五百三十九、昭和三十九年の東京オリンピックの当時に戻らう


平成二十六甲午
一月二十六日(日)「全ての政党が占領体制の脱却を目指した時期」
昭和三十九年の東京オリンピックのときの日本は今とは大きく異なつてゐた。すべての政党は戦後の占領体制からの脱却を目指してゐた。自民党は自主憲法、社会党は社会主義、公明党は国立戒壇、共産党は共産主義、民社党は民主社会主義。

一月二十七日(月)「諸悪の根源は既得勢力だ」
昭和二十年以降の日本は米軍占領地域だから昭和四十年まではすべての政党に現状を変へようといふ気概があつた。しかしその後昭和五十年までは高度経済成長に巻き込まれ米ソの冷戦にも巻き込まれた。それでも昭和四十年代前半に大都市に革新知事や革新市長を当選させた。なぜ農村部で革新知事や革新村長、更には革新農業組合長が生まれなかつたかといへば農村は農地改革で既に社会主義が達成されてゐたからだ。

一月三十一日(金)「旧財閥企業も社会主義が達成されてゐる」
財閥を解体して生まれた企業も、企業が黒字である限りに於いては企業内では社会主義が達成されてゐる。だからこれらの企業は労働組合を作つてもそれは体制内の労働組合だから本当の労働組合ではない。労働組合を作つても単産の有力組合になつてはいけないし総評や同盟の中心になつてもいけなかつた。
企業内で社会主義が達成された場合に雇用権を労働側が獲得すれば企業は本当の社会主義になるし労組も本当の労組になる。しかし雇用権を会社が握ると労使ともに社外の犠牲の上で自分たちだけいい思ひをしようとするようになる。先の消費税増税騒ぎはその典型である。

二月二日(日)「子または孫の世代を考へよう」
円高のおかげで物価が下がつたから、生活は楽になつた。だから現状が良いと思ふ人も多い。しかし自分たちの世代はよいが子や孫の世代を考へると今の世の中は極めて悪い。円高は失業を生む。しかも円高は自動的に人件費を上げるから非正規雇用を使ふ悪徳企業が続出した。かうなつたのは歴代政治屋どもがアメリカの圧力に屈したりアメリカの猿真似をして来たからだ。
今こそアメリカの圧力や猿真似の少なかつた昭和三十年代の意識に帰るべきだ。あの当時はすべての政党がアメリカの猿真似はしなかつた。考へてもみよう。自主憲法、社会主義、国立戒壇、共産主義、民主社会主義。アメリカとの共通点は一つもない。そしてあの当時は政党だけではなく国民すべてが元気に働いてゐた。

二月四日(火)「今ほどマスコミの堕落はひどくなかつた」
東京オリンピツクの当時は今ほどマスコミの堕落がひどくはなかつた。日本の大手マスコミは数が少ない上に長期に亘り偏向を批判されずに来た。そのため堕落がひどい。世の中を動かしてゐるのは自分たちだと勘違ひするようになつた。それだけではない。どこからか圧力があるようだ。普通に考へれば官邸機密費である。
今回の都知事選は各マスコミが細川落としで動いてゐる。まづ桝添有利を流し細川陣営と支持者を浮き足つやう仕組んだ。次に細川と宇都宮が競り合ふ印象を与へ票を分散しようと試みた。マスコミがまづ東京オリンピック当時に帰らなくてはいけない。

二月五日(水)「国内の全ての堕落」
官邸機密費ばかりではない。アメリカ大使館や西洋各国大使館は堕落の原因である。まづ大使と会つたとしよう。銀行の新人行員に毛の生えた程度の連中の名刺に「支店長席付」といふのを私が二十代のときに見たことがある。それと同じで大使といふのは偉くも何でもない。「国務長官席付」といふか「国務長官席離れ」である。
大使館員、こんなのは偉くも何でもない。「平社員」といふのと同じである。それでも普通の日本人は感激する。このような手口で官僚、国会議員、新聞社、ニセ経営者(サラリーマン経営者)団体連合会副会長などがやられた。

二月六日(木)「私の勤務先も一回大使館員が訪問したことがある」
今から二十一年前、今の会社に移る前の勤務先にニュージーランド大使館の職員が二人来訪したことがある。商務部の所属だつた。ソフトウェア製品の日本側代理店の開拓である。私が担当しパソコンにインストールして調査をしたが、製品化してもそれほどの需要はないといふ結論になつた。
日本で売り込むのだから商務部員は日本語を使ふか通訳を同伴してマニュアルも日本語化すべきだといふ議論は別にして、商務部員は自国製品海外営業部員である。それが大使館員の肩書きで訪問する。
このときは商務部員だつたが政治工作部員が多数マスコミや官僚、国会議員、新聞社、ニセ経営者(サラリーマン経営者)団体連合会を訪問することだらう。そしてアメリカの猿真似を繰り返す珍妙な連中が多数誕生した。

二月九日(土)「東京オリンピックの時代に戻らう」
六年後の東京オリンピックでは昭和三十九年の東京オリンピックと別のことをやらうと考へてはいけない。勿論技術の進歩はあるからそれは取り入れるべきだ。しかし根本は変へる必要は無い。若い人達に東京オリンピックの観劇を再び伝へる。三波春夫の「東京五輪音頭」と安西愛子、三浦洸一の「この日のために」を復活させる。
そして何より必要なのは国民の精神を昭和三十九年当時に復活させることである。昭和三十九年といふとずいぶん時代遅れではないかと心配する人もゐよう。しかしその心配はない。その数年後に東京の路面電車の全廃計画が始まつたし昭和四十五年の大阪万国博覧会では「人類の進歩と調和」が標語となつた。つまり昭和四十五年に人類は既に進歩し過ぎた。(完)


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