三百六十六、山口二郎氏批判(その六)


平成25年
二月十一日(月)「異端、少数派を育成するには」
まづ最初に言ひたいことは、すべての人には言論の自由がある。だから山口氏が何を言はうと自由である。しかし「北海道大教授」の肩書きで発言してはいけない。それでは国立大学教授の名誉を私的に流用したことになり、国民財産の侵害である。例へば世間に「富士通株式会社専務取締役半導体事業本部長」など肩書きを付けて政治発言をする人がゐるか。ゐる訳がない。大学教授とて同じである。
山口氏は二月十日の東京新聞のコラムで
勇気ある人は、異端、少数派と見られがちだ。しかし、多数派が間違っているときに、世の中を立て直すのは、異端、少数派の勇気である。

この発言自体は正しい。しかし山口氏がいふと違和感がある。正反対のことをしてきたのが山口氏である。小沢叩きはマスコミ、検察庁、既得権勢力が一体となり多数派を形成して大変なものだつた。あのとき山口氏は異端、少数派に付いたか。逆ではないか。山口氏は続けて
どのような立場にあっても、自分の目の前でおかしなことが行われていれば、それに対しておかしいと言い続けられるような人間を育てることこそ、教育の目的である。

山口氏はそれが教育の目的だと本当に思つてゐるのか。私は違ふと思ふ。なぜなら山口氏は教育基本法をそのように改正することを主張しないからである。そもそも今回のコラムは、原発反対と柔道界の暴力に反対することから始まつてゐる。山口氏はこれまでこの二つに反対し、その点は私と同意見である。
しかし原発に反対と賛成は拮抗し、どちらかが異端、少数派ではない。柔道の暴力に至つては国民のほとんどが反対であらう。マスコミによる監督、コーチへの報道には行き過ぎもあり、それを批判する人がゐれば逆に異端、少数派で勇気ある行動であらう。私が今回、異端、少数派を応援しないのは、原発については電力総連による悪質な圧力が明るみに出たためだし、暴力事件の場合は選手が最初に訴へたのに上層部がいい加減な対応をして、しかも監督が「訴へたのはお前か」とパワハラをしたからである。
本当の異端、少数派は小沢叩きに反対することである。或いは中国問題で冷静な対応を呼び掛けることである。山口氏はどちらもしない。つまり山口氏は多数派に付くくせに進歩派のふりをする。米ソ冷戦終結後の進歩派は曲者である。山口氏の場合はアメリカ猿真似である。

二月十七日(日)「本当の敵」
十七日のコラムで山口氏は尖閣諸島問題と北朝鮮の核実験で東アジアの緊張が高まつたことに触れた後で
週刊誌はその脅威を煽(あお)り、戦争も近いと騒いでいる。(中略)小さな島の領有をめぐって殺し合いをすることなど、ばかばかしくて、想像できない。そんなことは絶対に起こしてはならない。

ここまでは100%同感である。しかし戦争を煽つたのは菅直人政権時代の前原である。さんざん強硬論を主張し船長を逮捕し、一発触発の状態になり慌てて釈放した。次に山口氏は
外敵をこしらえて、それに対する敵意を煽ることは、国内を統合するための最も安易な方法である。

これもまつたく同感である。しかしこの方法はアメリカが一番用いるではないか。冷戦時代は共産主義国を外敵にした。このとき韓国、南ベトナムなどの独裁国は味方にしてゐた。冷戦終結後は独裁国を外敵に仕立て上げた。それでゐてイランを叩くために独裁国のイラクを味方にした。貿易センタービルに航空機が突つ込んだときは、無関係のイラクに言ひがかりをつけ戦争を始めた。結局生物兵器は出てこなかつた。これらの事実を無視して
権力の基盤が弱い国ほど、外敵の存在を頼りに支配を持続する傾向がある。中国や北朝鮮が国際社会のルールに反する行動を取るのは、それらの独裁国家における権力が脆弱であることの現れである。

普通選挙を実施しない国を批判するのは正しくない。それでは戦前の日本が列強の仲間入りをしたつもりで周辺国を見下したのと何ら変らない。日本も大正時代までは普通選挙を実施してゐなかつた。祖国の歴史を分断することにもなる。拝米学者は普通選挙の有無で他国を見下すが、今回山口氏は権力基盤の強弱で来た。しかし北朝鮮はともかく中国の権力基盤は弱くはない。日本は普通選挙を実施してゐるが、自民党の一党支配が続いたり、官僚や業界団体との癒着が続いたり、世襲が多い。選挙になると名前だけ叫び続ける馬鹿な候補が続出する。こちらのほうがよほど権力基盤といふか普通選挙制度の基盤が弱くはないか。また菅政権時代の前原のほうがよほど外敵を利用する権力基盤の弱い政治屋ではないのか。

