三千三百二十八 短編物語(石原莞爾、ポルポトの虐殺を停止させる)
丙午(西洋地球破壊人歴2026)年
十月十一日(日)
第一章 シアヌーク国王
カンボジアは、フランスの植民地だった。シアヌークは、フランスの後押しで国王に任命された。シアヌークは後に、制約のある国王の地位を父親に譲位し、首相として選挙に勝ち、政治の実権を握った。
後にポルポト派の幹部となる人たちは、合法的に政治活動や教員をしてゐたのに、シアヌークは弾圧した。そのため、彼らは密林に逃れた。
これが後に、重大な事件を引き起こす。

第二章 クーデターと、ポルポトが政権奪取
国王が亡くなり、シアヌークは再び国王と、当時の日本国内では呼ばれた。正確には、新設した国家元首だった。シアヌークの失政で、カンボジアは財政難とインフレになり、ロンノルを首相に任命した。
シアヌーク元首が外遊中に、アメリカCIAにそそのかされたロンノルがクーデターを起こし、シアヌークは中国の助言で、ポルポトと組むことになった。
中国の支援と、シアヌークの名声による国民のゲリラ加入で、ポルポト派は政権を奪取した。

第三章 シアヌーク帰国
シアヌークは帰国し、国家元首に就任した。しかし実権は無く側近が、石原莞爾を呼んだらどうでせうか、と進言した。石原は、当時国会議員だった辻正信とともに、タイへ行った。そこで分かれ、石原はベトナム、辻はラオスへ行った。
シアヌークは、石原を知らなかったので、側近が、内戦中の中国で毛沢東と会談したことがあります、と説明した。かわぐちかいじさんの漫画「ジパング」で、石原と毛沢東は会談した。
早速、ベトナムの石原を呼び寄せた。石原が云ふには、過去の弾圧が影響してゐるので、国家元首を息子に譲位することを提案した。次に、中国と会談する必要があるので、石原自身が中国へ行った。

第四章 毛沢東説得
石原は、毛沢東主席が、元満洲皇帝溥儀を「病を治し、人を救ふ」の言葉に従ひ、労働者として復活させたことを称賛した。次に、毛沢東先生の国民党軍撃破の戦略を称賛した。更に、毛沢東同志の永久革命論に賛意を示した。
いろいろな呼び方で毛沢東を持ち上げた上で、封建主義は原始共産主義の堕落したものだが、科学の堕落したものが帝国主義であり、これは単純唯物論だ、と持論を展開した。
弁証法的唯物論が打破すべきは単純唯物論で、単純唯物論の欠点は公序良俗を破壊することだ、カンボジアで殺人が始まりさうなので、止めさせてほしい、と希望を伝へた。
毛沢東は、劉少奇と鄧小平を既に解任したので、文化大革命をどう集結させるかを考へてゐたので、石原の云ふことが分かり、カンボジアに指示を出した。

第五章 カンボジアの農村社会主義
シアヌークの息子が元首を引き継いだので、国民の反乱は起きず、虐殺は起きなかった。比丘の強制還俗も無かった。都市の農村移住は行はれたが、労働力の有効利用に欠点がすぐに現れ、自然に都市が復活した。
カンボジアのやり方は、農村社会主義として、中国の人民公社とは別の方なので、世界から一定の評価が与へられた。石原がどこかへ消えた。暫くしてカンボジアの人たちは、石原が1949年に病死したことを知った。あのとき現れた石原は、誰だったのだらう。今でも、カンボジアの人たちは不思議に思ふ。(終)
(追記)  石原のアジアを思ふ心には神々までも動かす力

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