四百二十七(甲)、江戸川区宿泊記(なつかしのトロリーバス)


平成25年
六月二日(日)「業10系統」
昨日と本日の二日間、うちの組合が所属するネツトワークの専従者のための講習会が昨年に続き江戸川区の施設を借りて開かれた。私は専従ではないが立場上それに順ずるので参加することになつた。
午後一時に集合だが私は都営バス一日乗車券を購入し、新橋から業10系統(東京スカイツリー行き)と錦27系統(小岩駅行き)を乗り継いだ。せつかく行くのだから朝七時に家を出てあちこち寄らうという計画である。業10系統はかつては業平橋行きであつた。ところが東武鉄道が業平橋駅を東京スカイツリー駅と改称したため都バスも停留所名を変更した。

六月二日(日)その二「昭和40年代の雰囲気が残る街並み」
錦27系統は小松川警察署前の停留所で降りた。小松川橋を渡つて200mほど先である。かつては橋を渡つてすぐのところに小松川小橋といふ停留所があつた。トロリーバスはここを右折し今井に向つた。後に小松川橋を新しく付け替へるときに高さが高くなつたため地上に降りるのに200m近くかかる。だから今は小松川警察署の更に1つ先の京葉交差点を左折する。
私は歩いて小松川小橋の停留所跡まで戻りかつてのトロリーバスの道を右折した。右折後の通りは600mほどタイムマシンに乗つたような昭和40年代の雰囲気だつた。その理由は道路を拡張しないから昔の建物が残る。
道路は小松川小橋から都県境の今井まで二車線である。しかし京葉交差点で右折した車両の合流の後は車線が広い。かつて小松川小橋かせ今井まで歩道がなくトロリーバスがすれ違ふ幅だつた。今は全線に歩道がある。つまり小松川小橋から600mはかつての車線より狭い。合流の後はかつての道路幅に両側の歩道分を拡張した。そのため古い家屋がない。
道路は途中から商店街になつた。だから歩道はきれいな色になりときどきいろいろな絵が描かれたタイルがはめ込んである。そのうち1枚にトロリーバスの絵が描かれてゐる。それを見たとたん十年ほど前に都電フアン数人と東荒川(小松川小橋の少し下流)から今井まで26系統の跡を歩いたことを思ひ出した。

六月二日(日)その三「小松川小橋から今井まで路面電車跡を歩いた」
東荒川の終点跡に行つたときは当時の写真に写る稲荷が今でもあり此処だと皆で断定した。今井まで歩いても軌道敷地跡の多くは道路になつてゐたが、住宅になつた部分はかつての軌道跡と寸分も違はず感激の連続だつた。
今井に着く手前に国柱会といふ団体があつたので皆で見た。池があつた。宮沢賢治と石原莞爾をだう結びつければよいかそのときはまつたく不明だつた。たまたま石原賢治を調べる機会があつた。調べてみると石原賢治の関係者に社会党中間派の浅沼稲次郎、社会党左派の稲村隆一、淡谷悠蔵、夫人運動の市川房枝がゐた。戦後の偏向マスコミや偏向言論人の偽善を知つた。

六月三日(月)「今井終点」
トロリーバスが昭和27年に開通し都電26系統は廃止になつた。ところが大型バスが開発されトロリーバスは不採算だとして昭和43年に廃止された。当時私は中学一年だつたが廃止の翌日に父に連れられて今井まで乗つた。バスの初日だが乗客は普段と変はらなかつた。前日は大変な混雑だつたことだらう。今井では橋を渡り対岸左側の堤防を降りて川面を10分ほど眺め復路のバスに乗つた。
そのときと同じように、といふか他に見るものがないからさうせざるを得ないのだが、一昨日も同じように対岸の堤防を降りた。かつて今井は小さな橋で車の通行がほとんどなくトロリーバスがUターンしたが、今は大きな橋が掛かり車の通行も多くなつた。釣具店も昔は多かつたが今は一軒に減つた。
Uターンは今井橋のすぐ手前で行はれた。多くのホームページが現在バスの折り返し場のある位置が当時の終点だと書いてゐるがこれは正しくない。架線はUターンしそのまま復路になつたが、Uターンの位置から新たな架線が車庫まで引かれてゐた。つまり今井に到着ののち車庫に回送する場合はここで屋根の上のポールを車掌が地上から引つ張つて提げて隣の架線に付け替へ、そのまま車庫まで走り入庫した。この架線はある程度の距離があつたからUターンしたのは橋の直前である。

六月四日(火)「一之江駅」
行きのバスの窓から一之江駅の入口に案内板があるのを見た。そこで帰りは一之江駅で降りた。行徳道(行徳街道)の説明板だつた。江戸川区は案内板が多く住民には住みやすく観光客には親切な街である。小松川小橋からの旧トロリーバスの通りにも行徳道の案内板があつた。それによるとトロリーバスの道路より更に一本北側が旧道ださうで確かに車がやつとすれ違へるくらいの小道がある。
国柱会本部は寄らなかつた。かつて多くの信者がゐたとしても今は何の影響も持たない団体だからである。前に軌道敷地跡を歩いたときに一之江駅前の中華料理店で打ち上げをしたことを思ひ出した。一之江から再びバスに乗り江戸川区役所の1つ先で降りた。労組の会場は江戸川区役所の近くだが、時間があるので小岩駅まで往復しようとした。しかし気が変はり1つ先で降りた。その理由は親睦会場と宿泊は小岩駅の近くだからである。夜に行くのだからわざわざ寄るのは中止した。
そのため境川親水公園を歩けてよかつた。あちこちにシヤワーがある。更衣室はない。ここが重用である。小さな子供が水遊びをした後にシヤワーを浴びて家に帰れば、街中は親水公園の続きとなる。もし更衣室があると街中は無機的な空間に戻る。今まで日本中を見た中で江戸川区はもつとも住みやすい街だと感じた。その理由は親水公園のシヤワーである。

六月五日(水)「二日目」
一日目は皆で新小岩駅前のビジネスホテルに宿泊した。昨年は日帰り二往復で二日間参加したが今年は私も一泊した。全国から来た参加者の中には、新幹線とセツトになりホテルに安く止まれるといふことで両国などに泊まる人もゐた。
二日目の開始前に、都バス一日乗車券で東新小岩五丁目の終点まで往復し、小岩駅までも往復した。
セミナー終了の後は西葛西、亀戸、根津駅、江戸川橋と乗り継いで、新宿からは通勤定期で帰つた。亀戸から根津駅までは上26系統で元のトロリーバスである。バスになつた後も上野公園と今井の間を走り続けたが、平成二年に亀26系統の今井と亀戸、上26系統亀戸と上野公園に分割された。トロリーバス時代も今井と亀戸までの折り返しがあるため、亀戸と上野公園は本数が少なくかなり待たされることが多かつた。ほかに鶯谷止まりがありUターンの架線は上野桜木町にあつた。バスになつた後に上野桜木町のUターンの空き地に2台のバスが発車待ちするのを見たことがある。トロリーバス時代には見られなかつた光景であつた。後に上野桜木町行きはなくなり、折り返し場所に建物が建つて当時を知らない人が見ても判らなくなつた。(完)


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