四百一、三年間のPTA活動


平成25年
四月二十一日(日)「最後の委員会」
三年前子供の高校入学式の日に、式典終了後、各教室に分かれてまづPTAの各委員の選出を行つた。選出が終つたら担任を呼びに行くといふ。この日は教室が寒く早く担任を呼びに行つてほしいので私はホームページ委員に手を挙げた。それから3年間が過ぎ昨日が最後の委員会である。
父親委員は私だけだつたが二年目に一人入り、この年は私が委員長なので三年目の入学式の委員会紹介で私が説明しここでも一人入つた。これで父親党員獲得目標年一人(これだと政党みたいだ)、或いは父親会員折伏目標年一世帯(これだと宗教団体みたいだ)を無事達成することができた。

二年目に委員長を引き受けた。それは次の理由によつた。
  1. サーバのユーザ名、パスワードが全員に配る説明文書に書かれ、誰かが間違へて操作したら大変なことになる
  2. バツクアップが取られてゐない
  3. ホームページ作成ソフトは毎年数本づつ買い累計では8本くらいあるが、各委員が自宅のPCにインストールするため、ソフトメーカからライセンス違反といはれたら賠償金を払ふしかなくなる
  4. 作成ソフトで作れない部分があるがHTMLを使へる委員が二人しかゐない
  5. 委員会の出欠はメールの返信、返信の返信、その返信・・・と繰り返しで行なふが、委員が二十人だと400通のメールが飛び交ふことになる。その間に最終メール以外に返信する人が毎回一人くらいは出る(A、B、C、D・・と返信するとき、DさんがBさんのメールに返信しCさんの回答が無視される。メールの遅延はときどきあるからDさんに不注意がなくても起こり得る)
  6. 先頭ページの大きな写真は、春なのにイチョウの落葉の写真のまま一年以上変つてゐない
コンピユータに詳しい人なら3以外を緊急で対処し後で報告するのが普通だが委員二十人の中でコンピユータに詳しい人は二人か三人しかゐない。だから委員長の独断だと不満は出たが紆余曲折を経てすべて解決した。判りやすい例でいふと委員会の最中に心臓麻痺で倒れた人がゐて看護師の委員が心臓マッサージをしたところ、委員会の了承を得たかPTA会長の許可を得たかと文句が出るようなものである。

四月二十三日(火)「左翼はよいが左翼崩れは社会を破壊する」
二年目に入つた新委員にホームページを仕事で作る母親がゐた。この人が専門性の高い発言をしてそれは歓迎なのだが周囲を見下した感じを与え、他の委員からかなり不満が出た。実は私でさへ一時は嫌な感じを受けた。私は委員長なので全体をまとめることに気を使ひ、この委員の提案で先頭ページの風景の写真が自動で変はる仕組みを試行してもらひ私は導入に賛成だつたが皆が賛成せずお蔵入りになつた。この委員も自分の提案が生かされないため一年で辞めてしまつた。
逆にコンピユータが判らないことを売り物にいろいろ文句をいふ委員がゐた。三年目に私は委員長を辞めたがこの人は私が委員を続けるのを見て露骨にそのことに言及して委員を辞めた。つまり委員会運営が原因ではなく仲が悪いことが原因であつた。しかし私は嫌はれる理由がまつたく思ひ当たらない。この委員とは話をしたことさへないからである。
PTAとは関係なく十年ほど前から或る人たちが反感を持つことは気がついてゐた。友誼組合での朝日新聞女性組合員はその一人である。私が保守派を自認する人たちに賛意を示すことが不満なのだらう。私が「左翼はよいが左翼崩れは駄目である」と主張するときの左翼崩れとはまさにこれらの人たちである。左翼は社会を築くが左翼崩れは社会を破壊する。
それにしても一年間委員会を妨害されたからこの委員ではなくその背後にある思想を批判することにした。思想を憎んで人を憎まずである。左翼崩れが偽善に陥る理由を探るから二回離婚した人間は政治家になつてはいけない(小宮山洋子批判、その八) までである。離婚者にはそれぞれ事情があるだらうし離婚者がきちんと生活できる社会にしなくてはいけない。一方で離婚のときの個人感情を社会に持ち込み男女対立を煽つたり社会を破壊してはいけない。(その九)はNHKのアナウンサが逮捕され後から追加したからここでは除外した。

