四百九(その一)、元読売新聞、現NHK記者千葉文人「ベトナム@世代」は悪質な拝米工作の本だ


平成25年
五月四日(土)「見て呆れる『ITで代わる意識と文化』の副題」
私は共産党の一党独裁に賛成ではない。例へばホーチミン市内の道路事情を見ると、信号が赤でも右折(日本で言ふと左折)が可能である。この制度自体はアメリカなど外国にも見られる。しかしベトナムの場合横断歩道を青で渡ると道路のこちら半分では青で左折する膨大な数のオートバイと自動車で渡るのが危なく、残りの半分では赤で右折する膨大なオートバイと自動車で危ない。つまり道路全体が危ないのである。ロータリーの横断歩道は更に危険である。信号がないからオートバイの合間を渡るしかない。このような状態が放置されるのは一党独裁の欠点であらう。もつとも歩道橋は暑い国だから似合はない。信号を設置すると道路が混雑する。日本の場合はやたらと道路の幅を広げたり新設するが、これは税金の無駄である。ベトナムはベトナムなりに限られた予算で国民の利便性を最大に高めたのかも知れない。ベトナムから見たら、日本の限られた国土をやたらと道路だらけにしたり人間が歩道橋を上がることのほうがよほど異常かも知れない。
だから一党独裁は改善すべきだが、西洋の猿真似ではなくアジア式の政治を確立してほしい。アジア式の政治とは、日本など普通選挙の確立した国では有権者と議員に私心を起こさせない方法の確立だし、共産党が指導する国(中国、ベトナムなど)或いは軍部が主導する国(ミヤンマーなど)では間接統治と民意を反映させることをしてほしい。つまり私は西洋のやり方の猿真似には反対である。
ベトナム労働党中央党史研究委員会が発行した「正伝ホーチミン」は出来が悪い。文章にやたらと、偉大な指導者であつたホーチミンは、など形容詞が多い。やはり一党独裁は早く改善したほうがよい。

しかしその私でさへ元読売新聞、現NHK記者、千葉文人著「ベトナム@世代」には呆れる。「ITで変わる意識と文化」といふ副題が付いてゐるので読んで見たが、アメリカCIAの工作本かといひたくなるような内容である。NHKにこんな記者がゐてよいのか。

五月五日(日)「はじめに」
第一章に入る前の「はじめに」に次の文章がある。テーヘ@(@世代)とは何かを取材したときのベトナム人の答ださうだ。
平和と経済発展の中、そんなITの影響を受けて育った@(アーコン)世代は、国の『独立と自由』のために人生の大半を費やした以前の世代とは大きく異なり、リッチな生活を追い求め、自分の意見や個性を主張しようとする。例えば、文学などで性を表現することは以前の世代にとってはトップシークレットであり、タブーだった。でも、今の若者たちはそれを恐れないわ


取材はおそらく英語で為されたのであらう。だから「リッチな」といふ単語があつたからといつてそれは話者のベトナム人ではなく書いた千葉文人氏の西洋かぶれを示す。千葉氏は自分の取材体験を次のように書く。
一九九六年五月、ハノイ市内での韓国系のゴルフ場開発をめぐり、立ち退きやその補償金に不満を抱く農民たちと機動隊員らとの間で大規模な衝突が起きた。死傷者も出たらしい。知人のベトナム人記者は「国内メディアは支持されている」と明かした。私は、地元の行政機関などへの取材を外務省に申請したが、返事は来ない。


千葉氏の取材方法は間違つてゐる。千葉氏は西洋との相違のみに注目してゐる。日本は亜細亜の一員なのだから、西洋と比べベトナムの優れた部分に着目すべきだ。ベトナムが一党支配の国なことは誰もが知つてゐる。そんなことを取材しても意味がない。

五月五日(日)その二「国際人権団体といふ西洋化押し付け組織」
「『ベトナム共産党はマルクス・レーニン主義とホー・チ・ミン思想を信奉し、国家と社会を指導する勢力である』という条項のもとで、ベトナム国民のすべての民主的権利と自由が抑圧されてきた」
二〇〇六年四月八日、ベトナム共産党政権を真っ向から批判する、こんなベトナム語の文書がインターネット上に出現した。(中略)このグループは同年四月中旬、「言論の自由」という雑誌をネットなどで発行し始め(中略)さらに米国議員や、06年十一月にハノイで開かれたAPEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議に出席した各国首脳らに向け、グループの活動を支持しベトナムの民主化を支援するよう呼び掛ける書簡などを英語やベトナム語で作成、ブログで掲載し続けている。


