五百八十二、軍師官兵衛観賞記(その二、NHKは民営化すべきだ)

平成二十六甲午
六月二十三日(月) わざとらしい演出
軍師官兵衛は二回目から観なくなつたが、播磨の攻略は今まで取り上げられたことが なく興味があつたので第七回目から再び見るやうになつた。しかし先週の小寺政職の 演出があまりにわざとらしい。昨日は観るか観ないか始まる五分前まで迷つたが観な いことにした。
もともと信長の死と羽柴軍が大返しするところまで見て終りにする予定だつたが、あまりに 演出が悪い。国民は消費税嘘つき増税で生活が大変である。なぜこんな劣悪な放送に 視聴料を払はねばならぬのか。NHKは民営化すべきだ。

六月二十四日(火) アナウンサは技能職に徹しろ
大河ドラマの最後に風景を映し女性アナウンサが解説する。この声が下手なことがある。先週は悪くは なかつたが、何ヶ月か前にあまりに下手なので既にドラマは終つたことだしスイッチを切つたことがあつた。
昔のアナウンサーは技能職に徹してゐた。その後、サラリーマンの上昇志向に乗つたような連中が 増へて悪くなつた。
小宮山洋子はその典型である。なぜあんな女がNHKの解説委員や 国会議員や厚労相まで務めるのか。アナウンサは生涯アナウンサをやる。出世の道具に使つては いけない。昭和三十年、四十年代の高橋圭三や宮田輝は参議院議員になつたが、あれは芸能型 アナウンサの一環であつて、だからNHK退職後も独立して芸能型を続けた。小宮山洋子とは大違ひ である。

六月二十八日(土) 二番目と三番目に悪い演出
一番悪い演出は先日述べたので、二番目と三番目に悪い演出も紹介しよう。二番目は黒田官兵衛の 家臣が敵側に寝返つたふりをして敵兵を城内におびき寄せ、そこで幕を外すと銃を構へた伏兵が現れる 場面だ。こんな安直な計略に引つ掛かる人間がゐるか。
三番目は宇喜多直家を訪問した官兵衛の目前で直家が織田方と連絡する家臣を毒殺する場面だ。 客人の前でそんなことをするはずがない。あまりにでたらめな演出に呆れた。

七月七日(月) 相変わらずの悪い演出
昨日は本能寺の前夜なので久しぶりにみた。しかし相変はらず演出が悪い。高松城を水攻めにする ため堤防を築いたとたん水が怒涛のように流れ込むが、あの勢ひで流れ込んだら提が壊れる。 おそらくは水面が少しづつ上がつたのだらう。
信長が天皇廃止を明智光秀に打ち明ける場面があるが、それはあり得ない。信長が将軍を追放したの は将軍が反信長の行動を取つたからで、宮中や公家はそのような行動は取らなかつた。官位を受け なかつたのも武力で天下を支配する意思があつたためで、官位は形式的で邪魔である。
過去に信長による天皇廃止の説があつたなら別だが、大河ドラマが新しい説を作つてはいけない。 当時の宮中には政治の実権はなく、丁度、信長が伊勢神宮の廃止を考へたかどうかを議論するような ものである。

七月十四日(月) 本能寺の変
今回に限らずNHKの大河ドラマは本能寺の変になると、突然「水戸黄門」か「暴れん坊将軍」に早変り する。よろいかぶとをつけた多数を相手に信長が寝間着のまま弓矢や槍で多数を倒す。あのあと突然 「えーい、静まれ、静まれ」と言つたら水戸黄門だし、「余の顔に見覚えはないか」と言つたら「暴れん 坊将軍」である。「この桜吹雪が目に入らぬか」で遠山の金さんといふ方法もある。NHKは本当に演出が悪い。
演出の悪い理由は一年間続けため無理に引き伸ばすためだし、サラリーマンが演出をやるからだ。 大河ドラマ枠は優秀な歴史映画を順番に放映すべきだし、アナウンサーと演出者はサラリーマンでは なく中小の芸能会社に任せる。さうしないと今回のような駄番組が続出する。
大河ドラマを観る人は歴史ファンである。歴史を知りたいか、或いは平家物語や新平家物語のように 本当の歴史ではないとしても有名な作品を鑑賞したい。NHKは根本が理解できないやうだ。(完)


、軍師官兵衛観賞記(その一)

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