三百七十二、講談社「日本の歴史」読書記
平成25年
二月二十三日(土)「佐々木隆氏『明治人の力量』」
講談社の「日本の歴史」シリーズの「21 明治人の力量」を読んだ。著者の佐々木隆氏は昭和二十五年生まれ、出版は2002年である。第一の感想は偏りがなく内容も良質なことである。米ソの冷戦が終結して以降、日本は悪くて西洋は正しいといふ丸山真男ばりの低級な主張が多くなつた。そのようななかで「21 明治人の力量」は良書である。
多くの日本人が戦前は民主主義がなかつたと考へる。しかし明治時代には明治時代なりの民主主義があり、少なくとも腹黒い嘘つき男の菅や野田よりは良質な政治だつた。
鎌倉の住人が本家の従兄にさそはれて東京を訪問するといふ仮定の話も載り興味深い。下女と女中の違ひも判つた。
この本の欠点は、当時の所得格差の大きいこと、地主と小作農、西洋猿真似の公爵、侯爵、伯爵などの制度に無批判なことである。とはいへ明治時代のことがよく判る書籍である。
二月二十四日(日)「伊藤之雄氏『政党政治と天皇』その一」
伊藤之雄氏「22 政党政治と天皇」はうつて変はつて低質な内容である。最初の書き出しは一番重要である。それなのに十五歳の前畑秀子が東京市玉川プールの水泳大会に出場するといふ昭和四年の話題から始めた。好成績を出せばハワイのワイキキで行はれる全米女子水泳競技大会に出場できるといふ。四ページ目に至つて初めて前畑秀子にとって幸福な一週間は、田中義一首相には地獄の一週間となったと本題に入る。
この書き出しのどこが問題かといへば、アメリカの試合に出られることが幸福だといふその崇米思考と、アメリカによるハワイ併合を疑問視しないことである。伊藤之雄氏の経歴を見ると1995年~97年、ハーヴァード大学イェンチン研究所・同ライシャワー日本研究所で研究とある。アメリカに留学した人は一部を除いて偏向する典型である。この著書を書いた当時、伊藤氏は京都大学教授である。本人だけでなく多数の学生にも偏向を及ぼす。日本の大学教育の問題点が露見する問題本である。
二月二十八日(木)「伊藤之雄氏『政党政治と天皇』その二」
伊藤氏はあちこちのページでイギリスを賞賛する。例へば
原の死は、一人の明治人の死にとどまらず、日本国家の行く末に大きな影響を及ぼした。(中略)イギリスにかなり類似した立憲君主制が原のもとで日本に形成されたからである。
あるいは
大隈はイギリス風の立憲君主制をめざし、ジャーナリズムの人気を利用して活動を続けてきた。
そこには世界で最も多く植民地を持つイギリスへの批判が全くない。植民地を解放したのは戦後のそれもインドで反乱が相次いで統治不能になつてからだ。イギリス式の政治は植民地を生む。その理由を伊藤氏は知らないらしい。民主主義はすべての国民が良心に従ひ国の行く末に責任を持つといふことだ。しかし実際の選挙は私利私欲になる。更に偏向マスコミが存在する。それらを無視しイギリス、イギリスと叫び続ける伊藤氏にも困つたものである。チヤーチルの真似をして「ネバー、ネバー、ネバー、ネバー、ギブアツプ」と叫んだ野田と同程度なのだらう。
三月二日(土)「伊藤之雄氏『政党政治と天皇』その三」
関東大震災のときに流言から朝鮮人殺害事件が起きた。これについて伊藤氏は
虐殺の参加者は、鳶職(とびしよく)・桶屋(おけや)・馭者(ぎよしや)・人力車夫・行商・日雇(ひやとい)など、収入や社会的地位が低く都市で日常的に抑圧感を感じて生活している下層民衆であった。
伊藤氏のエリート意識丸出しの物言ひには絶対に反対である。当時は少なかつた中流階級は山の手に住み人口は密集せず火災も少なかつた。だから平静を保てた。下町は密集し大火災で多数の犠牲者を出した。そして混乱のなかで殺害事件が起きた。決して鳶職や桶屋だから起こした訳ではない。伊藤氏の言ひ方は、丸山真男が小工場主、町工場の親方、土建請負業者、小売商店の店主、小地主乃至自作農上層を批判したのに似てゐる(94、いまだに丸山真男を信奉する者は現代の軍国主義者であるへ)。丸山はこれらを中間階級の一つ目の類型と呼び批判したが、非西洋型を批判するといふ根底の思想は同一である。因みに関東大震災の時の山の手に住む中流階級とは丸山の分類では二つ目の中間階級であり西洋型である。
三月三日(日)「伊藤之雄氏『政党政治と天皇』その四」
伊藤氏の西洋かぶれは昭和天皇が皇太子のときに欧州を訪問する話にも現れる。