「米国議員に」といふところにこのグループとそれを書籍に載せる千葉氏の意図が現れてゐる。
共産党政権は「ベトナムでは言論、報道、集会、結社、宗教の自由は保障されている。政治犯存在しない」と述べる一方、「自由や民主主義を濫用し、国家利益に反したり、団体や個人の正当な権利に損害を与えたりする行為は刑法上の裁きの対象とすべき」と主張。こうした行為によって刑法に違反したとして、市民を逮捕、投獄している。
これに対して、「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」(本部・米国)などの国際人権団体は、共産党政権は言論や結社、宗教の自由などを規制し、同党の一党支配や基本政策に異議を唱える市民を不当に投獄、軟禁していると批判している。


アメリカは先住民が多数のときに先住民を不当に殺害したり先住民の土地を不当に略奪しなかつたか。私は共産等政権が言論、報道、集会、結社、宗教の自由を保障してゐると信じたいしもし不十分なところがあれば改善してほしいと思ふ。マルクスの主張は当時の欧州でのみ通用するものだし、レーニンの方法は当時のロシアでのみ通用する。言論を自由にしても資本主義に負けることはない。まづ地球温暖化を攻めるべきだ。

五月六日(月)「この書籍の一番醜悪な理由」
この書籍の一番醜悪な理由は、ベトナムの性道徳の破壊を推進しようとすることだ。
ネットが普及するにつれ、政治的な衝突以外にもさまざまな問題が噴出している。
〇七年十月十一日、ベトナムの人気テレビドラマの主人公を演じる十九歳の女優とボーイフレンドの約五分間の゛ヘッドシーン映像が、動画投稿サイト「ユーチューブ」に出現。


邪悪な下心を持つ人間の特質は、一般の人を対象にせず特殊な人を対象にして論評することだ。例へば各国のうつ病患者を調査して各国の政治を論じても意味を為さない。各国の普通の人を調査すべきだ。それと同じである。だから
ベトナム当局は〇八年十一月、「国内最大のポルノサイト」を閉鎖し運営者を逮捕したが、このサイトには約二十九万人がメンバー登録し、一日約三万件のアクセスがあったという

と主張してみても、メンバー登録二十九万人はベトナム人口八千八百万人のごく一部に過ぎない。

五月七日(火)「千葉が馬脚を表す」
南沙諸島の帰属を巡つてハノイの中国大使館前でベトナムの若者のデモがあつた。千葉の記述によると
国旗を手にしているのはベトナムの若者たちだ。ある者は国旗を背中に掲げ、「ベトナムのチュオンサー、ホアンサー」と英語で書かれた紙を口にくわえている。(以下略)
「チュオンサー」は英語でスプラトリー、中国語で南沙と呼ばれる群島、「ホアンサー」は英語でパラセル、中国語で西沙と呼ばれる群島を指す。


千葉の本は日本語で書かれてゐる。だつたら日本語で何といふかを書くべきなのに、ベトナム語、英語、中国語だけを書く。そして
スプラトリー諸島近海は、海上輸送の要衝であるとともに(中略)パラレル諸島のほうは、ベトナム、中国、台湾が領有権を主張している。

つまり日本語ではなくスプラトリー諸島、パラレル諸島を用いた。千葉ははやくも第二章で馬脚を現した。

五月十日(金)「第3章、文学の新潮流」
第3章は異様な文章で開始する。
「その手はさらに大胆になり、汗がしみこんだ布を剥ぎ取った。汗が太ももを濡らし、つばが流れ、寝台がすべった。その手は黒い絹の束をつかんだ・・・・・魔法のような動きで下着が引き下ろされた(以下略)」

これは二〇〇五年に当時二十九歳の女性が出版した短編小節集「ボン・デー」の表題作ださうだ。千葉はこんな文章ばかり引用して何か面白いか。と同時に千葉を記者として雇つたNHKにも呆れる。NHKは元読売新聞といふことで千葉の政治姿勢は判つてゐたはずだ。

五月十二日(日)「第6章、夢はこぶVポップ」
海辺の白い砂浜。水面が陽光を照り返し、まぶしく輝く。波打ち際に置かれたサンデッキの上で、打ち寄せる波を浴びながら若いカップルが抱き合う。(中略)これは、ホーチミン市の女性歌手マイ・コーイさん(二五歳)の『アイ・クッド・ラブ・ユー・モア』という自作曲のビデオ・クリップ。歌詞はすべて英語だ。
コーイさんの音楽活動や言動、ライフスタイルは自由・個人主義の意識や国際感覚を感じさせ、まさにベトナムの新世代の若者を象徴する芸能人といえる。


よく西洋は自由・個人主義、アジアはその逆といはれるがそれは表層しか見ない見方である。西洋には西洋の秩序、集団主義がある。私が西洋の猿真似をしてはいけないといふ理由はまさに表層だけ見て更に自分の都合のよい部分だけを持ち込むからだ。
英語の曲をつくるのは、「英語の歌が上手とほめられるし、ほかの歌手と違うことをしたいから」だ。英語の歌詞は、友人の米国在住ベトナム人女性に手伝ってもらい完成させる。

