五百十八、天台宗を調べる


平成25年
十二月二十四日(火)「書籍『わが家の宗教 天台宗』を読む」
図書館で『わが家の宗教 天台宗』を借りた。天台宗にも座禅があり止観と呼ぶ。座禅と止観はどこが違ふか調べようと思つたためである。
二回読み終つて感じたことは日蓮教学との類似である。日蓮諸宗と天台宗では教義がまつたく異なるが、今かうして天台宗を調べてみると類似点の多さに驚く。日蓮諸宗だけではない。昭和五十年辺りまでの創価学会でさへ一念三千、法華玄義、法華文句、摩訶止観、久遠実成などの用語を常時用いた。
上座部仏教を勉強し始めたときも昭和五十年辺りまでの創価学会をも含む日本仏教の類似を感じたものだつたが、なるほどその原点は天台宗にあるのかと判つた。つまり上座部仏教と天台宗の類似、天台宗と日本の各宗派の類似である。

十二月二十七日(金)「書籍『図解雑学 密教』も読む」
もう一冊『図解雑学 密教』も借りた。こちらにも台密として比叡山や伝教大師が載るので興味深く読んだ。この本は密教を調べるために借りて一通り読んだのだが、密教のことは初期、中期、後期とあつて中国や日本には後期は入らなかつたこと以外は興味がなかつた。
成田山や川崎大師では宗教性を強く感じる。だから真言宗は立派な宗派といふ印象を持つが、一方で葬式のときに法話をせずに帰る悪徳坊主が真言宗は目立つ。その点、曹洞宗や日蓮宗は僧侶が優れてゐる。その理由は曹洞宗では座禅会で信徒を指導する機会が多く、日蓮宗は創価学会との対抗や荒行で宗内に緊張があるためであらう。成田山や川崎大師に宗教性を感じるのは祈祷などで参拝者がたくさん来るためかと今回思つた。

十二月二十八日(土)「天台宗は総合仏教」
私はこれまで伝教大師は天台大師の教へを日本に伝へたのに第三代天台座主の円仁と第五代座主の円珍が密教化したと思つてゐた。しかし伝教大師は天台山以外にあちこちの寺院で密教、禅を学んだ。だから帰国後に天台宗に二名の年分得度が認められたときに一名は大毘盧遮那、もう一名は摩訶止観と太政官符で決められた。
円仁は十年間唐に滞在し念仏も日本に伝へた。円珍は五年間当に滞在した。そこが伝教の二年間滞在し通訳も同行したのとの違ひである。
比叡山はその後衰退をするが良源により中興された。良源は円仁以来の浄土教にも深い関心を示した。良源の弟子の源信と覚運は恵心流、檀那流となる。かつて創価学会は大石寺末の中野教会に所属してゐたが中野教会の主管手塚寛道師は後に僧籍を維持したまま宗門を離れ恵心流と檀那流の片方が正しくもう一方に口伝法門のような間違つたことが伝はつたと主張されてゐた。そのことを懐かしく思ひ出した。
比叡山は法華、密教、浄土教の総合仏教といふ説を読んで法然、栄西、日蓮などが比叡山から出た理由が判つた。

十二月二十八日(土)その二「日蓮との共通点」
創価学会がかつて所属した大石寺では宗規に正依として法華経開結、御書、日興、日目、日有、日寛の著述、傍依として摩訶止観、法華玄義、法華文句と決められてゐる。だから創価学会も昭和五十年頃まではこの規定に従つてゐた。私が天台宗に創価学会との共通性を感じたのはここである。ここで創価学会だけを取り上げた理由は、日蓮宗や法華宗やその他の日蓮系宗派が天台門流なのは当然だからである。
書籍『わが家の宗教 天台宗』には日常勤行として三礼、懺悔文、開経偈、妙法蓮華経如来寿量品第十六、摩訶般若波羅蜜多心経、宝号など十二が載る。このうち宝号には
南無大恩教主釈迦牟尼如来
南無西方極楽教主阿弥陀如来
南無妙法蓮華経
南無高祖天台智者大師
南無宗祖根本伝教大師

である。南無妙法蓮華経が日蓮の発明でないことが判る。併せて曹洞宗、日蓮宗、浄土宗でなぜ開経偈など共通点が多いのかも判つた。

十二月二十九日(日)「鎌倉仏教」
鎌倉仏教の特徴は念仏、禅、法華経のうちの一つのみに特化したことにある。末法だから従来の仏教を離れたとも考へられるが、当時の仏教が堕落してゐたからとも考へられる。しかしその割には従来の仏教からそれほど大きく離れてはゐない。釈尊に始まる仏教の歴史に収まる。例へば創価学会の属した大石寺の日寛が仏法僧の三宝で新しい解釈をしても、釈尊の規定した仏法僧の三宝の範疇に収まる。日寛の日蓮本佛論も当時大石寺門流に広まりつつあつた造仏論への反論と解釈できる。
今回の特集は書籍『わが家の宗教 天台宗』の備忘録の意味で始めたが、期せずして大石寺の論評で終はることになつた。大石寺について言へば阿部日顕前貫首は漢詩と書道の造詣が深くアジアの一員としての仏教の立場だつた。この立場を取れる最後の貫首かも知れない。(完)


大乗仏教(禅、浄土、真言)その四
大乗仏教(禅、浄土、真言)その六

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