当初皇太子は西洋式のマナーを十分に身につけておらず、士官や供奉員たちは驚いた。皇太子は音を立ててスープを飲み、スプーンが皿にあたる音が部屋に響き、ナイフやフォークの使い方も少々手荒く、肉を切るしぐさも不器用であった。
西洋人が日本食のマナーを身につけてゐるか。箸の使ひ方すらできるわけがない。同じように日本人が西洋マナーを身につけてゐないのは当然である。そんなものは少し練習すれば上手になる。だから皇太子もイギリスに着いたとき十分にマナーをつけてゐた。わざわざ書籍に載せる話ではない。このようなものをなぜ載せたのか。西洋マナーは大切だと読者を洗脳したい伊藤氏の意図が感じ取れる。西洋崇拝は次の話にも現れる。
幣原外相は、日本が国際法を守り、五十年以上かかって欧米との不平等条約を解消したように、中国も近代化し、外交交渉によって不平等条約を改正すべきであると考えた。しかし、中国側は、不平等条約や二十一ヵ条要求は正義に反するものであり、ただちに撤廃を要求する権利があるととらえた。
これは中国が正しく伊藤氏が間違つてゐる。不平等条約や二十一ヵ条要求は正義に反するものである。まづ正義か正義に反するかで存続か撤廃かを決め、次に現状を分析して解決法を模索する。その姿勢が重要である。一つ目をせず二つ目に進むことは即ち力こそ正義の発想であり帝国主義そのものである。だから伊藤氏は
この条約感の差は、「正義」か「邪悪」かという自国の基準で西欧文明に対応した中国と、近代化のために西欧文明を受け入れた日本との、文明感の違いにも根差していた。
伊藤氏は近代化のために西欧文明を受け入れれば本当に不平等条約を解消できると思ふか。できる訳がない。日本が解消できたのは日本が軍事力を強くし存在感を与えるとともに欧州内の対立を利用したからである。伊藤氏の書き方は西洋化すればすべて解決すると思ひ込んでしまつた明治維新以降の日本の発想そのものであり、読者にさう思ひ込ませてしまふところが極めて有害である。
三月七日(木)「伊藤之雄氏『政党政治と天皇』その五」
歴史の本なのに第五章第二節は次の文章で始まる。
一九七八年(昭和五十三)六月十九日、私は豊岡駅(兵庫県豊岡市)で山陰本線の急行(丹後3号)を折り、駅前から全丹バスに乗って、円山川の堤防沿いに出石町に向かった。
普通選挙を唱へる斉藤隆夫(憲政会)を支援した出石郡立憲青年党の一人にインタビユーするためであつた。同じく当時の仲間の二人も待機してゐて三人にインタビユーし、その後は四人で酒になつた。そのうちの一人が話した内容が
十代半ばの頃、料理屋に入って慣れない酒に酔って眠っているうちに、芸者に関係を持たれたことをきっかけとして、同年代の少女たちと、かなり奔放な関係を結んだというようなものであった。
これが歴史の本だらうか。この書き方から読者は農村全体がさういふものだと思つてしまふが、伊藤氏の会つた三人のうちの一人がたまたま酒に酔つて話しただけである。歴史の本に書く内容ではない。
三月十一日(月)「二つの規範」
今回は明治大正時代を調べようとして二冊の本を借りた。一冊目がよかつたので紹介し、最近は丸山真男ばりの西洋は正しくて日本は間違つてゐるといふ低級なものが多いと書いた。
二冊目も当然この続きだと思つたが二冊目はまさに丸山真男ばりの内容だつた。同じシリーズなのにこれほど正反対なのは珍しい。国内に複数の規範があると混乱する。西洋がどうだから、アメリカがどうだからといふのではなく、日本は日本の規範ですべきだ。日本社会が混乱する原因はここにある。
私がこの問題にうるさいのは理由がある。私の勤務先は外資系コンピユータメーカと取引きが多いが、この会社はこれまでリストラを十五年間繰り返してきた。私の勤務先がこの方法を真似するから今までずつと都労委、中労委ともめ続けた。まづ外資系も日本で事業を行ふ以上、日本の規範に従ふべきだ。ましてや私の勤務先は国内企業なのだから外資系の真似をしてはいけない。
アメリカは簡単に解雇するが就職先はすぐ見つかる。日本は見つからない。これも二重規範の例である。解雇するなら国内全体をさうしてもらはなくてはいけない。二つの規範があると権力のある側は都合のよいほうを選ぶ。菅と野田の消費税騒動がよい例である。(完)
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