四百五十、1.護憲利権、2.社民党復活大作戦
平成25年
七月二十日(土)「護憲を叫ぶ奇妙な連中」
護憲とは国民が政府に向かひ、憲法に従へと主張するものだ。或いは戦後に憲法第九条を根拠に日米安保条約破棄など平和を主張するものだ。ところが米ソの冷戦が終結して以来、憲法を一文一句変へるなといふ奇妙な連中が現れた。憲法を一切変へてはいけないとなると、憲法第九十六条に違反する。
米ソ冷戦が終結した後の護憲運動は拝米運動或いは拝マツカーサ運動である。日本の拝米は社会破壊、文化破壊だから極めて有害である。
七月二十三日(火)「昨年秋の福島瑞穂の奇妙な挨拶」
昨年九月の労組の全国交流会に社民党の福島瑞穂が挨拶に来た。野田が公約違反の消費税増税を可決した直後である。常識で考へれば消費税問題を取り上げるべきだ。ところが維新の会の改憲問題を取り上げ護憲、護憲と叫ぶだけだつた。この女は国民のことをまつたく考へてゐないなといふことがよく判つた。頭の中は自分が党首でゐることと自分の議席のことだけであらう。
七月二十四日(水)「シロアリ民主党が嘘をついた代償を払ふまでは仲間に入れてはいけない」
MSN産経ニュースによると橋下氏は
非労組系の民主議員を含め、維新、みんなの党で自民党に対抗できる野党勢力の結集の必要性を改めて訴えた。
私はこの発言には反対である。民主は労組系、非労組系を問はず菅と野田の嘘つき増税に賛成した。野田に至つてはマニフエストに書いてあることは実行し書いてないことはやらないと演説したにも関はらず。そんなシロアリ民主党となぜ組むのか。
橋下氏は政権が目に見えたときから精彩に欠けるやうになつた。国民のことが見えなくなつたのだらう。大阪都は首都圏に対抗するためなら賛成である。単に行政組織の再編なら反対である。精彩がなくなると同時に橋下氏の目的が前者から後者になつた。
同じやうに国民のことをまつたく考へない国会議員がゐる。福島瑞穂である。なんで一ヶ月ほど前に辻元清美なんかといつしよに記者会見を開いたのか。国民のことを考へればまづ消費税問題だ。憲法改正と引き換へに消費税は中止させる。この辺りが落とし所である。
七月二十五日(木)「福島党首はいつか復帰してほしい」
社民党の福島党首が本日辞任を表明した。大企業や官庁は年功序列だから一旦辞任した社長や事務次官が戻つてくることはない。しかし中小では毎年が存続との闘いだから人材の有効利用は必須である。退任した社長が戻ることもある。
自民党は長期政権といふ官僚化で一旦退任した総裁は戻れなかつた。しかし野党といふ中小企業の時には安倍氏が復活した。
社民党は野党である。しかも中小企業どころか零細企業である。いつか福島氏も党首に復帰してほしい。
七月二十六日(金)「『憲法をくらしに生かす』は偽善だ」
国会による内閣の指名や普通選挙は努力してもしなくても有効である。もし国会の指名なしに首相が決まるといふことになると大変だからだ。一方で人権項目は抽象的だから条文があつても意味が無い。
三十年ほど前、埼玉県庁に「憲法をくらしに生かそう」といふ垂れ幕が掲げられてゐた。当時私は浦和市内の作業環境測定事業所に勤めてゐたが有給休暇がなく、その理由は週休二日制だからといふことだつた。当時は週休二日制が完全には広まつてゐなかつたが、だからといつて労働基準法に違反してよいはずがない。あと就業規則もなかつた。これも違法である。作業環境測定事業所は都道府県労働局長に登録する。私自身作業環境測定士である。その事業所がこんなことをしてよいはずが無い。労働基準監督署に相談したが対応が悪い。憲法どころか労働基準法さへ守らず、役所もそれを放置するのが実情である。
県庁の垂れ幕を見てその偽善言辞に不快感を覚へた。県庁の近くに社青同の事務所があり、社青同の新聞を購読しようと訪問したことがある。労働相談は労組にするから社青同は機関紙購読だけである。事務所の人が、それだけでいいのですか、と目を丸くした。
七月二十七日(土)「保守と革新」
五五年体制は保守と革新の争ひであつた。このときの保守とは資本主義を守る勢力、革新とは社会主義を目指す勢力のことだつた。しかしベトナム戦争が終結しポルポトの虐殺や毛沢東の文化大革命が失敗すると、社会主義の敗北は明らかになつた。
このとき以降、保守と革新といふ言ひ方は不適切になつた。だから当ホームページでは、保守を文化保守といふいい意味で用ゐて、悪い意味の保守は守旧または既得権派と呼ぶようにした。社民党が護憲を叫ぶと国民の目には守旧または既得権派に映る。これまでの世の中が良かつたなら守旧でもよい。よくないから革新ではなかつたのか。
社民党は憲法には一切触れず、社会派を目指す、民主主義は守る、日米軍事同盟はいづれ破棄する。この三つだけ言へばよい。社会派とは何かと言へば、自然経済を中心に資本主義の行き過ぎを正すと答へればよい。資本主義で資本の分散した状態は既に社会主義である。しかしこの社会主義は企業内だけであり、帳尻を合はせるため下請けや失業者に向けては資本主義となる。そして今後到来する省資源社会では配分枠が減少するから資本主義に戻るだらう。そこまで読めば社民党にも復活の道はある。(完)
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