五百六十八(甲)、東急バス一日乗車券(陸軍獣医学校跡、松陰神社、東98系統)

平成二十六甲午
五月四日(日)「東京タワー、日比谷公園、東京駅」
一ヶ月前に陸軍獣医学校跡を訪ねたとき、境界標識が一つ見つからなかつた。それを探すのと、二ヶ月前に萩の松陰神社に参拝したので今回は世田谷の松陰神社に参拝するのと、都バス撤退後のバス東98系統(東京駅-等々力操車所)に乗る。この三つを同時に行ふには東急バスの一日乗車券(510円)が便利である。
せつかくだからゴータミー精舎、東京タワー、渋41系統(大井町-渋谷)の旧玉川電車跡廃止後、都バス短縮後の森91系統(大森-新代田)にも乗らう。以上の七つの目的で出発した。

まづは東京タワーに行つた。私は東京スカイツリーには行つたことがない。ああいふ混むところは行きたいとも思はない。それよりテレビ電波の発信機能の無くなつた東京タワーは行く価値がある。バスを降りて坂を上がると「東京タワースタジオ」といふ小さなビルが目に入つた。小さなビルであり、セキュリティ上の理由でトイレは貸せないといふ表示があるので、東京スカイツリーが事故あるときの代替発信施設であらう。
家に帰り調べるとかつてはテレビ東京の本社兼スタジオであつた。それにしては小さいが地図を見ると間口は狭いが奥行きが広い。テレビ東京が移転の後は同局とは独立のスタジオとして活用されたが二年前に老朽化で閉鎖とある。暫定的に発信施設を残すのかも知れない。
東京タワーは四階が全面改装中だつた。十五年ほど前に行つたときは政府系の広報施設だつた。一階を歩いて感じたことは東京タワーを訪問するのは外国人の団体観光客がほとんどで、それが寂れた理由である。電波が移転した以上に影響は大きい。

東京タワーから再乗車し東京駅に向ふと日比谷公園周辺に機動隊が多数ゐた。噴水前に多数のテントも見えた。といふことで日比谷で下車し公園に入つた。テントはグルメ博で、ドイツ、アメリカ、フランス料理などが出店した。しかしビール一杯八百円と高いから見るに留めた。
東京駅丸の内北口のバス停は乗り場が真ん中の列(三番)だつたが今年四月に中央郵便局から一番遠い列(一番)に変更された。私の知る限りでは二十年近く真ん中の列だつたから大きな変更である。八重洲口に行き長距離バス乗り場と大きなテント型の屋根を見た。テント型の屋根は八重洲口の新しい特徴だが何の感動もなかつた。昔の古ぼけたバス切符売り場がよかつた。日本の建築物はプラザ合意以降ぜいたくになり過ぎた。

五月四日(日)その二「玉川電車跡の転車台、ゴータミー精舎」
かつて玉川線といふ路面電車があつて渋谷から道玄坂上までは銀座線の車庫の北を走る専用軌道だつた。地下鉄玉川線が廃止ののちは渋41系統(大井町-渋谷)の専用道路だつた。玉川線は終点に着いたら折り返せるがバスはUタ-ンさせなくてはならない。そのため転車台があつた。バスが乗つた後に運転手が窓から手を出して上から下がつたスヰッチを押すと半回転した。
平成六年に渋谷マークシティ建設のため廃止された。その十年以上前から渋41系統には乗つたことがないので今回乗つてみた。渋谷に到着の後は幡ヶ谷折り返し場行きのバスに乗つた。折り返し場の向ひにゴータミー精舎といふスリランカ上座部仏教の寺があるためである。しかし鍵が閉つてゐた。呼び鈴を押しても出てこない。入口にウェーサーカ祭のパンフレットがあつたので一部頂いた。

五月五日(月)「松陰神社、森91系統」
松陰神社へ向ふ商店街に松陰と幕末の志士の写真と略歴を壁に展示する店がある。松陰の雑誌を独自に出版し、松陰の書物或いは松下村塾で使用した教材かも知れぬがそれを元気良く読む声の録音を流してゐた。このように読むと心が清浄になる。
松陰神社では本殿参拝の後に松下村塾(模造)を見学し墓地にお参りした。吉田松陰ファンともいふべき人たちが途切れることなく参拝し、その有様は観光地の萩と同一であつた。

次に環状七号線を走る森91系統で大森操車所まで乗つた。かつては都営バスと共同運行で新宿西口-大森操車所といふ長距離路線だつたが、昭和五十九年に都営が新宿西口-新代田駅-駒沢陸橋(平成五年までは野沢銀座だつたが東急の折り返し所廃止で少し延長)、東急バスが新代田駅-大森操車所になつた。都営は宿71系統を統合したため三本に二本は新宿-新代田駅止まりの形になつた。その後、駒沢陸橋まではダイヤ改正の度に本数が減つたが昨年三月末でつひに新代田-駒沢陸橋を廃止して都営と東急は完全に分離した。
このとき共同運行だつた東98系統から都営は撤退したため、都営と東急の共同運行はこのときを以つて消滅した。(完)


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