四百八十四、秋田けけけ祭り(及び秋田内陸線)


平成25年
九月二十九日(日)「国際フォーラム地上広場」
金曜の夕方から日曜まで、有楽町の国際フォーラム地上広場で「秋田けけけ祭り」が開かれる。私は土曜に見に行つた。会場は15分で見終はつた。このまま帰らうとも思つたが余りに短い。これと思ふ秋田料理は長蛇の列だから有楽町ガード下の立食ひソバ屋で昼食を済ませ、再び会場へと向つた。
「けけけ」といふ言葉は秋田県にない。もしかして秋田県と岩手県の区別がつかず「あまちゃん」と関係があるのかとやつて来て「け、け、け、あまちゃんの展示がない」と驚くことを狙つたのではないか。本当の理由は「け」とは食べよといふ意味があるさうだ。また「見にけ」「食べにけ」「湯にけ」の「け」は来いといふ意味でこれが公式発表であつた。
私はあまちゃんとの関連を探した。舞台の秋田民謡(大曲農業高校郷土芸能部)の踊り手の衣装と梵天の柄は「あまちゃん」の海女の法被の柄とそつくりだつた。
次にpramoといふ三年前にオーディションで選ばれた五人の地元アイドルグループのうち二人が出演した。五人の結成は三年前だが二人の振り付けが潮騒のメモリーズに近かつた。観客スペースに六人くらいのおたくグループがゐて、そのうちのめがねをかけた連中がひびき一郎にそつくりだつた。
オープニングセレモニーで秋田美人100人が紹介され、その後に観光資料配布が行はれた。これも女性で観光客を呼ばうといふ北三陸観光協会の発想である。

九月三十日(月)「二つの舞台」
私は「なまはげ太鼓」「秋田民謡(大曲農業高校)」「Pramoライヴ」「オープニングセレモニー、フォトセッション」「おやまばやし(角館高校)」「西馬音内盆踊り」「仙道番楽」「竿燈」を見た。国際フォーラム地上広場のほかに有楽町駅前にも舞台があるので、「仙道番楽」と「竿燈」は掛け持ちで見た。
有楽町駅前は最初は「竿燈」だけの計画だつたのに、後から舞台を追加したのではないか。二つの会場の連携が悪く有楽町駅前を知らずに帰つてしまつた人が多い。私もその一人で有楽町を見ずに帰つた。翌日は別の用事があるのだが、さういへば秋田犬の展示を見なかつたといふことでインターネツトで調べて翌日朝一番に来て、「秋田民謡(大曲農業高校)」の二日目と「仙道番楽」と「竿燈」を見て大急ぎで会場を後にした。秋田犬は二匹ゐて係のじいさんがつまらなさうな顔をして座つてゐるだけだつた。秋田犬の解説を展示するなど工夫をするとよかつた。

十月一日(火)「舞台横」
今回のお気に入りの場所は舞台横である。向かつて右側は音響係と出演者待機を兼ねる。ここは二十人ほど見物客がゐた。二日目の「秋田民謡(大曲農業高校)」の始まる前に梵天を持つた待機中の生徒に梵天はだういふ漢字で書くのか尋ねた。
舞台で説明する人は東北言葉の感じを出すとしても「あまちゃん」式に助詞の「に」を「さ」に変へる程度である。「し」と「す」、「ち」と「つ」の区別をしない人はゐなかつた。しかし大曲農業高校の生徒は純正な東北言葉で偉い。
舞台向かつて左側は観客が少なく見やすかつた。出演者が大人数のときはこちらから入場することもあつたが、次の出演者たちと並んで舞台を見た。

十月二日(水)「秋田県の長所と短所」
全国の県歌を五年ほど前に全部聴いたことがある。歌詞、曲ともに優れるのは秋田県で「秋田県民歌」と「県民の歌」の二曲がある。特に前者は一番の歌詞が「秀麗無比なる鳥海山よ」で始まり、二番は「廻らす山山霊気を込めて」で始まる。歴史の重みを感じる。
全国四十七都道府県のなかで秋田県以外に歌詞、曲ともに優れるのは長野県である。埼玉県も曲はよいが歌詞は四番の「北に大利根、荒川は、南をめぐり」がだうも引つ掛かる。
秋田県の短所は国際教養大学である。偏向マスコミ、特に経済関係のマスコミに過度に採り上げられることがあるが、その教育方針は絶対に反対である。将来世界で役に立つ人間は絶対に育たないと断言できる。

