四百二十三、地球温暖化防止展、環境展
平成25年
五月二十五日(土)「休暇を取つて地球を守る」
昨日は組合の定例会と執行委員会が連続することになつた。定例会はかつては書記局会議と呼んでゐたが書記長の権限が強くなり過ぎて組合が分裂した。だからその後は定例会と呼ぶやうになつた。この日は休暇を取り定例会は早く始めることになつた。そして朝からは東京国際展示場の地球温暖化防止展と環境展を見に行つた。
突然行くと入場料を取られる。事前に申し込むと無料である。そこは抜かりなく申し込んだ。今や地球は滅亡寸前である。休暇を一日取つて見に行く価値はある。今後の労働運動は地球環境保護と連携すべきだといふ思ひもある。地球が滅びれば労働条件も何もないからだ。
国際展示場は業務で行く場合以外は地下鉄の豊洲または辰巳から歩くことにしてゐる。かつては都バスを使つたがバスカードが廃止の後はバス特不利用運動を起こし、今では地下鉄である。二年前の日曜に曽野綾子さんの講演を聴きに行つたときも辰巳から歩いた。あのときは地下鉄の回数券を三ヶ月の有効期限内に消化するといふ理由もあつたとはいへ、七月の炎天下を歩いて暑かつた。交通機関は規制に守られたシロアリである。だからできるだけ儲けさせないよう国民は不断の努力がひつようである。
五月二十五日(土)その二「地下水を冷暖房に使ふことに反対」
会場に入り最初に印象に残つたのは地下水の定温性(夏は冷たく冬は暖かい)を利用して室内を冷暖房しようといふ何社かの出店である。私はこの試みには賛成ではない。まづ地下水を外に捨てるのは絶対反対である。地下水を地下に戻す場合に水温の変化が環境にだういふ影響を与へるか。そこまで調査の上で使ふなら賛成である。しかしそれより冷房は必要ない。木陰や打ち水など昔からの知恵を使ふべきだ。夏は暑いに決まつてゐる。
五月二十五日(土)その三「小型風力発電」
私の勤める会社はかつて小型風力発電の企業と提携し営業を担当したことがあつた。縦型の小型風力発電機で幾つかの公園に納入もした。私も休みの日にその公園まで見に行つたことがある。同じ形の風力発電機を展示する会社が一社あつた。かつて提携した会社名を知つてゐるか聞いたが知らないみたいだつた。
丁度そのころ私は人事採用を担当してゐて或る国立大学で風力発電を研究する女子学生が会社見学に来た。就職するか修士に進学するか迷つてゐたが風力発電の営業担当にも説明を頼み入社した。その後風力発電の営業権は提携会社に移管し撤退してしまひその社員も数年後に退職した。風力発電の会社に無事転職できたのだらうか。
五月二十六日(日)「屋根の反射」
屋根に反射板や反射塗料を塗つて室温上昇を防ぐ展示が幾つかあつた。目的は冷房の節減だが、副次効果として反射した光が地球から出て行くとその分が地球温暖化の防止になる。その点を質問したがあまり研究は進んでゐないようだつた。
逆もある。太陽電池を設置すると地球から反射されるはずの光が地上に吸収される。その影響はだうなのか。そこまで考へるべきだ。もちろん大学などでは研究してゐるだらうが。
五月二十七日(月)「龍谷大学」
龍谷大学のブースが目に入つたので、なぜ仏教系大学が出展するのか話を聴いた。里山の生物多様性の展示では物質循環や野生生物(イノシシ、タヌキ、サル、クマ、シカ)が田畑に接近しない役割を果してゐたが、近年の化学肥料、石油、電器の生活が木炭や枯葉の使用量を減少させ里山が森林になつてしまつた。別の有機化学の展示ではそれだけを見に企業がわざわざ来るさうだ。
龍谷大学に限らずすべての仏教系大学は文部科学省の認可を受けてゐる。人類への教導は各宗派の任務である。それが文部科学省の下請けになつてゐる。仏教系大学は将来認可を返上してもやつて行ける、つまりは大学認定を無力化すべきだ。寺請け制度の影響で日本はほとんどがどこかの寺の檀家なのだからそのくらいの実力を仏教は取り戻すべきだ。さう思つた。
