三百七十四、ミヤンマー経典勉強会


平成25年
二月二十六日(火)「中部経典第七、衣の喩へ」
ミヤンマーの上座部仏教比丘による今月の経典勉強会は「中部経典第七、衣の喩へ」である。染物屋が汚れた衣を染めても悪い色に染まる。同じように心が汚れてゐると悪い行き先が予期される。心の汚れとは十六種ある。さういふ内容である。
勉強会の有意義なところは、一つには論蔵の内容を解説してくれる。経典は経蔵、律蔵、論蔵から成り立つ。普通は釈尊の話した内容である経蔵だけを読むが論蔵の内容を聞ける。
二つ目は質問の回答や休み時間の雑談にある。今月は勉強会の始まる前に初参加の人が三拝の方法を質問した。日本の曹洞宗や臨済宗では三拝のとき手の平を上に向けるが上座部仏教では手の甲を上にして五体当地をする。ミヤンマー人の人が日本の方法は福を受け取ると聞いた、上座部仏教は自身で修行すると説明してくれた。私は十九年前に臨済宗の僧侶から、仏足を頂くと習つたから色々な解釈が日本にあるのだらう。多くの日本人は自分で修行するといふところに上座部仏教は冷たいと感じるだらう。しかし上座部仏教も釈尊の行なつたとおりに修行する。自身の阿羅漢を目指して瞑想するのと、死後の浄土を目指したり先祖供養や現世利益を求めて読経するのに差はない。
三つ目はミヤンマー人の習慣に接することができる。今回は始まる前にミヤンマー人が三人くらい別々に来て仏前にお花を添へた。以前瞑想の高僧が夏に来日したときは在日ミヤンマー人が近くのスーパーで団扇を買つてきて、日本の団扇は小さいので二つ併せて僧侶を扇いだ。大きな団扇で扇ぐことはミヤンマーの習慣なのであらう。

二月二十八日(木)「論蔵」
論蔵からの解説を幾つか取り上げると
・心は論蔵で見ると色が付いてゐない。それを自分で染めて色が付く。心はそれだけで立ち上がることはない。信条(パーリ語でシダチッカ)と合はさつて立ち上がる。
・比丘が戒を破ると四界に終はる。在家と異なり僧形のまま落ちて鬼になり苦しむ。袈裟は信者の布施で得たものだから袈裟が燃えて抜けられず苦しむ。
・仏法僧を信じるときなぜきれいな心でなければいけないかは、修行を進めるため。
・食事も欲で食べれば堕ちる。
・(バラモン教の川の沐浴に対し仏教は)きれいな心を持つてゐる人は道徳が毎日備はつてゐる。だから川に行かなくてもよい。
・汚れた心をきれいにするのに、預流果、一来果、不還果の智慧といふ水で洗い流す。心のきれいになつた比丘は慈悲を送り続ける。

三月一日(金)「質問」
今月は、主な質問が二つ質問があつた。一つは、化生者に親があるか。化生者とは受胎を経ないで発生する者で、天界に住んでゐる。答は
天界にも親の役割はある。突然出現し子供となる。梵天の世界には男女の区別はない。人間にはある。梵天の世界から人界に降りたときは功徳が高いから光がある。その後、食事を食べるようになると欲が出てくる。

二つ目はインドでなぜ仏教が滅びたか。答は
仏教は忍耐。仏法僧を信じることは強制ではない。物に執着すると仏教はなくなつて行く。どこの国でも今後は衰退するのではないか。

勉強会の始まる前に、ミヤンマーはここ一年でも大きく変つたといふ会話をした。車が多くなり空港で両替できるようになつた。経済の発展で今後仏教が衰退すると多くの人が考へる。タイは首都に高層ビルが乱立するまで経済が発展したが仏教が滅びた訳ではない。もし経済が日本くらいに発展すれば滅びるかも知れない。
その前に世界が先進国にまで発達したら地球が滅びる。今後は世界を先進国にするのではなく、先進国を非先進国の水準に戻すべきではないのか。先進国とは地球を滅ぼす方向に先に進む国の意味である。だから私は非先進国とは言つても発展途上国とは絶対に言はない。

三月二十三日(土)「上座部仏教への回帰」
昨年十一月以降、通勤時に心の中で法華経と題目を唱へるといふ日蓮式瞑想を一昨日まで続けた。あれだけの法難を受けた日蓮である。ご利益も大きいに違ひない。子供の受験があり現世利益を選んだ。子供の目指す学科は医学部に次いで難関なため、今年は国立、私立すべて不合格で来年を目指すことになつた。
だから私の日蓮信仰も一昨日終了した。一昨日は国立大の後期発表の日である。だから今後は上座部に戻さうと思ふ。瞑想は嫌ひではない。二十年前座禅に凝つて、土曜の午後、日曜の午前は鎌倉の建長寺、円覚寺、日曜の午後は鶴見の総持寺の座禅会に参加したこともあつた。総持寺の日曜参禅会は三年ほど前に廃止になつた。
その後、数年前から肩凝りがひどくなり一座ならよいが二座行ふと大変なことにる。それをどう防ぐかが今後の課題である。(完)


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