四百四十三、右翼と左翼といふ言葉を廃語にして、右左翼または改革派を用いよう


平成25年
七月三日(水)「右翼と左翼の分離」
日本には本来右翼、左翼といふ言葉はなかつた。だから西郷隆盛は右翼か左翼かと聞かれても判らないし、大塩平八郎が右翼か左翼かと聞かれても判らない。日本だけではない。世界中になかつた。
右翼と左翼は分かれただけではなく対立するかの印象を世間に与える。そのことが中間派のふりをする連中に不当な利得を与へることになつた。中間派のふりをするのは既得権派である。現状を維持したいくせに政治発言をする人たちである。その典型がシロアリ民主党と偏向マスコミである。
特に今回の消費税増税は許し難い。此のやうな連中を出さないためにも、右翼と左翼といふ呼称を中止し改革派と称すべきだ。改革派のほかに世間に印象を与へるもつとよい名称がある。右左翼である。

七月四日(木)「ネトウヨ」
ネトウヨといふ言葉がある。ネツト右翼の略でブログに排他的な主張を書く人たちのことらしい。私は年収で人を差別するのは嫌いだが検索すると年収が200万円程度だといふ説明もある。
だとすればネトウヨは本来は労組や旧社会党、共産党が組織すべき人たちだ。ネトウヨはほとんどすべてが反中反韓で、私はアジアの親善を重視する立場からこれには反対である。ネトウヨが出現する理由に進歩派を装ふ偽善言論界がある。現状を維持したいくせに反社会的なことをいふ。かつての米ソ冷戦下では新しい社会を創るために意義があつた。今は新自由主義を促進するだけである。だから偽善言辞に反対する。
ネトウヨの人たちを正しい方向に導くためにも、右翼と左翼の分離は終りにしなくてはいけない。

七月五日(金)「どんな団体も人員構成は似る」
労働組合だらうと町内会だらうとどんな団体でも伝統志向の人から進歩志向の人まで揃ふ。そして絶対にそれが原因で内紛が起きることはない。例へば何か改革をやらうとする。それが組織の役に立つことであれば賛成するし逆なら反対する。伝統志向も進歩志向もない。
うちの労働組合も以前「民族派も一人はゐたはうがよいので」と云つて立候補する名物執行委員がゐた。定年で退職した等の理由で組合を脱退したのは残念であつた。その後、労組が分裂し向かう側に付いた臨時公務員の労組がその後、向う側を脱退し全労協のメーデーに参加するやうになつて日比谷公園であの名物執行委員と再会した。臨時公務員の労組は組合員が少ないのでうちの組合から応援で執行委員を出してゐたが、うちを辞めたあとも臨時公務員の組合は続けてゐることをそのとき知つた。といふことで民族派と左派系メーデーは何ら矛盾しない。

七月七日(日)「トルコに見る伝統派と新自由主義の同居」
今はエジプトのクーデターに世界の関心が集まるが、その一ヶ月前からトルコでもデモが起きてゐる。これについて日本女子大教授の臼杵氏が、トルコのエルドアン政権はイスラム化をしながら経済は新自由主義を採つてきたといふ。貧困層のイスラム化の声に応じて社会福祉政策を進め、一方で新自由主義を進めるから中間層の不満が反エルドアンの騒ぎになつたといふ。
安倍政権が憲法改正を目指すのはよいことだが新自由主義にならないやう国民は声を上げることが必要である。憲法改正についても国民のためになる改正を目指すべきで、自衛隊が米軍の下請けになつてはいけない。
しかし一番悪いのはシロアリ民主党である。それは護憲を叫びながら国民のためにならないことをする菅派とニセ労組出身派、米国の属領化をますます進めるために憲法改正を叫ぶ前原派、野田派が同居するからである。

七月十二日(金)「右翼と左翼が対立する原因」
右翼と左翼が対立するのは、唯物論かだうかだ。マルクスの時代は今までの思想が崩壊し社会と経済が混乱した時代だつたから、唯物論を更に進歩させた弁証法的な唯物論を仮想することは意義があつた。しかし新しいことを始めると九分九厘は失敗する。残りの一厘が見つからないうちに、冷戦は終はつてしまつた。
しかし資本主義も失敗である。地球温暖化とグローバリズム、新自由主義を見よ。資本主義こそ最大の唯物論である。つまり今や左右が対立する理由はない。

七月十四日(日)「鈴木邦男著『これが新しい日本の右翼だ』」
鈴木邦男氏の『これが新しい日本の右翼だ』を読んで驚いた。今回の当ホームページと同じことを平成五年に書いておられる。
右翼も左翼も「改革派」なのだ。より急激に改革するか、あるいは伝統的なものを認めた上で改革するかの違いだ。


では次に右翼といふ言葉が生まれた経緯をこの本から見てみよう。
ロシア革命から五年後、一九二二年に日本共産党が結成され、「俺は左翼」だと思う人達は自信を持って、そう言った。反対に、「俺は右翼だ」という人はいない。(中略)このことを中村武彦氏に聞いたのだ。中村氏は民間のクーデター・神兵隊事件に参画し、その後も激動の昭和維新運動を闘ってきた人である。今の右翼界の長老であり、何かとダーティーなイメージのある右翼の中では「右翼の良心」と言われている。
中村氏自身も、昭和維新運動を闘っている時は自分のことを右翼とは認識していなかったという。「では、右翼だと自認するようになったのはいつ頃からですか。」と聞いたら、「六〇年安保以降だろう」と言っていた。


このとき安保反対だけなら国論を統一することは可能だつた。しかし米ソ冷戦に巻き込まれ大変なことになつた。
まさに革命前夜だった。何としても左翼からこの日本を守らなくてはならないと(中略)ヤクザでもテキヤでも宗教団体でも、何でも集めた。


ここから右翼のダーティ、親米、反共が固定される。左翼もかつてはソ連をモデルにして、しかもソ連は一国一共産主義の政策を採つたため、共産党に正当意識が生まれそれ以外との軋轢を生じた。しかもそれ以外の勢力も左翼意識はあつたため、内輪もめが多発する一方で資本主義勢力との対決も生じた。しかしソ連は崩壊した。今や左右を分類する必要は何もない。鈴木氏が言はれるやうにどちらも「改革派」である。

七月十六日(火)「海外のものをそのまま真似をしてはいけない」
旧社会党は最後まで左右が協力することなく消滅した。その原因はマルクス式共産主義だ、社会主義だ、社会民主主義だ、民主社会主義だと西洋の思想を直輸入したからだ。内輪もめは旧社会党に留まらなかつた。左翼に対抗して自由民主党と右翼が生まれ国内が内輪もめになつた。
世の中には改革派と既得権派しかない。よい意味の保守派とよい意味の進歩派は対立はしない。旧ソ連と東欧は消滅したのだから、左翼と右翼は本来の改革派に戻るべきだ。良い意味の二派に言及したから悪い意味の二派も考察しよう。悪い意味の保守派が既得権派、拝米であり、悪い意味の進歩派がリベラル、左翼崩れである。今回の参議院選挙は良い意味の二派対悪い意味の二派の対立といへる。(完)


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