三百七十三、秩父事件(その二)1.代言人代理の復活を、2.三里塚闘争ビデオ


平成25年
二月二十四日(日)「井出孫六著『秩父困民党』」
先月に続き労組の読書会は秩父事件を取り上げた。今回は井出孫六著『秩父困民党』である。今回話題になつたのは板垣退助の不甲斐なさである。関東が一斉に蜂起すれば政府も妥協せざるを得なかつたのではないか。そのためには自由党が全体の蜂起を統制する必要がある。しかし福島事件、加波山事件、自由党解党の直後の事件であつた。
田代栄助、菊池貫平、堀口幸助の三人は代言人であつた。弁護士の前身の代言人は明治六年に始まり明治九年に免許制になつた。しかし合格者は全国で三十四名だからこれまでどおり無資格代言人が堂々と出廷していたとみてよい。
明治十五年制定の治罪法二五六条には「(前略)但シ裁判所ノ許可を得タル時ハ代言人ニ非サル者ト雖モ弁護人タルコトヲ得」とあつた。
免許代言人よりも、むしろ潜り代言人の方がより住民に密着していたし、民衆の心根を知っていた。

弁護士のほかに代言人代理を認めたらだうか。それでは法律に詳しくない者が出現するといふ心配があらう。そのような者は淘汰される。私利私欲の代言人代理が出現する。さういふ心配もあるが弁護士はそれほど無欲公平な人たちで構成されてゐるか。労働組合にゐると判るが、会社が雇ふ弁護士には悪徳な人が最近多い。法律事務所の名前を聞くだけで、あの事務所に所属する連中は悪徳弁護士ばかりだと顔をしかめることが多い。勿論公平な立場で会社に助言を与へてくれる人もゐる。しかし悪徳とまでは行かないまでも会社に悪知恵をつける人がほとんどである。
現に困る現象が七年前に発生した。労働審判といふ制度である。労働委員会は労組が当事者だから当然出席できる。一方の労働審判は労組関係者は出廷できない。会社側は悪徳弁護士を雇ふのに労働側は本人だけである。これほど不公平なことはない。弁護士を雇へばよいといふだらうが労働者側にそんなカネはないことが多い。
弁護士制度が存在するのは構はない。しかし代言人代理の出廷も認めるべきだ。勿論暴力団関係者などが係らないよう審査は必要である。

二月二十五日(月)「三里塚闘争のビデオ」
副委員長のAさんが32インチテレビとビデオプレーヤーを組合にカンパしてくれた。34インチまでは安価ださうで、電機連合はこれまでさんざんあこぎなことをしたから値崩れは罰だ、なんてことは全然思はなかつた。
読書会の後半に早速、三里塚闘争の記録ビデオを見た。Aさんと第四インター幹部のBさんが、今映つたのは誰々だと次々に回顧談をしながら観たから参考になつてよかつた。火炎瓶を投げるとき手を背中に振り上げすぎて石油をかぶり全身火傷で犠牲になつた活動家が映つたときは、かういふふうに投げないと駄目なんだと解説してくれてよく判つた。
私は竹ざおに始まつて角材、火炎瓶、鉄パイプまで使ふその暴力には絶対に反対である。だから東峰十字路事件で機動隊員三名が殉職したニユースが全国を流れたときは、当時高校二年だつたが三里塚闘争を支援する社会党といふのはひどい連中だと思つたものだつた。その後も社会党はあまり好きではないがそれは別の理由による。
三里塚闘争で管制塔を破壊したのは快挙である。あの事件を連続して起こし成田空港を廃港にできれば、今日のような拝米猿真似政治屋や拝米猿真似ニセ学者ばかりが跋扈する醜い日本にはならなかつただらう。今からでも遅くはない。成田空港は廃止したらだうか。空港は羽田で十分足りる。成田は農地が似合ふ。
プラザ合意後から見れば信じられないが、昭和四〇年代はまだ農地は貴重だつた。だから戸村一作氏を委員長に多数の農民と、労働者、学生が連帯した三里塚闘争は後世のために詳細を解析すべきだ。ビデオを見てさう感じた。
私は昭和四九年に当時は上野から新橋まで連続してゐた歩行者天国を歩いてゐて、国会議員選挙に立候補した戸村一作氏の応援活動で、インターナシヨナルの曲が流れるなかを農民の老婆の写真を見て、これこそ正しいと直感した。

二月二十六日(火)「冷戦終結とともに世の中は急激に悪くなつた」
ベトナム戦争は昭和五十年(1975年)まで続いた。その後、ポルポト派の虐殺や中越戦争があり、ソ連崩壊による冷戦終結は平成三年(1991年)である。つまり石原莞爾の予想した最終戦はその一つ前に原爆が使はれたため米ソの冷戦になり、昭和五十年までは東側が優勢、それ以降は西側が優勢で平成三年に終結した。だから冷戦時代を知らない世代から見ると三里塚闘争に違和感があるだらう。
数年前にKホテル争議があつた。機動隊が出てきたが組合は非暴力でスクラムを組んだので逮捕者も怪我人も出さなくて済んだ。三里塚闘争も最初はさうだつたが、だんだんエスカレートした。あの時点で政府が空港建設中止を決めてくれればよかつた。
三里塚闘争では学生は既に少数派で労働者が多かつたさうだ。その後プラザ合意で現業職が激減した。そして米ソ冷戦終結で世界は急激に悪化し地球温暖化を迎へた。

二月二十七日(水)「今こそ成田空港を廃港にすべきだ」
一昨年の東北大地震以降、日本は貿易赤字になつたが心配は要らない。工場の海外移転で貿易黒字が減る分、所得収支が増へるからだ。日本の経常収支の大幅黒字が問題になつたときに、サービス収支で無駄遣ひをして数値を合はせようとした。海外旅行の推奨である。しかし生半可な気持ちで海外に行けば西洋猿真似を増大させ世の中を破壊する。現に今の日本はさうなつた。
貿易赤字はまつたく心配は要らない。それよりサービス収支の赤字を無くすべきだ。さうすれば海外旅行客は激減し成田空港は不要になる。双方に犠牲者を出した成田空港は供養のため農地に戻すのが一番よい。(完)


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