三千二百三十(うた)いろは亭、路面電車の日
丙午(西洋地球破壊人歴2026)年
六月十三日(土)
梶原いろは亭では、毎週土曜午後は原則、週末寄席が開かれる。終末寄席ではない。本日は「路面電車の日」特集だった。二年前にもいろは亭へ見に行った。
近年は路面電車が見直され 富山広島宇都宮 成功例は出たものの欧米よりは極めて遅し
反歌
東京は今や下町山の手に二つの線を一都一民
出演の五組六人は、全員が色物(落語寄席だったら落語以外、浪曲寄席だったら浪曲以外。赤色で書くので、色物と呼ばれる)だった。
まづは、アコーディオンのKEIKO。曲の合間にSLの走行音をアコーディオンで演じた。曲やおしゃべりも面白い。もっと売れてよい芸能人である。SLについて、走行音はよいが、汽笛ではなく警笛だった。本物を聴く機会が無かった為だ。
二番手は、できたくん。発泡スチロールを高温のこぎりで切って、作品を作る。この分野では、日本一である。尤も、一人しかゐないが。声が高いのが、気になった。先週、わっは上方に行ったとき、建物前の広場に高校生(中学生ではないと思ふ)が数十人座って待機してゐた。切符を持つので、吉本側ではなく、こちら側の吉本関係に入場するのだらう。ところが、わっは上方を観てゐたら、生徒が十名くらい旅行会社か先生といっしょに集団で来て、展示館の女性職員から説明を聴いた。問題点が二つあり、時間配分が悪いのと、声が高い。これは小生も経験があり、特別支援学校で見学者があると、つひ声が高くなる。
次はカンカラ三線岡大介。戦後の沖縄で、収容所の人たちが、缶で三線を作った。それに倣ったもので、これは立派だ。かつて新宿の学生運動などで、ギターでアメリカの歌を歌ったが、日本の歌にすべきだと疑問を持ち、芸能活動に活かした。これは十割同感で、立派だ。活躍してほしい芸能人だが、おしゃべりのときに、手の動きがよくない。これは、少しの工夫で治る。
(6.14追記 『岡私的都電荒川線唱歌』を、一人一枚づつ頂いた。優れた表現を挙げると、歌詞一番は「昼から呑める商店街赤い灯青い灯酔の街」、二番は「3分歩けばいろは亭」、四番は「寄席のお囃子きこえるか サンシャインのテッペンに」、五番は「岡のカンカラ人生よ」、六番は「ああ青春よいつまでも」)
次は、ハマカーン神田。秋葉原の次に住んでゐる、は冗談である。本業は漫才。前に見たときは、有名人の名前を羅列するので嫌味に感じたが、今回は神田うのと美川憲一だけなので、合格。適度がよい。
主任(二文字で、トリ)は、バラクーダである。この二人は、話も歌も上手い。日本人は、かう云ふ発声がよい。検索すると、1986年に解散。1995年に及川兄弟と中小企業楽団バラクーダ結成、とある。今回は二人だし、会話の内容から、昔の二人だ。
バラクーダ終了後は引き続き、楽屋から出演者全員を呼んで、芸能界へ入ったきっかけを訊いた。できたくんには、普段も声が高いのか訊いた。小生と同じことを、バラクーダのベートーベン鈴木ではないほう(検索して岡本圭司だと分かった)も感じたやうだ。終了後に、観客席にも一言づつ話させた。小生は、落語から浪曲へ緩やかに移動したことを話さうかと思ったが、前の人との兼ね合ひから、仕事が終はり午後から来たことを話し、ふらっと寄られたのですか、のつっこみに、前は友の会会員だったことを話した。
小生以外は全員が、それぞれお目当ての芸人がゐて、本日いろは亭でも在ることを聞き、来たとのことだった。路面電車愛好者がゐないのは意外だった。尤も帰宅後に、お目当ての芸人と路面電車愛好の二つを兼ねるのかな、と思ひ直した。それなので、わざわざいろは亭迄来てくれた。
三日前路面電車の日に寄せて お目当てとする芸人を聴きにはるばる上中里へ
反歌
三日前六月十日六がろに十のでんとは田の中側か
反歌
我が目当て路面電車の日と併せいろは亭へと足をたまには
バラクーダを除く全員が、路面電車に関係する話を入れた。とは云へ、主任を務めたバラクーダが、最もよかった。
定席は路面電車の日と名付け 芸能人はそれぞれの立場に合った関連を持つ
反歌
バラクーダ電車の話は無きものの歳と経験話術が光る(終)
「いろは亭、浪曲と古典芸能五十二」
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