二月二十五日(月)「教授からさよなら山口二郎」
二十四日のコラムは「賃上げの方法」である。安倍首相が経済界首脳に賃金引上げを要請したことについて
連合を民主党から引き離すための深謀遠慮があるとも言われている。(中略)まさか労働界の幹部はこんな見え透いた演技にだまされるはずはないと思うが。

この文章で山口氏が真に応援するのはシロアリ民主党だとよく判る。シロアリ民主党とは菅、野田、前原派のことで進歩派のふりをしながら戦後の拝米体制を維持したい連中である。まさに山口氏の日ごろの言動そつくりである。山口氏は次に
首相が本当に賃上げを実現したいと思うなら、確実な方法がある。それは最低賃金を引き上げることである。

と述べる。最低賃金の引き上げは賛成だが、それだけでは駄目である。なぜパートなどに最低賃金が多いかといへば、失業者が多いためである。日本の労働運動は長いこと人手不足の状況下にあつた。人手が余り始めたときはヤミベースアツプなど自分たちの給料さへ高ければよいといふ連中が総評を解体した後だから、もはや失業者には感心を持たなくなつた。
そのことを無視して最低賃金を上げろといつても、失業者は減らないし最低賃金の人はそれに張り付いたままになる。私の妻も子供の教育費のために働くようになつた。最初は最低賃金だつたが今は別の仕事に替はりそれより一時間あたり百五十円高い。しかし一ヶ月更新の有期雇用で何回か更新の後いよいよ来月末で終了しさうである。
これは主婦もさうだしほとんどの失業者にも当てはまる。最低賃金だつたりそれより少し上だつたりする。かういふ事情を知らず山口氏は表面だけ見て、最低賃金を上げればそれで済むと思つてゐる。山口氏は表面しか見ない低級な論調を治す方法がある。教授を辞めて非常勤講師か何かになることだ。一時間当りの単価は高いがそれほど時間を受け持たず最低賃金に留める。さうすれば事情がよく判る。表面だけ見なくて済む。低級なコラムを書かなくて済む。

三月三日(日)「大手メデイアと地方メデイアを意図的に混同する山口氏」
本日のコラムで山口氏は、愛媛県の南海放送がアメリカのビキニ水爆実験で第五福龍丸だけではなく多くの漁民が被爆した番組を取り上げた。ここで問題なのは次の文章である。
メディア批判が横溢(おういつ)する現在だが、ジャーナリスト魂は、あちこちのメディアで健在である。

消費税増税工作の大手マスコミに、多くの国民が不信感を持つた。当り前である。菅政権と野田政権の時にマスコミはやたらと財政危機、財政危機と騒ぎ、しかも小沢批判を繰り返した。これがどれだけ欺瞞かは、今回の安倍政権の財政出動策をまつたく批判しないことで判る。
そして山口氏も増税賛成と小沢批判を繰り返した。その山口氏が「メディア批判が横溢(おういつ)する現在だが」と批判するのは筋違ひである。「メディア批判と拝米ニセ学者批判が横溢する現在だが」と書いてほしかつたのかと嫌味の一つも言ひたくなる。
次に、大手メディアと地方メディアを混同してはいけない。地方メディアは大手ではない。南海放送は、資本金は私の勤務する会社の二倍くらい、従業員数は1/3である。まあお互いご同類である。と言ひたいが平成二二年の平均年収は8371335円。といふことは私くらいの年齢だつたら1500万円であらう。私の三倍である。
それでも私は正規雇用だからまだよい。非正規は200万円だし失業者に至つては失業保険、給付日数を過ぎれば無収入である。日本は自由経済のように見へて自由経済ではない。経済の変動とは無関係のシロアリどもが高額を掠め取つてゐるからだ。メデイア批判が横溢するのは当り前である。
南海放送については更にある。地方のテレビ局はどこも東京の系列である。だから南海放送は日本テレビ系である。とは言へ株主は愛媛新聞が6%、明治安田生命、伊予銀行、伊予鉄道が5%づつなど日本テレビの系列ではない。それが水爆批判をできた理由だし、一方で菅、野田、それに追従する拝米ニセ学者を批判できなかつた理由ではないのか。山口氏は表層しか見ない。だから低級な論評しかできない。(完)


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