五百二十九、軍師官兵衛観賞記


平成二十六甲午年
一月六日(月)「人情家で人を殺すのが嫌ひな官兵衛」
大河ドラマは第七作「天と地と」(昭和四十四年)から第三十七作「徳川慶喜」までは実在人物の登場しない二十四作「いのち」を除き連続して観たがその後は見なくなつた。しかし観ようと試みることは何回もあつた。平成二四年の第五十一作「平清盛」の一回目を観たがあれでは織田信長の演出である。一回で観るのをやめた。画面が汚いと評判も悪く視聴率も低かつた。第四十九作「竜馬伝」も一回見て竜馬が江戸に出て来たときのわざとらしい演出でスヰッチを切つた。新撰組は最初面白かつたので山南敬助の切腹あたりまでは観た。その後は新撰組自体が落ち目と粛清の物語だから見なかつた。
今回偶々官兵衛は人情家で人を殺すのが嫌ひだつたとひふ時事通信の童門冬二氏の主張を読んだ。そこで観ようといふ気になつた。冒頭に官兵衛が小田原城に一人乗り込み敵が矢と鉄砲で狙ふ場面が放映された。これでは駄目である。一人で乗り込んだといふことは使者である。敵が攻撃する筈がない。だいたい矢や鉄砲がすべて外れる筈がない。NHKはよくこんな出鱈目な演出ができるものだ。国民の受信料の無駄遣ひである。それでも一日目は官兵衛の子供時代なのでよかつた。

一月九日(木)「野心家の官兵衛」
一般には官兵衛は野心家と言はれることが多い。豊臣秀吉が近習たちに次に天下を取るのは誰かを言はせ徳川家康や前田利家の名前が出た後で秀吉が黒田官兵衛こそ天下を取ると言つた話は有名である。或いは関が原の戦ひが一日で終つたため九州の多くを占領したが天下は狙へなかつた。
NHKはたぶん野心無しで演出すると思ふ。

一月十二日(日)「実際の官兵衛」
実際の官兵衛はだうだつたのだらうか。やはり野心家といふのが正解ではないだらうか。竹中半兵衛の子孫が六千石の旗本だつたのに対して黒田官兵衛の子孫は五十二万三千石である。しかも黒田長政は関が原の合戦のときに小早川秀秋を寝返らせる役割をした。
そもそも徳川をはじめ大名どもは戦国時代を終らせる役割があるから年貢や冥加金を得られた。戦がなくなつてからは年貢や冥加金を大幅に減額しなくてはいけなかつた。これは黒田家の責任ではないが徳川その他の大名は農民や工商人に巣食ふシロアリである。

今回官兵衛の評価が辛くなつたのは国売り(自称読売)に黒田家当主といふ人が登場した。先祖が有名だからといつて新聞社は安直に登場させてはいけない。また当主とは何か。江戸時代なら徳川の悪政のせいで領地の相続があるから相続者を決める必要があつた。今はそんなものはない。だから当主は無意味である。

一月十三日(月)「花よりもなほ」
予想どおり二回目の途中でスヰッチを切つた。一回目は子役が主人公だつたから最後まで観たが今回から岡田准一が主役になつた。かつての大河ドラマとは異なり大物俳優ではなく現代映画、若者アイドルが主人公といふ印象である。朝のテレビ小説「あまちゃん」で春子が主役になれば周りが盛り上げてくれるからボロがでないと言つた。なるほどこのことなのかと思つた。

しかし岡田准一が主人公に選ばれるには理由があるだらう。さう思つて岡田准一主役の七年前の映画「花よりもなほ」を本日観てみた。信州松本藩の武士が父の仇討ちのため江戸に出たが長屋に住むうちに相手にも家族があるのだからと仇討ちを止めて長屋の連中が偽の仇討ちで松本藩からご褒美のカネを貰ふといふ話だつた。「あまちゃん」で太巻の役を演じた古田新太が準主役の貞四郎の役で出演してゐる。
長屋の町民が武士を「農民からかすめ取つたカネで」「戦はなくなつた。しかし侍は残つた」と批判するところは、私の昨日の書き込みに類似してゐた。

