四百七十四、ミャンマー瞑想経典学習会、2.ミャンマーで修行した日本人上座部仏教僧


平成25年
八月二十七日(火)「久し振りの参加」
ここ数ヶ月、組合のビデオ上映会とミャンマー瞑想経典学習会が重なり、後者に出られない月が連続した。八月は久しぶりに重ならないので瞑想経典学習会に参加した。
私は前から瞑想(座禅)をすると肩が凝る。今までは一回が五十分として二回か三回目で起きたが、今回は一回目の途中でひどい肩凝りになつた。とは云へ久し振りに参加してよかつた。残念なお知らせもある。日本人と変らない日本語を駆使し、それどころか日本人でも知らない人の多い仏教用語を使つて通訳をしてくれた男性がミャンマーに帰国することになつた。

八月二十八日(水)「戒壇」
瞑想経典学習会は板橋区内の在日ミャンマー人の協会で行はれ、ここは商店街の狭い敷地に建てられたビルの一階が集会所(食事場所)、二階が寺院本堂、三階が僧侶の居住、四階は倉庫を流用した小さな礼拝室である。四階については今までさう思つてゐた。
学習会は通常二階で行ふが法事などがあるときは四階で行ふ。今回は四階だつた。壁にミャンマー語で何か書いてあるので始まる前に質問すると、シーマホールの完成法要のときにミャンマーから来日した高僧の名前ださうだ。シーマホールといふのはこの小本堂の名前たらう。さう気軽に考へたが実は戒壇のことである。小本堂の周りに白線が引いてあることを説明されて結界(Siimaabandha)だと気付いた。
上座部仏教の戒壇は日本テーラワーダ協会(東京幡ヶ谷)のスリランカのスマナサーラ師と関係が深い東京八王子の二ケ所が日本初(2006年)の戒壇だと聞いてゐたからそのことを質問すると大洋村にも戒壇があるとのことだつた。大洋村といふのは茨城県鹿島郡大洋村のことでここは東京西新宿の上座仏教修道会の系統でミャンマーのニャーヌッタラー長老である。

白線より内側は普段は誰でも入つてよいが僧侶の儀式があるときは沙弥(見習ひ僧侶)も入れないさうだ。だから冷房の室外機は白線を乗り越へないやう屋根の上に設置してある。

八月三十日(金)「或る高僧の話」
或る高僧の話が紹介された。ミャンマーでも高名な僧侶が寄進されたものを貧しい人たちに分け与へる。その高僧のお母さんは貧乏なので周囲の人たちがお母さんにも分け与へたほうがいいと進言した。その高僧は母親のところに行き逆に手ぬぐいを寄進してもらつて帰つてきた。寄進することでお母さんによいカルマ(業)の機会を作つたのだつた。

八月三十一日(土)「真言宗の二人の僧侶」
今月は暑い盛りなので参加者は十人程度だつた。その中に真言宗の僧侶が二人ゐた。一人が法衣を着たので判つた。法事の帰りらしい。今までも坊主頭の人はゐたが特に気にしなかつた。
二人とも一般から得度したので寺がない。宗務庁はかういふ熱心な僧侶には寺を与へるべきだ。寺を与へることがよいとも限らない。まづ住職の世襲はやめるべきだ。住職になりたい人、仏教を研究したい人、布教をしたい人など誰もが生活できる体制を作るべきだ。

九月二日(月)「路地の或る街」
十六年前にスリランカで出家し昨年ミャンマーの森林僧院で瞑想法を修した日本人僧侶が三ヶ月前に帰国した。昨日瞑想会が開かれ私も参加した。場所は文京区立の交流館である。かつてミャンマーの経典学習会も文京区の公民館などを使つた。この当時は私はまだ参加しなかつたが、後に在日ミャンマー人の協会ができ僧侶もそこに在住するようになり、経典学習会もそこで行ふようになつた。私が参加するのはこのころである。
新大塚駅で降りるのは前の会社への通勤以来だから二十年ぶりである。交流館のある辺りは新大塚駅から階段や坂を降りる。民家が密集し昭和四十年代を思ひ出す。調べると大塚坂下町で空襲で焼けなかつたさうだ。二十年前の勤務先は大塚仲町の交差点である。歩くのは春日通りや不忍通りだから坂下町には行つたことがない。路地のある街は貴重である。

九月三日(火)「藤圭子ゆかりの地を三回訪問」
偶然藤圭子ゆかりの地を三回訪問してしまつた。先週の日曜に経典学習会に行く途中で西新宿に寄らうと最初計画した。しかし経典学習会は長ズボンで行くから西新宿駅から自殺現場まで炎天下を歩くのは暑い。さう思つて前日の土曜に神奈川県から現場を訪れるだけの目的でわざわざ往復した。しかし半ズボンだから暑くなくてよかつた(一回目)。
経典学習会の日は家にゐると掃除の邪魔だとかで二時間早く家を出た。最初は新宿高島屋隣の紀伊国屋に寄る予定だつた。高島屋は新宿三丁目駅から徒歩三分が公式発表だがそれは副都心線の最後尾からの話である。丸ノ内線から歩くのは面倒だからそのまま西新宿まで乗つてしまひ行く場所がないからもう一度自殺現場を見た。この日は小雨で暑くはなかつた(二回目)。昨日は純粋に花や飲料水が置かれ、この日も昨日のものはそのまま置かれ新たに追加が多数あつたが、空のペツトボトルなどが置かれたりして昨日のように純粋な気持ちではない部分を発見した。この日の昼食は西新宿の牛丼屋で食べ経典学習会に参加したが西新宿の上座部仏教修道会の人がゐたので、自殺現場に行きましたよと雑談した。
翌週は新大塚に午後一時で時間があるので、まづ新宿三丁目から紀伊国屋に行つた。十一時二十分だつた。牛丼屋には鉄則がある。十二時を過ぎると混む。なので紀伊国屋は五階からエスカレータで一回まで降りただけで、たしかこの辺りに牛丼屋があつたはずだと探した。「新宿の女」の舞台であらう旧新宿二丁目(三回目)を左に見て交差点先に牛丼屋を見つけた。
今回の教訓。行く前に調査をすべきだつた。新宿三丁目なら高島屋隣の紀伊国屋(南新宿店)ではなく駅の近くに本店がある。よく考へると私も何回か本店に行つたことはあつた。牛丼屋は新大塚駅前にもある。といふことで二週続けて時間を無駄にした。

