五百八十、下の子の引退試合

平成二十六甲午
六月十九日(木)卓球部
下の子が中学に入学したときテニス部に入るつもりだつた。ところが入部勧誘がよかつた のか卓球部に入つた。顧問の先生は教師になつてから卓球を始めたといふものの連盟 の役員も務め、福原愛選手が無名時代にホテルで泊まつた部屋がすぐ前だつたり、 福原がソファーでグァーと大いびきで寝てゐたのを見たこともあつたさうだ。
私の上の子の行つた県立高校の顧問の先生も連盟の役員を務め、中学時代からその 高校に出入りして練習に参加し、だからといつて公立だから推薦枠はなく入試を受けて 入学した。それから二年が経過し三年になつたため先日の試合で引退が決まつた。

六月二十一日(土)関東大会
関東大会に進むには県大会で八位以内に入らないと駄目らしい。しかしシード権は後輩 のために確保したさうだ。これまでも関東大会を目標に努力を重ねたが、あと数歩及ばず 引退が決まつた。
卓球の顧問の先生は二年になるとき転勤した。だから二年目は卓球に詳しい教師なし だつた。教師の繁雑な転勤はよくない。転勤させても学校間の偏差値格差は残る。つまり 偏差値格差を目立たせるだけの効果しかない。それより卓球の強い学校、バレーボール の強い学校、面白い授業の先生のゐる学校など偏差値を目立たなくさせる特長を育成 すべきだ。そのためには教師の転勤は年に一人か二人に留めるべきだ。

六月二十二日(日) 実社会で役立つこと
学校の練習が終つたあとも市のスポーツセンターに行つたり横浜文化体育館に通つて 夜遅くまで練習した。二年次は部長も務めた。これらの経験は実社会で大いに役立つ。 大いに役立つが、日本はさういふ社会になつてゐない。プラザ合意以降は特にさうである。
数日前の記事に、アメリカは少数の人たちが冨の大部分を独占するが、上層部は常に 入れ替はる。それに対して日本は固定されてゐる。それが問題だとあつた。
とはいへ世の中の仕組みに合はせて対処する必要がある。かつて卓球のラバーは裏表 同じ色で、これだとカット戦形に有利だつた。ところがルールが変はつて同じ色が禁止に なるとカット戦形が激減したさうだ。ルールの変更に文句を言つても始まらない。戦形を 変へるかカット戦形で有利なやり方に変へるべきだ。
入試も同じである。試合だと見做し全力を尽くしてほしい。

六月二十五日(水) 洗濯物とヨーグルト
引退して激変したことがある。洗濯物の数が減つた。かつては洗濯機が一杯だつたのに、 余裕が出るやうになつた。私は家事祈祷、ではなかつた家事のうち洗濯と干すのが担当 である。だからすぐ実感した。
あとヨーグルトが無くならなくなつた。私の父は大腸癌で亡くなり、私自身は鼻アレルギー だからヨーグルトは毎日食べるやうにしてゐる。農協、ではなかつた生協に毎週注文するのに 450gがあつといふ間になくなる。
ヨーグルトはアレルギーを抑へる働きがあるといふし、私は家族全員に食べるやう云ふのだが 私以外は食べない。ところが下の子がたぶん練習後に帰宅してご飯とおかずを食べても足り ない。丁度ヨーグルトがあるからとあつといふまに全部食べてしまふ。ヨーグルトは一回100g と言つても駄目である。帰宅のときスーパーで400g110円のものを買つてもなくなつてしまふ。 ところが引退後は無くならなくなつた。

六月二十八日(土) 文化体育館
昨日神奈川労働プラザで組合員の団交があり私が労働側代表を務めた。その帰りに文化体育館が 近いのでどんなところか寄らうと思つた。しかし帰りに石川町に来てしまひ、中華街を見て帰つた。うち の子は高校のクラブが終了した後、ほとんど毎週のようにここに練習に来てゐた。普段は顔を合はさない 強い人とも練習できることが理由らしい。(完)


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