五百四十五、ミャンマー経典学習会(その四)


平成二十六甲午
二月二十四日(月)「十五分の余裕」
新しく通訳をしてくださる方になつて今月で三回目である。先月参加できなかつたから私にとつては今回が二回目である。いつもは地下鉄の千川から歩く。昨日は家を出る五分前になつて吉祥経を印刷した二枚がないことに気付いた。家を探したが見付からない。組合事務所に他の荷物とともに忘れてきたことに気付いた。といふことで組合事務所に寄り東池袋駅に向かつた。池袋駅より少し近いからである。
ところがサンシャインビルの横で道を間違へた。あの辺りは私が以前勤めたコンピュータ専門学校のすぐ横である。何であんなところで間違へるのかといふか道に詳しいから近道をしようとして間違へた。そこで池袋駅まで走つた。これで五分無駄にした。そして東武東上線で中板橋に行つた。不思議と間に合つた。千川から会場は歩いて十五分だが深く考へずいつも三十分時間を取るため余裕があつたのであつた。
これまで会場に着くと私が一番だつた。その理由はここにあつた。今までは通訳のミャンマー人といつしよに座布団を並べ雑談をした。雑談は貴重な時間である。戒壇(シーマホール)や高僧の遺骨などの話もこのとき伺つた。

三月二日(日)「吉祥経(マンガラスッタ)」
今回は吉祥経の続きである。といつても前回は欠席したので私にとつては今回が初めてである。前回は、
世尊がジェータ林の長者の精舎に居住したところ夜中に容色麗しい神がジェータ林を全部照らしながら来て、世尊に最上の吉祥とは何かを質問した。
世尊は次のように説いた。賢者に親しみ愚者を愚者には近付かず尊敬すべきものを尊敬するのが最上の吉祥である。適切な場所に住み前世に積んだ功徳、心身を保つことが最上の吉祥である。

ここまでが前回である。今回は
宗教、生活の知識のある人、生活の技術のある人。ただし罪のある技術は駄目。僧には七つの罪がある。罪のないよう生活すれば涅槃に。人も同じで五戒を守れば涅槃に至る。口から悪い言葉を言はない、嘘を言はない。父母を養ひ妻子を守る。子を育てることは自分のためだけではなく世の中のためである。(1)悪いことをさせない、(2)いい行動、考へをするよう躾、(3)罪のない技術を学ばせる、(4)金を渡して自立、(4)適切な人と結婚させる。飲酒、麻薬は親や目上に悪い行動をさせる。

以上の説法があつた。次に質問で僧の七つの罪についてあつた。これはパラジカ(僧伽追放)で四つの罪、サンガチセサ(僧伽停止)で十三の罪、など七種である。
私は飲酒を禁止するのは日本ではなかなか難しい、タイにもシンハービールがあると質問した。通訳の方がミャンマーにもミャンマービールがあると苦笑された後で僧侶の解説は
酒の罪は現世では(1)健康に悪い、(2)意識を失ひ後悔する、(3)周囲にも迷惑、(4)家庭不和であり、来世にもある。日本はまだましで、ミャンマーは度数が高くいろいろな物を入れるので若くして亡くなる人も多い。皆が飲むからといふのではなく仏陀の教へでは飲酒は避けるべきだ。

といふ法話があつた。

三月三日(月)「酒の話」
日本でも酒についてはいろいろ苦しい解釈が為されてきた。インドは暑くて果実酒は腐りやすいから釈尊は酒全体ではなく果実酒を禁止されたのだ、酒で害があつてはいけないが適度ならよい等々。
今の日本ではかつて日本酒が一般的だつた時代と比べて酔つ払いが少なくなつた。酒を飲んでも悪酔ひする人はあまりゐない。暫定的にビール程度の度数ならよいことにして日本酒も飲んだ後で水を飲んでビールと同じ度数にすべきだ。
勿論これは暫定である。仏教が日本で活性化を取り戻した後は酒を飲む人はほとんどゐなくなるに相違ない。

三月四日(火)「旧妙信講講員からの電話」
昨日地下鉄の車内で携帯に電話があつた。旧妙信講の男子部員からで次の駅に降りて話を続けると今年男子部結集大会があり参加してほしいとのことだつた。人数を結集するのが大変なことはよく判るから参加すると返事をした。機関紙を自宅にときどき送つてよいかといふのでそれは止めてほしいと言つた。
これは旧妙信講ではないが、昨年田中智学門下の或る団体が池上本門時のお会式で中華料理は食べないとくだらぬ話をした。だから日蓮系とは一切手を切ることにした。しかし日蓮系と敵対する訳ではない。上座部仏教では「ナモタッサーーー」「ブッダンサラナンーーー」その他のお経を唱へてから儀式、瞑想、学習会に入る。私は瞑想の前にこれらと共に題目や念仏を一回か三回混ぜてから行ふことがある。大乗仏教も瞑想と考へてのことである。
日蓮系はもし他の宗派を批判するのだつたら短期間に布教を完成させなくてはいけない。しかし過去に室町時代、戦前の田中智学、戦後の創価学会と三回実施し三回とも失敗した。もはや無理だが旧妙信講が国立戒壇を目標にする以上、一回は入会して確かめる必要があつた。これは日蓮系ばかりではない。浄土系、真言系、神道、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、儒教道教。あらゆる宗教で短期間のうちに国民の大半に布教できるとする団体があつたら一旦は入会してみる必要がある。達成の暁に宗教の自由と非信徒が不利にならないことを認めさせることは必須ではあるが。

三月五日(水)「動員に費やすエネルギー」
旧妙信講が日本中に布教を完成させる可能性は皆無だから参加することは時間の無駄である。後日考へるとそんな気もする。しかし一旦約束した以上は日程が重ならない限り参加しようと思ふ。動員は大変だからである。労働組合でも動員は大変である。大企業労組は集会でも大会でも日当を払ふから動員は簡単である。中小はそんなカネはない。日比谷野外音楽堂や代々木公園で集会を開いたとする。それで原発がなくなつたり非正規雇用がなくなつただらうか。それに費やすエネルギーを他に回し必ず実効のある活動を行ふ時期に来てはゐないか。
ミャンマーの経典学習会は動員を掛けるわけではないのに毎回参加者が十名前後ゐる。かつてはもう少し多かつたがミャンマー帰りの日本人比丘の瞑想会が毎週あるため多少少なくなつた。しかし毎回続く。これはすばらしいことである。(完)


上座部仏教(13)
上座部仏教(15)

メニューへ戻る 前へ 次へ