では反米の革新知事、革新市長
に人気があつたし、冷戦終結後は石原元都知事や橋下大阪市長に人気がある。尤も
橋下氏は大阪都にこだわり過ぎて自滅の道を歩んでゐる。大阪都はどうでもよい。橋下
氏のすべきは関西を第二首都にすべきであり関西弁を第二共通語にすべきである。
ブラジルでどうかは判らない。だからコスタ氏の主張に反対するのではない。
六月二十三日(月)
コスタ氏の主張、その三
この後、コスタ氏は地球温暖化の問題を1ページ以上に亘り書かれてゐてその内容は
極めて良質である。だから社会主義になつても化石燃料の消費が半分或いは1/3
続くのではないかといふ心配は杞憂に過ぎないことが判る。しかし現実の左翼にコスタ氏は
エコ社会主義はプチブル思想か? エコロジーは民衆の
アヘンか?この類の主張すべてにもちろんわれわれは同意しない。しかしわれわれは、「左翼の」
政治的立場(あるいは悪いことに、「急進的左翼」の立場)を主張するある者たちがこの種の
ナンセンスを振りまいていることを残念に思う。
私はコスタ氏の意見に賛成である。
六月二十四日(火)地球温暖化こそ最急務
週刊かけはしは一面で、署名論文および記事は必ずしも編集者の見解を代表するものではないことを
ことわつてゐる。だとしてもコスタ氏を掲載した功績は大きい。
資本主義がなぜ社会主義より豊かに見えるかは自然資源の浪費が上手だからだ。自然資源の消費を
停止すれば資本主義より社会主義が豊かになる。だから左翼こそ自然保護の最先端にたつべきだ。
しかし社会主義がよいかどうかは場合による。左翼はまづ資本主義を停止させることを目指し、まづは
自然経済に戻す。自然経済とは自営業を中心としてそれが不可能なものだけを共有化する。これは昭和
三十年代前半の日本である。社会主義とは特別なことをするのではなく昭和三十年代に戻すだけだ。
当時は化石燃料の消費も極めて少なかつた。(完)
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