十月三日(木)「山形新幹線と秋田新幹線」
舞台では一つの出し物が終はると、観光関係者が登壇する。だから三十分時間があつても実質は十五分である。観光関係者の話は正直なところ面白くないがテレビのコマーシャルと同じで必要悪、或いは忍耐の訓練だと思つて聴いた。今思ふと挨拶は抜きで観光地の魅力をもつと話すとよかつたのではないか。
来年は山形県がキャンペーンといふことであつみ温泉など山形県の三つの温泉が登壇した。だから山形新幹線もまとめて話すと、秋田新幹線と山形新幹線は秋田、山形が全国に誇つてよい。在来線も走るし新幹線車両も乗り入れる。こんな便利なものはない。技術面から見れば在来線に乗り入れる車両は新幹線専用の車両と比べて短い。だから高速性能を同じに保つには高度な技術が必要である。或いはホームまでの距離が短いから乗降口に橋が要る。その技術も評価してよい。
それに比べて東北新幹線はよくない。盛岡から先は在来線が廃止され第三セクターになつた。もともと盛岡から先は沼宮内八戸間を除き山形新幹線方式で作る計画だつた。ところが政治屋がねじ込んで今の形態になつた。今の形態では青森市を除いて地元に利点はない。北海道新幹線ができれば今の形態のほうが速いから北海道は利点はあるだらう。しかし現時点ではないし、岩手県や青森県は将来もない。だから地元と調和した山形新幹線と秋田新幹線は鉄道版GMTである。

十月四日(金)「秋田内陸線、その一」
列車の縫いぐるみが場内を歩いてゐた。近くにゐた職員に「由利高原鉄道ですか」と尋ねると「それとは別に秋田内陸線があるのです」と説明してくれた。確かに先頭に「ないりっくん」と行先表示が書いてあつた。たぶんJR東の路線が内陸線と名乗るのだらう。さう思つた。東北線のうち南側を宇都宮線と名乗るようなものである。
インターネツトで調べて「けけけけ」と驚いた。元は国鉄の阿仁合線(46.1km)と角館線(19.2km)で前者が1日に6往復前後、後者が3往復。後者に至つては昭和46年に開通し昭和56年に廃止が承認された。そして昭和61年に両方とも廃止され秋田内陸縦貫鉄道に引き継がれた。その三年後に旧阿仁合線 と旧角館線 の間(29.0km)の建設が完成し全線が繋がつた。そして11往復前後を運行するようになつた。更に専用車両による急行「もりよし」も2往復、その後1往復減便を経て今は1.5往復に増便された。

十月五日(土)「秋田内陸線、その二」
このように書くと順風満帆だつたように見えるが実際は逆だつた。開業時に100万人だつた乗客は36万人に減つた。昨年までは二両の専用車両で運行された急行が一両になり使用車両も一般車になつた。ダイヤも見直して各駅停車二往復が減便になつた。こぐま亭といふ駅のレストランは直営にした。車内販売やネット販売も実施した。それで平成二十年には二億四千万円だつた赤字を昨年は一億九千五百万円に下げて、県の設定した存続基準の二億円を何とか達成した。
同社のホームページには秋田内陸線壁新聞が載つてゐる。これまでの苦労と努力がよく判る。

十月七日(日)「第三セクター全体の繁栄と補助金削減のために」
長期には円高をプラザ合意以前に戻さないと地方は衰退する。それ以上の速度で地方の鉄道は衰退する。人口が減少するしガソリン価格が安くなつて自家用車が増へるためだ。円安に誘導する一方で輸出は増やさない。さういふ政策が不可欠である。
中期には旧東北本線の貨物列車の一部を花輪線と秋田内陸線に振り分け、IGRいわて銀河鉄道と青い森鉄道の大部分を単線化すべきだ。IGRいわて銀河鉄道と青い森鉄道は最初反対するだらうが、今は複線を維持するため莫大な経費が掛かる。JR貨物は国鉄分割時の経緯で安い線路使用料で運行できるがIGRいわて銀河鉄道と青い森鉄道はJRではなくなつたから、差額を鉄道運輸機構が支給する。つまり国庫から支給される。
第3セクター各社と補助金の合計額が安くなるようすべきだ。一方でIGRいわて銀河鉄道と青い森鉄道を時間を掛けて単線化し人減らしをせず両社が損をないようにする。そのためには貨物列車の振り分けがよい。線路容量が足りないときは三陸縦貫線(三陸鉄道、八戸線など)にも振り分けるべきだ。(完)


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