日本でも昭和四十年代に英語の歌を歌ふのはこれと同じ理由だつた。だから特に気にする必要はない。しかし日本で平成年間に入り英語の歌が増へたのは戦後の日本の偏向マスコミのせいで、これは改めなくてはいけない。
米国在住のベトナム人は質素に生活する人が多い。ベトナム仏教寺院もあり、在住ベトナム人が多数参拝する。これは日系人も同じで日本仏教の寺院が日本街にあり、夏の盆踊りのときに住職が挨拶したりする。概してアジア系はアメリカでも質素に生活してゐる。そのような事情を知らず千葉氏はベトナムのアメリカ化の意図だけを米国在住のベトナム人に手伝つてもらふといふ表現で暴露した。

歌手は、ベトナムの若者が最もあこがれる職業の一つだ。(中略)数あるコンテストの中でも最大のものは、〇七年に始まった「ベトナム・アイドル」。米国のアイドルオーディション番組「アメリカン・アイドル」のベトナム版である。(以下略)
新しい趣向の番組で視聴者のメール投票が過熱ぎみだったせいか、地元紙などでは番組を批判する声が上がった。決勝を前にした〇七年九月下旬、ホーチミン市共産党委員会機関紙『サイゴン・ザイ・フォン』は、「『ベトナム・アイドル』」は適切な番組なのか?」という見出しの記事を載せた。
「電話やメールによる投票は公平な結果をもたらさないという意見が多い。出場者は好成績を得ようと”ロビー活動”をする。多数の不正が行われているという指摘もある。メールの送信代は、放送局と通信会社のもうけになる」
「不正」というのは、一台の電話で何通でも投票メールを送れることから、「票を買っている」とか「パトロンがついている」といったうわさが出ていたことを指す。この番組を「金持ちの遊び」と呼ぶ者さえいた。
記事は、やはり共産党一党支配の隣国、中国の政府が同様の番組を規制していることを指摘。「『ベトナム・アイドル』のような西洋の方式の娯楽番組は、東洋の伝統文化に適さない点が多数ある」と結んだ。


東洋の伝統文化に適さないといふのは100%賛成である。東洋に西洋の方法が適さない原因は二つある。一つはもともとアジアと欧州で異なる場合であり、二つには欧州で産業革命以降世の中が変はつたためである。マルクスの資本主義批判は鋭いのはまさに二つ目である。しかし当時は科学万能の時代だからマルクスは資本主義を更に発達させて社会主義に持つて行けると考へた。実際は世の中が平衡するには時間が必要だから唯物論による社会主義は無理である。アジアの共産党はそれに気が付いた。だから「東洋の伝統文化に適さない」といふ主張には大賛成である。
中国では「スーパーガール」といふ番組をゴールデンタイムの午後七時半から十時半までは放映しないよう指示し、投票は会場の観客だけに制限した。ベトナムでは『ベトナム・アイドル』の二年目に放映回数、時間などの制限をつけ、
〇七年の大会は準決勝、決勝ラウンドに三か月余りかけ、毎週二回ずつ放映された。当局は、それを二か月余り、週一回に縮小させたわけだ。また放映時間も〇七年よりも一時間遅い午後九時半からになつた。


世の中は規制と自由の中間にある。江戸時代や東條内閣のときに自由を叫ぶなら偉いが今の世に叫んでも意味がない。それどころか有害である。自由の行き過ぎは新自由主義に至るからだ。日本でもコンピユータ業界を例にとると政府の規制は大きかつた。官民折半出資のコンピユータ会社(実際には日本開発銀行の融資による民間共同出資)を設立したり、日本のコンピユータ会社を(1)富士通、日立、(2)日電、東芝、(3)三菱、沖、 の三グループに分けたり、外資は国内企業と合弁会社を作らせたりした。
中国やベトナムは番組を禁止した訳ではない。日本のかつての通産省の規制と変らない。それなのに千葉氏に言はせると
ベトナム当局は、視聴者投票の継続を容認し、中国よりは寛容な姿勢をとったとはいえ、縮小に躍起になった。


縮小に躍起になつたのではなく、規制と自由の間の適正なところに落ち着いたのであらう。

五月十三日(月)その二「なぜこんな低質な本が市立図書館に」
この本は第7章で若者の自殺を、第8章でベトナム伝統衣装アオザイを取り上げる。どちらもベトナムの伝統を破壊し西洋化を勧めるもので、なんでこんな低質な本が市立図書館にあるのか不思議である。司書といふのはまつたく役に立つてゐない。
次にベトナム共産党に成り代はり西洋化帝国主義を批判しようではないか。


(國の獨立と社會主義と民主主義、その七十)へ
(その二)へ

メニューへ戻る 前へ 次へ