五百六十七、第九条を守ることに賛成、護憲には反対(変質した平和運動)
平成二十六甲午
五月四日(日)「日比谷公園」
昨日東京駅行きの路線バスに乗ると、日比谷公園の周辺を機動隊が厳重に警戒してゐた。そこで日比谷の停留所で下車し寄ることにした。
日比谷公会堂の入口に労組ののぼり旗を掲げた人たちが列を作つてゐた。整理券配布の最後尾といふ表示があつたが、私はバス旅行の途中だから並ばなかつた。しかし仮に時間があつたとしても絶対に並ばないだらう。日本の革新政党と平和運動はソ連の崩壊以後、或いは村山富市の日米安保条約容認以降、変質してしまつた。
参加団体は全建総連傘下の組合や全教など共産党系の印象を受けた。しかし新社会党の宣伝カーが駐車場にあつたので社会主義協会系の集会かなと疑問に思つた。社会主義を目指すのにアメリカの押し付けた憲法を守つてはいけないからである。
家に帰り、インターネットで調べて判つた。第14回「5・3憲法集会&銀座パレード」とある。共産党委員長と社民党党首が挨拶した。第1回は平成十二年。村山富市のせいで日本社会党が崩壊したあとで、しかも小渕恵三が急死した一ヶ月後であつた。私は船橋洋一の英語公用語論が出るまでは親米派だつた。日本が半植民地状態なのはアメリカではなく日本自身が悪いとする立場である。しかし船橋の英語公用語論を見て即座に反米独立派に転じた。小渕恵三は逆に首相私的懇談会を作つて船橋洋一をメンバーに加へ、英語第二公用語といふ世界の笑ひ物になる愚作を発表した。
第一回目の集会が行はれた当時を思へば、この集会の性質が判る。イラクでの化学兵器をでつちあげて戦争を始めた米軍の存在を容認する日本の平和運動。その欺瞞をまづ指摘せねばならぬ。
五月五日(月)「ポスター」
集会のポスターには
生かそう憲法輝け9条
といふ見出しとともに
日本を戦争する国にするな!
集団的自衛権行使反対!
秘密保護法廃止!
STOP!!国家安全保障基本法
東アジアに平和を!
安倍政権の暴走を止めよう!
と書かれる。私はこれらすべてに賛成である。強いて言へばSTOPなんて変な外国語を用いてはいけない。さういふ些細な点を除けばすべてに賛成だが、それでも問題点がある。それは国の独立が抜けてゐる。国の独立があるから、戦争する国になるな、集団的自衛権行使反対などがある。平和を守るといふ崇高な集会なのに反発する人が多い理由は、国の独立が抜けてゐるからだ。
かつては安保条約反対で独立の意味があつた。当時は冷戦時代でアメリカに付くかソ連中国に付くかで安保条約に賛成の人も反対の人もゐた。今は冷戦がないから安保条約は廃棄しなくてもよいが、条約は軍事に限るべきだ。そして独立を達成すべきだ。
日本が独立できない理由はマスコミの偏向にある。だからマスコミの偏向を批判する方法もある。しかしその言葉もない。
五月六日(火)「伝統ある集会に戻すほうがよい」
日本は昭和二十年以降、メーデーや安保反対闘争や労働運動が少なくとも昭和五十五年辺りまでは正常に続いてゐた。その伝統をなぜ引き継がないのか。十四年前と言へば既に社会党が三つに分裂し小渕敬三が英語第二公用語と騒いだ時機だ。当ホームページは十五年前だから当ホームページより伝統が短い。
私は今では解党直前の社会党をゴミ溜め議員と呼び、共産党を左翼崩れと呼ぶ。前者は議員の特権に目の眩んだ連中の集まりだし、後者は共産主義の可能性がないのに対策を立てずに共産主義を信じるからである。社会主義なり共産主義を目指すことは社会を建設することである。その可能性がないのに信じることは社会の破壊である。
機動隊が多数ゐて日比谷通りは片側で二車線をふさぐ。バスは歩道側のバス停から中央車線に入るから交差点を通過するのに信号を二回待つた。警察はずいぶん過剰警備だとそのとき思つたが、右翼の反対を警戒したのだつた。
右翼がこの集会に反対するのは十分に理解できる。この集会に国の独立が抜けてゐることは既に指摘した。国の文化も抜けてゐる。唯物論と呼ぶ所以である。私が民社党分裂前の社会党を目指すべきだと主張する理由もここにある。民社党は自民党以上に右翼と言はれたこともある。その民社党をも含む運動ではないと国民の支持は集まらない。
五月十日(土)「守備しかない野球の試合があつたら」
野球は三アウトになる度に攻守が交代する。もし片方のチームは攻撃だけ、もう一方は守備だけの試合があつたら観客は集まるだらうか。自分が応援するチームが守備の試合は見に行かないだらう。社会党が崩壊して以来、社民党と共産党のやつてきたことは守備の連続である。護憲、護憲と叫ぶだけだつた。だから国民はそんな面白くない試合は見ない。
人類史上最悪の戦争犯罪人トルーマンとマッカーサの押し付けたゴミ憲法を全面改正しよう。これくらいのことはいふべきだ。ところが社民党と共産党のすることは拝米反日である。日本の帝国主義は欧米の帝国主義を猿真似したため発生した。これが正しいのに欧米は正しく日本は間違つてゐたといふ丸山真男なみの主張を繰り返す。だから国民に見放された。(完)
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