九月四日(水)「愛国党本部跡」
二度の自殺現場と二度の牛丼屋。幾たびの艱難辛苦を乗り越へて新大塚駅に到着した。といふほど大げさなものではないが大変なのはまだ続いた。交流館がみつからない。あちこち歩いた。「君の湯」といふ銭湯があり昔風の立派な建物である。調べると隣の駐車場が愛国党本部の跡ださうだ。
若い人は知らないだらうが昭和五十年代までは都内のあらゆる電柱には愛国党のビラが張られてゐた、といつていいほど毎週のように新しいポスターが貼られた。そして数寄屋橋で総裁の赤尾敏が毎日演説をした。

九月五日(木)「上座部仏教の基本」
やつとの思ひで交流館に到着した。しばらくして初心者は一階に集まつてくださいといふから私は行かなかつた。ところがほとんど全員が一階に移動するので私も付いて行つた。上座部仏教の作法を聴けてよかつた。
1 会場に入つたら仏像に三拝。僧侶が入場し仏像に三拝するときはいつしよにしなくてよいがしてもよい。その後僧侶に三拝。三拝のときは正座式ではなくかかとを上げて座る。三拝のときお尻は上げない。
2 法話に入る前にナモタッサ・・を皆で三唱する。その後短いお経を唱へる。ミャンマーでは節(meter)をつける。タイ、ミャンマーは僧侶によつて違ふ。スリランカは厳密に決まつてゐて楽譜もある。スマナサーラ長老はすごい。

瞑想の間に希望者は面談、足が痛くなつたらその場で立つか一階で歩く瞑想。私は痛くはならないが肩が凝つて困る。一回目の途中でひどい肩こりになつた。そのときは肩をつまんだり押して何とか終了した。交流館はお年寄りが多いらしく共通スペースにマツサージ椅子がある。三十分の休憩に誰も使はないので私が使つてみた。その後、年配の人を中心に使ふ人が何人かゐた。二回目の瞑想ではもはや耐へがたく一階で歩く瞑想を10分ほどして座る瞑想に戻つた。二回の瞑想の後に僧侶の法話があつた。
仏教徒の定義は何かといふ質問が僧侶からあつた。私は法話が始まるときに唱へた受戒と三帰依のパーリ語から、戒律を守る、三帰依だと判つたが暫くして誰かがさう答へ正解だつた。だからといつて私が信心深い訳ではない。もし受戒と三帰依を唱へなければ私にも判らなかつた。

九月六日(金)「戒律の説明」
次いで戒律の説明があつた。
1 戒を破つたとき(軽微なものについて)僧侶は懺悔する。沙弥、サヤレー(女性の準僧侶)、在家にはないから、毎回戒を授けてもらふ。
2 不殺生戒はビフィズス菌はだうなるのかといふ疑問が出るが、しらみの卵の大きさまでとお経に書かれてゐる。
3 不飲酒戒は、酒や麻薬は駄目。
私はほとんど不殺生戒を守るが蚊だけは例外である。血を吸ふのは構はない。しかしかゆくなるのは実に迷惑である。逃がすと別の人が迷惑を受ける。だから私はつぶせるならつぶすようにしてゐる。酒も日本の環境で生活してきた人は急に止めろと云はれても無理である。私は参加する度に戒を授けてもらふしかないのかも知れない。ほとんどの日本人は私と同じであらう。

九月八日(日)「回向の説明」
回向は自分の功徳を相手に回し、回した分が増へる。回向の対象は
1 仏法僧
2 生きとし生ける者にあまねく
3 生きてゐる人
4 死んだ人。但し餓鬼界の場合のみ
初めて知つたのは死んだ人は餓鬼界の場合のみ役に立つ。人界、天界は役に立たないが回向の功徳はある。人は普通、餓鬼界に落ち餓鬼界に死者のゐない家族はない。だから先祖供養は役に立つ。
私が日本では何十回忌をするが上座部仏教では四九日で生まれ変はるのではと質問したところ、四九日はチベツト仏教で、上座部仏教では死後すぐ生まれ変はるさうだ。

九月十五日(日)「肩凝りとの闘ひ」
私の場合、瞑想は肩凝りとの闘ひである。だから歩く瞑想、寝る瞑想、通勤電車の中では立つ瞑想などを工夫してきた。職場でパソコンを見降ろすのが原因ではないかとデイスプレイを箱の上に置いて10cmくらい高くもした。それでも駄目である。(完)


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