ちなみに私の母の実家の本家(私の曾祖父)は松本では名家だつたさうだが松本藩とは無関係である。或る親戚の話では開智学校の校長で、当時は校長の下に尋常部と高等部と更に分校が出来て、校長は今の教育委員長だつたさうだ。別の親戚の話では造り酒屋で屋敷の中にトロツコが走つてゐたといふから、明治維新後に開智学校を建てたときに多額の寄付をしたのかも知れない。

一月十三日(月)その二「木更津キャッツアイ」
岡田准一が主人公のものにもう一つ「木更津キャッツアイ」がある。これは十二年前に民放テレビの九回シリーズで放送され、翌年「木更津キャッツアイ 日本シリーズ」で映画化され、その三年後に「木更津キャッツアイ ワールドシリーズ」で再度映画化された。脚本が宮藤官九郎、出演者に古田新太、薬師丸ひろ子が名を連ね「あまちゃん」色が濃厚である。
私はこのうちの「木更津キャッツアイ 日本シリーズ」の一部分を観た。なるほど岡田准一が「軍師官兵衛」に登場して違和感を持つたのはこのイメージである。だから現代の若者劇がそのまま戦国時代に移動したような気持ちになつた。
「木更津キャッツアイ」だけを観たらもう一度「軍師官兵衛」を観ようとは思はなかつた。しかし「花よりもなほ」を観てもう一度来週から観ようといふ気になつた。

一月十四日(火)「ニヒルな役」
「花よりもなほ」を観て岡田准一は下級武士なら合ふと思つた。下級武士としての黒田官兵衛なら合ふ。一方で岡田准一はニヒルな顔である。「花よりもなほ」で人情派を演じることができたのは武士社会へのニヒルが貧乏長屋での人情になつたので、NHKの演出方針とは裏腹にニヒルな黒田官兵衛を演じるべきだ。

それより大河ドラマは必要だらうか。週四十五分を一年間続けるには冗長な内容にしなくてはいけない。過去の歴史映画を一回四十五分づつ数週間で放送するのがよいのではないか。民間映画会社が優良映画を制作する支援になるし、NHKも制作費を節約できる。何よりNHKが制作したりNHKに出演することが偉いといふNHKの思ひ上がりを解体することができる。

一月十九日(日)「過去の大河ドラマ」
今まで観た大河ドラマの中で一番出来の悪いのは三十一作「琉球の風」である。人さらひに遭つた琉球の医師が薩摩藩主の侍医を務める。最初から話に無理がある。親方(地方の豪族)の息子が父親に斬りつけた。それなのに最後のほうで息子が親方として琉球王の前に参列する。こんな因果を弁へない話はない。その一つ前の三十作「信長 KING OF ZIPANGU」は題が変である。当時は英語はほとんど日本に入らないはずだ。この辺りから大河ドラマを変へようとし始めた。大河ドラマは形を変へてまで存続させるのではなく廃止すべきだ。
そんな中で三十二作「炎立つ」、三十三作「花の乱」、三十四作「八代将軍吉宗」は従来取り上げなかつた題材でよかつた。三十五作「秀吉」は秀長に着目してよかつた。

一月二十一日(火)「第三週は観なかつた」
第三週は直前までは観ようと予定してゐた。しかしこの先毎週四十五分づつ一年間観る価値があるか。図書館で一時間ほど掛けて読む一冊が一年分である。大河ドラマは「あまちゃん」みたいな笑ひは入れ難い。劇伴も入れ難い。それなら映画会社に任せて優良作品を順番に放送したほうがよい。
そればかりではない。NHK自体も総合、Eテレ、BS、BSプレミアムそれぞれを分割して民営化すべきだ。(完)


NHKは民営化すべきだ(年始のテレビ番組)軍師官兵衛観賞記(その二、NHKは民営化すべきだ)

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