四百二十四、川崎、横浜の貨物鉄道


平成25年
五月二十六日(日)「横浜本牧駅公開」
神奈川臨海鉄道の設立50周年を記念して本日、横浜本牧駅が公開された。根岸駅から横浜市交通局に委託した無料シャトルバスも運行された。神奈川臨海鉄道とは国鉄(当時)の塩浜操(現、川崎貨物)駅から分岐する浮島線、千鳥線、水江町線と、同じく国鉄の根岸駅から分岐し本牧操(現、横浜本牧)駅を経由して本牧埠頭駅までの本牧線から構成される。更に塩浜操駅の入換を開設時から根岸駅の入換を昭和五五年から受託した。
昨日は根岸駅と横浜本牧駅ではバスを待つ行列が300mくらいになり、時間では15分くらい掛かつた。せつかく鉄道のイベントなのだから根岸駅から横浜本牧駅までディーゼル機関車が客車を牽引すればよいではないか。運賃を200円くらい徴収してもかまはない。国交省は臨時に認可すべきだ。
家族連れが多いのはよいことだ。一方で鉄ヲタが写真を撮りまくるのは皆の迷惑である。家族連れが鉄道を背景に子供の写真を撮るのはほほえましい。それに対して鉄ヲタは周囲と調和せず自分たちだけで写真を撮る。国民との調和を考へず消費税増税、消費税増税と叫び続けた菅や野田と共通である。
会場でも子供連れの母親が「鉄道オタがゐるから」と言ふのが聞こへたし、会場のスピーカーが「写真は譲り合つて撮つてください」と放送してゐた。

五月二十七日(月)「周囲と調和した趣味」
歌舞伎の掛け声は周囲と調和し舞台と観客を盛り上げる。一方で昭和四十年あたりからグループサウンズとかいふものが現れてテレビで放送するが、観客席でキヤーと悲鳴だか黄色い声だかを上げる若い女性が多数ゐて、実に見苦しい。あれは一種の集団ヒステリーである。
歴史のある趣味は周囲と調和するが、歴史の浅い趣味は周囲に不快感を与へる。

五月二十八日(火)「私は鉄ヲタではない」
私は鉄ヲタではない。私が小学校高学年のときから高校のときまで都電が次々に廃止になるので都交通局にとつては当たり前すぎて気が付かないこと(トロリーコンタクタと一般の交通信号機の連動。これは交通局と警視庁の管轄変更前の既得権)を調べた。その後国鉄から客車が消へて行くので国鉄の気が付かないこと(客車は配置区ではなく常備駅の理由は、かつて検車区と車電区に分かれてゐた)などを調べた。
その後、国鉄がJRになつた以降はJRの従業員が調べれば百倍は効率がよく時間の無駄だから何も調べない。唯一貨物列車は少し調べる価値がある。

五月三十日(木)「鉄ヲタしか判らない展示」
ヂーゼル機関車が車掌車、大物車、コンテナ車、無蓋車、蒸気機関車を牽引して300mくらいを二往復した。車掌車、無蓋車は大物車、蒸気機関車を連結するための緩衝の役目だらうと私は思つた。隣の線路にはタンク車三両、小型移動車もゐたがあれはたまたまゐるだけだらうと思つた。
ところが数日後からインターネツトには鉄ヲタがいろいろ書いた。それによるとどの車両も稀少なものださうだ。さういはれて見ると無蓋車、車掌車は昔はどこでも見られたが今はほとんどない。コンテナ車に載つてゐるコンテナは何かの記念に昔の国鉄色に塗つたものださうだ。タンク車は試作車ださうだ。
それらに気が付いたのは鉄ヲタの中でも一部だけであらう。せつかく家族連れが多いのだからそれらの説明があるとよかつた。私は大物車が宇都宮貨物ターミナル駅常備といふところと、ヂーゼル機関車を連結するときにブレーキ管を蒸気機関車を除いて引き通したが実際の停止は機関車のブレーキを用いたことと、構内を運転するときは運転係(操車担当)が機関車の外に添乗して無線で機関士に指示を出すところと、蒸気機関車の運転席にも運転係がゐたところと、蒸気機関車が動くときは弁が空気を圧縮するからシユーと音をさせながら動くところしか見なかつた。これだけ調べれば十分であらう。

六月六日(木)「開通時期の違ひとその後の衰退」
浜川崎駅や新興駅の場合はそこから延びる枝線は国鉄直営である。塩浜操駅の場合は塩浜操駅までは国鉄で、そこから延びる枝線は神奈川臨海鉄道である。本牧操駅の場合はその手前の根岸駅から先はすべて神奈川臨海鉄道である。
その後は縮小が今でも続く。まづ浅野駅から鶴見小野で折り返して鶴見川口駅までの線は昭和六十一年に廃止された。入江駅から新興駅に行く途中に昭和電工と食糧倉庫の引込み線があつたが廃止された(平成十五年)。新興駅から化学工場にタンク車が入るのも廃止され(平成十七年)、これにより入江から新興までの3km近い線が廃止になつた。昭和駅から石油会社への引込み線は最近(平成二十三年)廃止された。高島駅といふ大きな操車場があつたが廃止され国鉄時代の末期に一旦駅に復帰したがJR貨物になつて7年後に再び廃止された。東高島駅は十数年前までは大きな荷揚げ機、水路があり戦前の貨物駅の雰囲気を残してゐた。その後、駅を完全に建設し直したので新たな貨物駅としてスタートするのかと思つたところ最近は(平成17年以降)貨物の着発が無くなつた。(完)


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