五百四十、一階の部屋に虫が出た事件


平成二十六甲午
一月三十一日(金)「虫が部屋の中に」
我が家は十四年前に中古住宅を購入したがそれぞれ寝ても居間が余る。親戚が来たときに居間を使ふことはある。ところが三週間前に下の子の部屋に長さ1cm弱の虫が多数出てそれ以降、下の子は居間で寝るようになつた。居間にはパソコンがある。そのため私のホームページ作成に支障を来たすようになつた。
虫といふのはなめくじを十分の一に縮小した形である。私は畳のすきまから入るから新聞紙を詰めればよいと思ふ。
しかし妻は畳の中から湧いたといひこれも一理はある。家を購入したときここの部屋だけ畳替へをしなかつた。それ以降畳替へはどの部屋も十四年間しなかつた。畳を剥がすとすきまの下は板が空いて縁の下に繋がる。これは土から虫が上がるのだらう。
新聞紙を詰めて畳を雑巾で拭けば解決するが、ベツドを購入することにした。畳に布団を敷くと湿気で虫が出るといふ。そして昨日からベッドを使用するようになつた。居間が帰つてきた。

二月一日(土)「便所コオロギ」
家に侵入する虫でまづ思ひ出すのは便所コオロギである。根津の家は昔から水洗が完備されたためほとんどの家が簡易水洗といふ装置を用いた。簡易水洗とは台所で使用した水をコンクリート製の縦1m横50cm高さ30cmくらいの水溜めに入れ便所で床から出たペダルを踏むと水が流れる仕組みである。
当時は便所内と家の裏側の水溜めの周辺に便所コオロギがゐた。武州足立郡に引つ越した後はゐなかつたので、これは簡易水洗だから生息するものとばかり思つてゐた。調べてみるとカマドウマ(竈馬)と言ひ翅は持たず長い後足で跳ねる。馬に似てかまどの付近に生息するのでさう呼ばれるさうだ。
かつて家屋は密閉度が低く野生の昆虫と共存した。今は家屋は自然界とは隔離されたものになつた。このことは人の思考に影響する。ここ二十年ほど拝西洋の怪しげな連中が多数出現したのも米ソの冷戦終結とプラザ合意による円高のほかに自然界との隔離があることは間違ひない。

二月一日(土)その二「蛾の大群」
家に侵入する虫で二番目に思ひ出すのが信州松本郊外にある母の実家である。裏に狭い村営墓地がありその後方は山の斜面が美ヶ原まで続く。夕方になると家の中の鴨居の上の壁に蛾がぎつしりと止まる。柱が畳の横幅間隔にあるから横1m50縦1mの白壁に100匹近くおとなしく羽を休める。窓には網戸があるのに不思議である。といふか今思ひついたがどこか窓を閉め忘れたのだらう。
夜遅くだか明け方早くだかバスがダブルクラッチでギアチェンジするエンジン音をはるか遠くに布団の中で聞いたことがある。美鈴湖か美ヶ原行きのバスである。ダブルクラッチとはギアを上げるときはニュートラルで踏んだクラッチを一旦上げてから再び踏む。ギアを下げるときはニュートラルでクラッチペダルを上げるとともにエンジンを吹かしてからギアを接続する。そのエンジンを一旦吹かす音である。それくらい裏は斜面だつた。ところが12年前に山火事がありはげ山になつてしまつた。あのときは裏の墓地の火の不始末から出火し篠ノ井線の明科駅近くまで広域に燃へて大変なニュースだつた。あれ以降夕方に窓を開けて放置しても蛾の大群は家に入つてこないだらう。木が生長するには年月が掛かる。

二月二日(日)「虫の音」
秋になると足立郡の実家でも今の家でも庭に虫の音が聞こえる。小さな庭だし虫の姿は夏には見えなかつたのに不思議である。
最近興味深い記事をインターネットで読んだ。高層マンションに住む子どもは学力が低いといふのだ。その理由は自然界と隔離されたためだ。道端の草や花や昆虫。これらと隔離されたところに住めば学力は低くなる。尤も高学年になつてから引つ越せば学力の低下は見られないさうだ。一人の専門家が感受性が完成した後に引つ越せば影響がないと解説したが、私は別の意見を持つ。
学年が上がるに連れて塾や家庭教師で誤魔化せるようになる。高層マンションに住める人は教育にもカネを使ふからだ。或いは学年が上がるに連れて教科の内容が世の中と乖離する。別の言ひ方をすれば教育の堕落である。教育再生には猿真似ニセ学者やニセ政治屋やニセマスコミがいろいろなことをいふ。しかし西洋式の学校を止めて日本式の寺小屋や藩校に戻す。これが一番よい。

二月四日(火)「下町の粋」
私は高校二年まで下町に住んだ。四軒長屋の二軒目だつた。商店街(昨年のNHK朝のテレビ小説「あまちゃん」の谷中寮のすぐ近くのアキが自転車で下つたりマメリンが歩いて上がつたあかじ坂の下)に店兼作業場の奥に四畳半、その後に三畳くらいの台所、二階は四畳半と六畳だつた(当時の日本は中の上、中の中、中の下とあるなかの中の中だらう)。裏には幅1m半の路地があつて古い火鉢と植木鉢を置いて植物を植えた。二階の物干しにもみかん箱を置いて植えた。当時はどんな貧乏長屋でも植木を育てるのが習慣だつた。
この当時、中の上は中庭があつた。銭湯にも中庭があつた。今は路地を作らず家を建てる。せつかく建ぺい率があるのに駐車場にしてしまふ。駐車場は屋根なしであつても建ぺい率の建物に含めるべきだ。

二月五日(水)「人間には大自然が必要だ」
下町の密集地帯でも裏庭や植木があつた。郊外の住宅地は周辺に市街化調整地域があつたし宅地には庭があつた。今は大自然のない空間があまりに多い。諸悪の根源はプラザ合意による円高である。詳細な原因を探れば消費税、敷地内の駐車場、高層マンションから排出される大自然意識を持たない異常人格者の出現である。
異常人格者は言ひ過ぎだといふ向きもあらう。しかし人類は大自然や伝統文化とともに生きることで永続してきた。高層マンションは自然とは隔離された空間であんなところに住んだら人格が異常になる。虫が時々は出てくる家が一番よい。(完)


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