三百四十一、Windows8を機会にマイクロソフト社と手を切らう


平成24年
十二月二十九日(土)「マイクロソフトの支配を許すな」
Windowsの技術的な欠陥については前にも特集を組んだが(二百八十六、Windowsを入れたコンピユータは欠陥コンピユータだ)、今回はマイクロソフト社をソフトウエア業界に君臨させておくことの問題点を指摘しよう。
マイクロソフトのOSがPC分野で独占し始めたのは一九八五年だから三十年弱の間、マイクロソフト社が世界のソフトウエア業界に君臨したことになる。その弊害たるや極めて大きい。まづ用語の不統一である。DOSの時代にはデイレクトリと呼ばれてゐたものが、いつの間にかフオルダと呼ばれるやうになつた。画面左下の「スタート」ボタン>すべてのプログラム>アクセサリ>コマンドプロンプトを選ばう。黒い画面が現れる。ここでdirと入力してEnterキーを押し、表示されたものをよく見よう。ディレクトリといふ名称が用いられてゐる。
その一方でアクテイブデイレクトリといふことで、デイレクトリをユーザ登録名簿の意味で使つてゐる。コマンドプロンプトではディレクトリはフオルダの意味なのに、別の意味に使ふのは、ずさんといふ範疇を超へてもはや使用者を馬鹿にしてゐるとしか言ひようがない。
似たような例としてデフオルトゲートウエイもある。ブリツジ、ルータ、ゲートウエイといふのはコンピュータネツトワーク用語として基本だ。ところがマイクロソフトはルータの意味でゲートウエイを使つてゐる。それでゐて二つのLANカードなり無線カードをPCに装着するとブリッジといふ用語も出てくる。このブリッジとはやはりルータのことだ。
マイクロソフトはコンピユータ業界の用語を混乱させ多大な損害を与へた。

十二月三十日(日)「マイクロソフトと産経新聞」
多くの日本人は大手マスコミの偏向には気が付かなくても、産経新聞の偏向だけは知つてゐる。だから私が7年くらい前に入社試験の面接を担当してゐたときに家で産経新聞を購読してゐるといふ学生にそこを質問する取締役がゐた。私は信条の自由に反するから何新聞を購読しようと質問はしない。
その産経新聞とあらうことかマイクロソフトが提携してゐる。MSNを開くとよく判る。我が家でも購読料が安い(夕刊がないため)といふ理由だけで、東京新聞と交互に購読した時期があつた。五年ほど前から購読を止めたが、インターネツトで調べると、当時より更に偏向が進んだ。今の読売新聞がかつての産経新聞、今の産経新聞はもはや新聞とは言へない。

一月四日(金)「ユーザインタフエース」
マイクロソフトはユーザインタフエース(コンピュータの使用方法)をしょつちゆう変更する。OSは何十年経つても変更してはいけない。UNIXを見てみよう。今のLinuxに至つてもユーザインタフエースは変更されてはゐない。大学などの授業で教へたことが何十年経つても生きてゐる。マイクロソフトの使用法は次の製品ではまつたく変はつてしまふ。
WindowsはもはやOSとは言へない。マイクロソフトといふ企業がコンピュータを使ふためにOSの上で動くものを作り、それでゐてOSを自称したに過ぎない。

一月十一日(金)「ドライバ」
コンピユータに内蔵された種々の周辺装置を動かすプログラムをドライバといふ。Windows95あたりまでは、どのドライバを組み込むかを手動で設定できた。いまはレジストリで管理するから手動では設定ができない。
ところがWindows7では、一覧を表示させるのに操作法がWindowsXPと違ふ。なぜ操作方法を変へるのか。

一月十四日(月)「我が家のパソコンが二台とも動かなくなつた」
パソコンはときどき自働で更新プログラムを取得する。数日前のWindowsの更新プログラムで大変なことが起きた。我が家には二台パソコンがある。WindowsXPとWindowsVistaである。ところが更新プログラムを読み込んだところ二台とも動かなくなつた。
<1台目>Vistaの電源を入れるとRegistoryxxx/xxxといふ文字が黒い画面に出たまま動かなくなつた。xxxxは数字で確か255か何かだつた。電源を入れ直してOSの状態を一つ前に戻した。それでも動かない。無線LANのアダプタを外したりするうちに動くやうになつた。たぶん無線LANのドライバと更新プログラムの相性が悪いのだらう。例へドライバが悪いとしても全部止まるのはOSが悪い。OSは各プログラムのアクセス権を管理するからだ。判りやすい例で説明すると、豚小屋が20に区切られ、各区切りの中に一頭づつ豚を飼つてゐるとしよう。或る区切りの中の豚が暴れて豚自身が怪我をした。これは仕方がない。手当てをすればよい。しかし豚が暴れて豚小屋が全部壊れた。これは建築業者が悪い。
<2台目>電源を入れても画面は黒いまま、キーボードも働かない。キーボードが働かないから電源を入れ直した。何回やつても同じである。起動時にF11か何か(メーカによつて違ふ)を押してメニユーを表示させ、一つ前に戻した。すると画面は出るがC:\Windows\xxxxのフアイルが壊れてゐますといふメッセージが出るようになつた。購入時のCDを探したが見つからない。止むを得ずそのまま電源を入れ直したら起動できた。ユーザが四人登録してあるのに二人しか表示されない。とりあえず表示されたユーザでログインした。Microsoft Security Essentialsといふウイルスチエツクソフトを起動させたところ、途中で「PCの状態:危険」といふ文字が赤い帯に表示された。C:\Program Files\xxxxx\xxxxx.exeで止まつたままキーボードが働かない。無線LANのアダプタを外し電源を入れ直しウイルスチエツクのデータフアイルを取り直したら動くようになつた。ウイルスチエツクを「フル」で掛けたが全然ウイルスには感染してゐなかつた。つまりC:\Windows\xxxxのフアイルが壊れてゐるといふのと、C:\Program Files\xxxxx\xxxxx.exeはウイルスに感染してゐるといふのはまつたくの嘘だつた。
これではOS失格である。ユーザインタフェースの変更はしなくてよいから、と云ふかしてはいけないから、その労力でもつとOSがきちんと動くようにすべきだ。

かうなつた原因は、一企業が世界にOSを販売することにある。大型コンピユータの時代は各企業がOSを開発したがそれは自社のコンピユータで動かすためだ。OSはコンピユータを売るための付属品だつた。
今から二十年ほど前にオープン化が叫ばれた。どこのメーカのコンピユータも同じOSを使へるようにしようとする発想である。オープン化のOSはUNIXである。その後、UNIXが有償化され代はりにLinuxといふ操作方法がUNIXとまつたく同じものが出てきた。こちらは今も無償である。世界はLinuxを標準OSにすべきだ。そのときこそ本当のオープン化が完成する。(完)


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