四月二十四日(水)「破壊された秩序はなかなか修復しない」
妻は下の子供の中学のPTAに専念した。ところが二年目に高校の全委員が集まる日に妻も高校に行くといふ。詳細を聞くといつの間にか学年委員になつてゐる。二年目は夫婦そろつて委員になつたがそんな家庭は他にないから私は三年目はやらない予定だつた。ところがうちの委員会に文句ばかりいふ人がゐるので委員を辞任する訳に行かなくなつた。
さうして無事三年目を経過した。送別会のときに来年の副委員長が自己紹介のとき私の席の後で大声を張り上げて延々と不満を言ひ続けた。入学式の後の委員勧誘で文句をいふ母親がゐたらしい。いつまでも続くので何とか自分の席に帰らせた。ここまでは私もまつたく怒つてはゐない。宴会でよくあることである。ところが自分の席に帰るとまともに話し始めた。これで私が怒つた。他人の後ろで大声を張り上げ耳はガンガンするし唾は飛んでくる。それなのに自分の席に着くと普通に話せるのか。さつきまでは酔つたフリをしただけではないか。
確率は五分と五分だと思ふ。しかし即座にさう感じたことから、一年経過してもあの混乱と不信感はまだ解決してゐないことを痛感した。組織運営では幾ら意見を言つてもよいが別の意図で組織を混乱させてはいけない。修復に一年以上掛かる。

四月二十五日(木)「三つ目の偶然」
小学校が同じだつた二人、奄美の同じ島の出身だつた二人。委員会には偶然の二組がゐた。私は送別会で三つ目の偶然を作つた。私が三十年前に入社した富士通の半導体部門の子会社は、富士通のパソコンが電算部門に移管され二つに分割された。半導体の子会社は平成二年に別の半導体子会社と合併した。その合併後の会社が今でも現存しそこに勤務する人がゐた。これには感激だつた。

四月二十六日(金)「PTAの存在意義」
現在のPTAの存在意義は次のようになる。
1.学校にとつては予算以外の経費をPTAから援助してもらひ、PTAは活動したい母親が出席するから学校側も援助の代償として母親たちと月一回の会合を持つ。
本来は次のようにならなくてはいけない。
2.教師と父母の交流機会を設けるとともに、父母の奉仕活動で学校を支へる。
一番の望ましい姿は次である。
3.PTA活動は教育の一部分として、教師の勤務時間にもその分を振り分ける。
PTAが任意活動だとすると2であるべきだが実際は1になる。しかも物言はぬ多数の会員の会費を一部の活動者が消費する構造である。
一年目と二年目は活動をしても昼食代は支給されなかつた。これが普通である。ところが三年目に生徒数が増へ余裕ができたこともあり、午前と午後の両方に活動すると昼食代が支給されるようになつた。本来昼食代はないほうがよい。弁当持参の活動であるべきで、余裕があるなら会費を安くすべきだ。

四月二十七日(土)「予算の無駄遣ひ」
生徒の顔が特定されないよう写真は解像度を下げて使用する。だから高級なカメラは体育祭など動的なものを撮る以外は必要がない。ところが予算があるといふことで毎年のように購入した。パソコンも一年おきくらいに購入した。しかも私が委員長の年に、次年度は予算を更に増やすと会計に言はれた。
PTA内にクラブを設置し部費を集めて活動するなら結構なことである。しかし会員の会費を湯水のように使ふことに委員長になつて以来二年間疑問を感じて来た。PTA活動の母親会員のなかには高級外車に乗る人もゐた。一方で派遣先でパワハラを受けしかも解雇されさうだといふ人もゐた。

