三千二百六十三(うた)短編物語(良寛和尚と石原莞爾、全国良寛会と鎌倉教祖の末流を批判)
丙午(西洋地球破壊人歴2026)年
七月十九日(日)
第一部 永禅和尚の批判
仏法好き三人が集まったときに、永禅和尚が穏やかな顔で云ふ。良寛和尚と石原さんは気を悪くするかも知れないが、全国良寛会と鎌倉教祖の末流はけしからぬ、と云ふ。穏やかな顔で云ふのは、言葉と腹の中が乖離してゐるからだな、と邪推してはいけない。事実、怒ってはゐなかった。
永禅和尚が書籍を読んだところ、上座部仏法の事を、二つの団体が小乗、小乗と呼ぶ。まづ全国良寛会監修、竹村某著作の本は、二ヶ所にこの蔑称を使った。この本は二年前の出版だが、世界仏教徒連盟がこの蔑称の使用禁止を決めたのは、1950年だ。七十四年間、何をしてゐたのか。
二番目に、石原さんが生前に信仰した団体と提携した本山の、鎌倉時代は兄弟寺で、明治維新後に別の宗派になったところが、この蔑称を使ふ。たまたま不用意に使ってしまったのかと、寛大な気持ちでGoogleのAIで調べたところ
ここ10年(2016年〜2026年現在)の動向を見ても、xx正宗が上座部仏教を「小乗仏教」として位置づけ、批判(破折)する教義上の姿勢には1ミリの変化もありません。
近年における具体的な状況や特徴は、以下の3点に集約されます。
1. 2021年の「御生誕八百年」でも不変の教学
xx正宗は2021年に「宗祖(中略)聖誕八百年」の大佳節(記念年)を迎え、国内外で大規模な法要や布教展開を行いました。
基本方針の維持:この節目に向けて出された多数の指導や解説書においても、教義の根幹である「五重相対(大小相対)」はそのまま変わらず強調されています。(中略)そのた め、近年の国際的な(中略)仏教学の進歩(「小乗」は差別的呼称であるという国際常識)に歩み寄る動きは一切見られません
2. インターネット・SNSを通じた発信
ここ10年は各地域のxx正宗寺院が公式ウェブサイトやSNSを開設・リニューアルする動きが加速しました。
ネット上での明記:全国の寺院サイトにある「仏教Q&A」などのコーナーでは、現在も「釈尊の説いた教えの勝劣」として、小乗教(阿含経など)は「自分一人の救済のみを目的とした狭い教え」であり、現代において信仰する価値はないと明確にネット上で一般公開し続けています。
3. 海外布教(東南アジア)における現状
ここ10年、日蓮正宗は台湾、インドネシア、フィリピン、マレーシアなど東南アジア一帯への海外布教(現地法人・寺院の開設)に非常に力を入れています。
現地での摩擦:伝統的に上座部仏教(現地でいう大衆的な仏教や、いわゆる小乗的価値観)が根強い東南アジア地域において、「現地に古くからある仏教は、人々を真に救えない低い教えである」とする「大小相対」の教理をそのまま持ち込んで布教しているため、現地の伝統宗教や文化との間で思想的なコンフリクト(摩擦)や折伏の難しさが現場の課題となっています。
(差別部分を赤色にした)
せっかく寛大な気持ちで調べたのに、ますます酷くなってしまった。
寛大な心で見るもあの宗派排外性へと世と逆向きに


第二部 良寛和尚と石原莞爾が二団体を批判
良寛和尚が、石原さんの兄貴分の存在だった多田駿さんのやうに、個人で親近感を持ってくれる人には感謝してゐるが、全国良寛会みたいに組織で熱中することには困惑してゐる、と話した。組織には、押し付けが発生する。かつては自主発表会だったが、柳田聖山さんと飯田利行さんが渡航説を発表してから、その否定に組織を上げるやうになった。
渡航は、当時は国禁だったので、良寛和尚の著述に渡航はない。その間は、ぽっかり穴が空いた状態だ。だからAIで復元できない。
次に、石原莞爾が云った。江戸時代末期に黒船が来てから、敗戦の混乱が収まり経済が回復した辺りまでは、鎌倉時代の元寇と同じだった。しかし今は違ふ。誰も、今が末法だ、とは思はない。1950年に、蔑称は使はないことになったのだから、教祖の名誉回復の為にも、あの表現は鎌倉時代のことだった、とするのが正しい。
アメリカに敗けたの後に集団は合はず今の世 一人づつ信仰こそが唯一の生き延びる道組織は合はず

反歌  律宗と曹洞宗を出る和尚陸軍を出る元参謀も

第三部 すべての神仏信仰を尊重
次に、良寛和尚が道元和尚傾倒から仏法全般へ、広がったことが話題になった。全国良寛会やあの鎌倉教祖みたいに、思想を狭めることと、逆だった。
良寛和尚を含め三人が、渡航の影響、特に寒山詩の影響だと思った。しかし当時は国禁に違反する行ひだったので、誰も云はなかった。永禅和尚自体、渡航し唐土で南伝仏法の僧に会ったか、更に暹羅まで行ったか、と思はれたが、誰も云はなかった。
思ひ返せば、道元和尚が法華経を尊重したのも、渡航してからだった。鎌倉仏法の教祖がもし渡航してゐたのなら、あれほど強硬に他宗を批判しただらうか。ふと石原の頭に、そんな考へが浮かんだ。
唐土の宗派は学派共存し 排外せずは三毒と無縁を続け 万が一発生しても元へと戻す

反歌  排外は独善及び利己心を次々生みて復元は無し(終)

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