三千二百五十七(朗詠のうた)短編物語(石原莞爾、豊臣政権永続に尽力)
丙午(西洋地球破壊人歴2026)年
七月十二日(日)
はじめに
前の物語では、秀次が石原莞爾を登用した。今回は、石原の登場が更に遅く、秀頼の時代だった。前回は、近衛中将だったが、今回は出羽の海岸に自活する半漁半農の兵学者である。
第一部 秀吉亡くなる
豊臣政権で、五大老の手足である五奉行のうちの二人、石田三成と長束正家が、シャム国で修行したことのある日本人比丘に会った。この比丘の予言は、当たると評判だった。
比丘が云ふには、豊臣政権は自滅し、家康殿が幕府を東国に開きます。家康殿が住む江戸か、鎌倉か、或いは小田原になるでせう。石田と長束が、どうしたらよいのか、と尋ねた。比丘が云ふには、出羽の海沿ひに石原莞爾と云ふ者が自活してゐるので、此の者を参謀にするとよいでせう。
早速、三成自身が出羽迄出向いた。諸葛孔明を迎へた三顧の礼に倣ふ必用がある。三成は、さう判断した。丁度、加藤清正ら七将による襲撃事件があり、三成は五奉行を辞職し隠居中だった。
第一部 伏龍世に出る
三成が、豊臣政権内の出来事を、時系列で話した。自身は五奉行を辞任し、隠居中だと説明した。幾つか質疑の後、石原は、秀頼公が関白を今後も続けるかどうかより、豊臣政権の永続を目指したらどうでせうか、と答へた。
三成が、それでは駄目で、秀頼公の隠居などもってのほかだ、と云ふと、石原は、ご本人の希望に沿ふことを第一に、五大老の動向も加味する必要があります。豊臣政権が続けば、秀頼公は安泰です、と答へた。
第二部 家康を次期関白とする
秀頼は成長すると、秀吉とは似るところが無かった。秀吉は、小男で醜男だが悪知恵だけは働く。秀頼は、大男で美男子だが頭は悪い。共通点は、互ひに人類と云ふだけだ。
豊臣恩顧の大名が秀頼を大切にしたのは、秀吉の遺言だったからだ。秀吉が亡くなり年月が経ち、秀頼は外観のみならず、話す内容や話し方も、秀吉とは全く異なる。ましたや、豊臣政権を仕切るのは徳川家康だ。
ここで、何も進言が無いと、淀君が半狂乱になり、秀頼を皆の前から隠し、最後は自滅する。しかし三成が、自分の代はりに、と置いて行った石原莞爾が、大坂城守備軍参謀として控へた。石原は、秀吉公の義弟である家康を、次期関白にすることを提案した。
家康は律儀な男である。秀吉との約束を守り、孫の千姫を、秀頼の妻とした。家康の次は、秀頼の子を五大老筆頭として、次期関白にすることを、約束させた。そして、家康の子、千姫の父である秀忠を、その次の五大老筆頭、次々期関白にすることも約した。
関ケ原の戦ひは無かったので、五大老五奉行のうち、三成以外は健在だった。三成は、隠居とは云へ、五大老四奉行と頻繁に書状のやり取りをした。三成と家康は、概して友好的だった。
第三部 豊臣政権黒船以降も続く
豊臣政権は、家康と秀頼の子孫は、直系が途絶えたときに互ひに養子を出し会ふなどして、一つにまとまった。と云ふよりは両方の系統が豊臣姓なので、分類不能な幾つかの分家に分かれた。
鎖国はしなかったので、黒船が現れても、誰も驚かなかった。日本にも黒船があるからだ。
--------------------------------ここから(社会の復活を、その六百十二)----------------------------------
鎖国をしなかったので、日本人の二割ほどは切支丹になったが、それ以上に増えないのは、豊臣政権初期に大坂城守備隊参謀石原の最終文明論と題する文書だった。
東アジア人の美意識に、色が白い、鼻が高い、背が高い、がある。しかしこれは、東アジア人の範疇での美意識であり、欧州人に広げてはいけない。象を見て、色が白く、鼻が長く、背が高いので美人美男子だと思ふやうなものだ。
二番目に、インドを含むアジア文明論から、日本文化の発達を考へないと、欧州かぶれに陥る。これは、社会破壊であり、単純唯物論である。
この二つは、日本人に広まり、大航海時代にも、帝国主義の時代にも、日本は無事だった。
秋津洲国を閉ざして 仏迄閉ざすが故に 黒船が現れし後大きく揺れる
反歌
徳川の終はらせるべき政長く続けて国を滅ぼす
反歌
長門やら薩摩の悪き者たちも仏を壊し国をも壊す
反歌
負け戦後に猿真似世を壊し流れを壊し国をも壊す(終)
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