四月二十八日(日)「効率の悪さ」
私は零細企業、中小企業、大企業、労働組合、宗教団体、学校法人などをこれまで見てきたからだいたいどんな団体でも判るつもりでゐた。しかしPTAの非効率には驚くばかりだつた。まづ一年目にホームページ委員会で男は私だけだつたが、いつ終了したのか不明なままなし崩しで雑談会になる。そのまま黙つてゐると何時まで経つても帰れない。夏の暑気払ひに一回参加をした。男一人なのに勇気がありますね、といはれたが委員会の正式行事だからそれは気にはならなかつた。このときはPTAの前副会長だかが勤務する店なので何時までゐても大丈夫といふことで終了時刻が不明なまま終電間際までゐた。
私はパソコンが専門だから私が行へば五分で終了する作業が3時間掛かる。これは理解できる。時間を掛けても委員にやつてもらつたほうがよい。しかし行事が終はつた後にホームページを作るまでに長いと半年以上掛かる。これは組織で活動しないためだ。写真を撮るのが上手な人は自分で撮ると同時に他人に教へ、ページを作るのが得意な人は自分が作ると同時に他人にも教へる。委員会にそのような作業の場を設けようとしたが、家で一人で作つたほうがよいといふことでなかなか定着しなかつた。
委員もほとんどは共働きである。各委員がそれぞれの職場に勤務するときこの非効率とは考へられない。会社は男女が揃ひしかし男主導で回つてゐる。男と女では思考方法と速度に違ひがあることを強く感じた。このことを考へないといくら男女平等と言つても絵に描いた餅になる。PTAの各委員会は母親中心だから、父親委員を増やすことも一つの方法だが、父親委員会みたいなものを作るのも一つの方法である。夏休みのペンキ塗りなど普段出てこない父親会員のなかに熱心な人もゐた。更には、PTAの会員といつても委員以外はまつたく会員としての自覚がない。全会員がどこかの委員会に属することが本当のPTA活動を取り戻すためには必須である。

四月二十九日(月)「共産主義国を笑ふことはできない」
学校により異なるが、PTAは指名委員会が会長、副会長、会計、書記などを指名しPTA総会で承認を得るところが多い。変な人が立候補しないようこれはよい仕組みである。私はこの方法に賛成である。しかし我々は共産主義国を批判できなくなる。共産主義国は立候補者を共産党が指名或いは審査し、国民の投票で承認されるからだ。
PTAの場合も特定の団体が立候補者を占めないため必要ではある。私も委員会を妨害する人は、特定の政党か宗教団体か東電かなど可能性を考へた。東電は私がホームページで東北大震災の後に厳しく批判したのでその可能性を考へたがその後、中労委で労働側委員が東電労組なので元委員長の笹森氏を賞賛するなどホームページの内容を変へた。それでも変化しないから東電ではない。政党や宗教団体でもないと思ふ。

四月三十日(火)「PTAと大企業労組の類似点」
PTAと大企業労組はどちらも強制加盟で似てゐる。だから予算の無駄遣ひが目立つ。大企業労組は消費税騒動でシロアリ民主党に圧力を掛けたように圧力団体と化し有害である。PTAには有害さはないが地域或いは全国の活動に経費に見合つた有益さは見出せない。かつては有害テレビ番組の発表など成果があつた。一旦PTAを廃止するか任意団体にすべきだ。それでどんな弊害があるかを調べて再建するなり任意団体を続けるなりしたほうがよい。

五月一日(水)「教員の転勤はしないほうがよい」
子供がお世話になつた教頭先生と数学の先生は教へ方が上手だといふ評判なので、今年の授業参観で見ようと楽しみにしてゐた。しかし二人とも今回の人事異動で別の学校に転勤し残念だつた。教頭先生は進学校から来られ数学の先生は予備校の講師から公立校の教員になつた。そして今回進学校に転勤した。
子供が通ふ予備校選定で、講師の模擬授業を先月聞いた。ずいぶん早口だと感じた。しかし考へてみると私も若いころは間を取るより早口でしやべるタイプだつた。年を取るに連れて間を重視するようになつた。聴く側は若い人たちだから、話す側と聴く側の意識の差を知りたいものである。
教員の転勤は学校格差を無くすといふ目的とは裏腹に学校の格差を拡大する。教員は学校が採用し学校とともに栄枯盛衰を共にするのがよい。さうすれば各学校に偏差値を超える特長が生まれる。
校長は学力即ち進学実績を重視し、PTAの委員の中には反発する人もゐたので、私は逆に支持した。本来偏差値より重視すべきものは多い。しかし高校だけやつても駄目で、大学と社会を変へる必要がある。例へば美濃部都政は都立高校の学力の均衡化を図つたが大学や社会の変革を伴はなかつたため私立進学校を生んだ。大学と社会が変革されるまで高校に目的がなくなるのは適切ではない。それまでは学力第一で行くべきだ。(完)


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