五月二十八日(火)「NEW環境展」
地球温暖化防止展は全体の1/6で残りはNEW環境展である。廃水処理、排気処理のほかに廃棄物の粉砕装置が目立つた。粉砕したものは再利用するか廃棄される。二十世紀後半からの世界経済は砂上の楼閣である。地球破壊と引き換へだからある。大量の廃棄物が生成される。NEW環境展は以前は産業物処理展といふ名称だつたことを知り合点が行つた。
環境計量事業所が一社出典してゐた。各県に一社づつ全国展開を進めてゐて環境計量士が不足してゐるといふ。私は環境計量士だから思はず注目するが、新たな県に引つ越すのは受験生がゐる我が家では無理である。単身赴任といふ方法もあるが、環境計量士はそこまで給料が高くはない。
五月二十九日(水)「環境省の展示は税金の無駄使ひだ」
環境省の展示は税金の無駄である。他のブースは何時何分から始めるといふ表示がありその時間に始める。環境省のブースはカーボンオフセツトの説明をしますと呼び込みがいふから席に座つたがいつまで経つても始めない。呼び込みがあと空席が幾つですと何回も叫び始めた。説明だつて本質を突かないから意味が判らない。といふより判つてゐることは既に判つてゐるし判らないことは判らない。つまり説明の存在価値がない。説明が終つたあと責任者らしい人が大きく拍手したが、観客はだれも手をたたいてゐないではないか。若い女性に説明させてうまく行つたから拍手するといふのは身内の論理である。
このブースは環境省が直接出したのではなく天下り先だかの団体が受託したのだが、役所の経費は無駄が多い。消費税を増税せず無駄を省いたらだうか。
五月三十日(木)「苔や芝生の屋根」
苔や芝生の屋根を出展する企業も何社かあつた。屋根が過熱せず冷房を節約できる。苔は散水しなくても雨だけで足りるさうだ。苔や芝を増殖し有効利用できると二酸化炭素吸収にも役立つが、そこまではまだらしい。おそらく五年のうちには出てくるだらう。
六月四日(火)「茶屋と昔の学校の展示」
或る建設廃材処理業者は狭山茶の茶屋と昔の小学校の木造の机と椅子の説明会場を出店してゐた。廃材処理といふと周りから迷惑がられる。そこで自然に囲まれた敷地を自然教室として開放し地域と共存してゐる姿の展示である。
お茶を配るのは江戸時代や明治あたりの店員の和服を着た人たちでこのコーナーは人気があつた。
六月六日(木)「地球温暖化阻止は人類の最優先課題だ」
地球は滅亡寸前だといふのにカネ儲けばかり考へる連中がゐる。今こそ西洋近代思想の過ちを明らかにすべきだ。とはいへ封建時代に戻つてはいけない。あれは権力者の堕落した姿である。
私は三週間ほど前から環境によいことを始めた。朝、庭の植木に水をやるときに雑草を抜くことにした。放置するとあつといふ間に延びる。毎日採るとそれほど大変ではない。雑草が伸びると妻が除草剤を使ひ枯れた草を家庭ごみとして出す。私は枯葉はごみとして出すと物質の循環にならず土地が枯れるから庭に残すやういふが守られたためしがない。伸びる前に抜いてしまへば除草剤も使はないし枯葉もごみとして出されない。実に環境によい。
私はそれ以外にも日本国内でもほとんどする人のゐないことをした。運転免許を二回更新しなかつた。一回目に更新しないときはもつたいないからとみなに言はれたが環境保護のため更新しなかつた。五年ほど後にアメリカ長期出張があり免許がないと生活ができないくらい不便だからアメリカで新規に取得した。帰国後に日本の免許に書き換へた。しかし日本では運転しないから二回目も更新しなかつた。
地球温暖化を防止することは最優先課題である。この時期に至つてまだ拝米を重ねる輩は悪魔の手先である。すべての国民はできることから始めようではないか。美しい地球を子孫とすべての生物のために保護することは我々の世代の務めである。(完)
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