三百六十六、山口二郎氏批判(その七)


平成25年
三月十一日(月)「気は確かか」
昨日のコラムは次の文章で始まる。
このところ政治家の言動、行動を見ていると、気は確かかと言いたくなる。


この言葉は菅と野田に向けるべきだ。国民は消費税増税を止めさせるため民主党に投票した。鳩山はかなり危なつかしいがよくやつてくれた。たまたま鳩山政権誕生前後のころ、私は官庁入札を担当してゐた。鳩山政権が誕生した直後、厚労省だつたか国交省だつたかどこの官庁かは覚へてゐないが会社に電話があり、予算が削減されさうなので先日の入札広告は取り消したいとのことだつた。鳩山政権誕生の効果が早速現れた。
ところが後を継いだはずの菅が突然消費税増税を言ひ出した。財務省に言ひくるめられ連合の圧力に負けたのであらう。国民の批判を浴びて退陣したのに野田がまた同じ事を繰り返した。このころは新聞も連合の圧力だと書いた。ところが山口氏は菅を批判することなく、野田には批判するふりをしてもそれは原発問題で菅の再起を目指すような発言だつた。
山口氏の「気は確かか」は菅や野田にではなく安倍首相に向けてである。山口氏は気は確かかと言ひたくなる。

三月十二日(火)「沖縄県民は日本復帰を願つた」
山口氏はすぐ続けて次のように書く。
安倍晋三首相は、サンフランシスコ講和条約が発効した四月二十八日に主権回復記念式典を開く意向を示した。


私はこの式典には反対である。毎年行なつてきたなら別だがなぜ今ごろといふのが最大の理由だし、特に平成年間に入つてからは日本の政治は拝米猿真似で変になつた。主権は恢復してゐなかつたともとれるし、米ソ冷戦終結後に主権を再び失つたともとれるからだ。
しかし山口氏は別の理由で反対する。
まず、沖縄が国家から排除されていることは、大変な差別である。


山口氏の主張には反対である。沖縄を米軍占領下に置いたのは日本の希望ではない。アメリカが勝手にやつたことだ。だから日本は奄美、沖縄と順番に返還を要求し実現させた。沖縄も本土復帰を願ひ続けた。今でも沖縄には大変な差別があるが、それは厖大な基地が残存することだ。山口氏は沖縄の記念式典反対の声に早速飛びついて批判を始めたが、学者のすることではない。
当時の自由党、民主党(今のシロアリ民主党とは無関係)の賛成は当然として、社会党も右派は賛成、左派は反対。中間派浅沼書記長の安保反対講和賛成で左派も一旦は賛成した。本土の主権が恢復しなければ沖縄の主権も恢復しないからだ。

三月十四日(木)「丸山真男と酷似」
山口氏は大変な差別であると大見得を切つた直後にまた、それ以外にも、大きな錯誤が存在するとして次のように書いた。
国民主権は近代民主主義の大原則であり、わが国の憲法もこの常識を取り入れた、普通の憲法である。この当たり前の憲法をなぜか恥ずかしがる安倍首相の下、国民主権を損なう行動を為政者が続けている。


安倍政権が国民主権を損なふ行動を続けてゐるのは事実だが、私と山口氏では反対理由が正反対である。まづ菅と野田の嘘に始まつた消費税増税を撤回しないことが一番の損なふ理由である。こんなことは将来人類が滅びなかつた場合は常識となるが、山口氏は消費税増税に賛成した。
これからが本題だが近代民主主義とはいつたい何か。このように近代西洋文明といふ帝国主義と地球滅亡の主犯をありがたがる。将来人類が滅びなければ、山口氏はナチスを援護した御用学者と同列だと論じられよう。
それより問題は、大昔は民主主義があつた。ニホンザルの群れでも同じだがボスは決して独裁ではない。責任を果たし良識ある行動を取らないと失脚する。人間も同じである。だんだん規模が大きくなるにつれ権力の魔力に取り付かれるから宗教や伝統など何とかして悪い政治を防がうとする努力が世界中で行なはれた。それらはうまく行く場合が多いが悪くなることもあつた。
近代西洋思想は、アメリカ大陸先住民の滅亡に始まり、帝国主義、世界恐慌、原子爆弾、そしてつひに地球温暖化或いは原発事故による人類滅亡の直前に至つた。ところが山口氏は近代民主主義の大原則と人類滅亡思想をありがたがる。

三月十七日(日)「十七日のコラム」
山口氏のコラムはいつもひどい内容である。今回は次の内容で始まる。
今月十一日前後には震災や原発事故に関するさまざまな報道があふれていた。しかし、しだいに多くの日本人は災害や原発事故という暗い記憶を消し去りたいと願っているように思える。


十一日前後に原発の報道にあふれてゐたのにその後はあふれなくなつた。それは報道機関の責任である。それなのに山口氏は「多くの日本人」の責任に転嫁した。しかも山口氏は
アベノミクスへの熱狂や、安倍政権への支持率の上昇は、そうした心性の現れであろう


と安倍政権の支持率まで「多くの日本人」の責任にした。アベノミクスといふ奇妙な用語は偏向マスコミが流行らせたものだ。国民の責任ではない。なぜ山口氏はマスコミを批判しないのか。その理由は山口氏が、マスコミは西洋式、多くの日本人は非西洋で廃絶すべきものといふ丸山真男ばりの偏向に取り付かれてしまつたためだ。
安倍氏の支持率の高い理由は二つある。一つは景気回復への期待だし、二つ目は社会を破壊しようとする朝日新聞など拝米猿真似への批判である。拝米猿真似は国民の生活を破壊する。国民はそのことを肌で感じてゐる。だから石原前都知事などは支持率が高い。
ところが平成年間に入り、国民の素朴な感情を新自由主義や反中親米に向けさせようとする勢力が現れた。山口氏もその一員である。

三月十八日(月)「シロアリ民主党の原発稼動は不問に付すつもりか」
山口氏はシロアリ民主党については、菅を誉め野田には一定の距離を取つた。しかしシロアリ民主党を支持することに変りはない。だから最近もシロアリ民主党本部に呼ばれ講演や会談をした。その山口氏が
安倍政権は、原発の再稼動を明言している。それに対する世論の反発はあまり強いものではない


と書いた。東北大地震後、初めての原発稼動なら世論の反発は極めて強い。しかし既に野田政権が大飯原発を稼動させたではないか。二つ目が盛り上がらないのは当たり前である。山口氏はコラムの最後に
少なくとも報道や学問を職業とする者は、一般人に代わって論じ続けなければならない。真相究明もなしに原発を再稼動することは、人類と歴史に対する犯罪である


と書いた。報道や学問を職業とする者といふが、拝米猿真似の偏向言論を繰り返すだけで職業人とはいへない。規制された業界に拝米で入れたくせに一般人より偉いといふ意識が文章ににじみ出て実に嫌な印象を受ける。拝米、反日、死刑廃止。これらは一般人より偉いと勘違いした連中の常套句である。
もちろん一般人にも過ちはある。贅沢な生活のほうがいい。しかし他人を犠牲にして電機連合や電力総連のように自分たちちだけ贅沢な生活をしようとするのは駄目だと導くべきだ。他の生物や大自然を犠牲に人間だけ贅沢に暮らさうといふのも駄目である。原発反対運動を偽善にしないためには、省エネルギーの生活でよいと国民が決意することが必要である。山口氏はそのような主張は絶対に言へない。拝米だからである。西洋の猿真似を越へた議論はできないからだ。


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