三千二百四十五(うた)(モリカケ桜フジ河柳ジャニーズ藪黒敗トリー放債カルト裏安)東條英機批判
丙午(西洋地球破壊人歴2026)年
七月二日(木)
オリコンニュースのホームページに
「七人は、ついに神となった」―東條英機らの処刑を見つめた重光葵の慟哭。『続 巣鴨日記』、前作に続き、読みやすい新版で刊行。
が載った。ハート出版の書籍である。表紙には
戦後なお、なぜ人を殺さねばならぬのか
の副題が載る。これは悪質な偽善だ。例へば、世間を戦慄させた殺人事件が起きて、半年後に犯人が逮捕され、地裁高裁最高裁の判決を経て、事件から十五年後に犯人が処刑されたとする。このとき世間は「事件後なお、なぜ人を殺さねばならぬのか」と云ふだらうか。そんなことは、誰も云はない。ところが朝日新聞は昔、死刑執行に署名した法相を「死神」と報道したことがあった。
書籍の副題は、それと同じくらいに悪質だ。と同時にオリコンニュースの「神となった」も悪質だ。処刑された七人は、米側から見れば戦犯だ。日本側から見れば七人のうち数人が、敗戦責任だ。それを「神になった」とは、恐れ入谷の鬼子である。母神は、東條らとは無関係なので省いた。(恐れ入谷の鬼子母神、をもじった)
因みに敗戦責任の数人とは、東條英機(元首相陸相参謀総長など)、松井石根(元上海派遣軍司令官)、武藤章(元参謀本部作戦部作戦課長)、広田弘毅(元首相外相)。このうち松井は軍事裁判で、A級戦犯としては無罪、B級戦犯として監督責任を問ふた。これ以外に、裁判には掛けられなかったもののA級戦犯として、東條らの処刑迄収監された男に岸信介がゐる。敗戦責任としては、岸が一位だ。
安倍昭惠が、東條子孫の茶番に出席と云ひ、昨年八月の東條と武藤章を美化するドラマと云ひ、敗戦責任をごまかす企みに反対しよう。
七月四日(土)
七月になり、日刊ゲンダイの会員限定記事を三つ迄、読める。今回は
保阪正康 日本史縦横無尽
シリーズ「占領下の日本社会」(107)東條英機を筆頭とする軍人グループに命を狙われていた田中隆吉
先月も幾つか紹介した。
旧軍には欠点を自省するタイプ「Aグループ」と、まったく自省しないタイプ「Bグループ」に分けられ、そこには大きな差があった。(中略)私たちは、そのことを戦後社会で十分に検証してこなかった。そのツケはいつか歴史的に明確になってくると思われるのに、「軍事は全て戦争に直結する」という短絡的な思考の枠組みを決めていた。
まづは、統制派と皇道派の分け方。皇道派は二二六事件で消滅したのに、その後もこの分け方しか存在しなかった。二番目は、日華事変のときの拡大派と解決派。拡大派が勝ち、日本は敗戦へと続く。
なるほど解決派が破れたあと、旧解決派は、他の良識派とともに、Aグループだった。
東京裁判で検事団の証人になった田中隆吉は、検事団の尋問に対し東條英機との対決がどのようなものだったのか証言している。戦時下において、Aグループの側に身を寄せていた者は、Bグループによって暗殺の対象になっていたというのだ。以下は、20回目の尋問である。
「(あなたが)1942年9月、東條と口論した原因は何だったのですか」
「私が、この戦争は日本の負けになる、と主張したものですから、東條はそんなことはないと言い張ったのであります。(中略)1942年12月25日以降、生命が危険にさらされました。私は、脅迫されたので、人目を避けるために宇垣大将の私宅に身を寄せ、そこに隠れていました」
(中略)「東條は私に、戦争に勝つまでは国際法上の外交といったようなものは存在しないのだ、と言いました」
(中略)実は、こうした東條の言動について、私も東條の秘書官などから詳しく聞いていた。(中略)そして、この種の考えが、まさに「亡国への道」へとつながっているとは軍人らは知らないでいたのである。
こんな男を美化するとは、とんでもない。こんな男の下で、商工相や、国務大臣兼軍需次官を務めた岸信介も、とんでもない人間だった。満洲で東條の代官的存在だった甘粕正彦について、生きては日本に帰れない、と云はれ、そのとほりになった。甘粕もとんでもない人間だった。
安倍川の岸に寄せ来るどす黒き水は底からぼこぼこと悪き臭ひをまき散らす 手越河原の戦ひかたまに亡き骸また流れ着く
反歌
安部岸の黒きに魚の棲みかねてもとの清きの石破恋しき
石破恋しき、と云っても高市さんが悪い訳ではない。黒い人が党の要職にゐることが悪い。(終)
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