三千二百十四(うた)牧口さんの価値論を修正
丙午(西洋地球破壊人歴2026)年
五月二十日(水)
前回牧口さんの価値論「美利善」を、小生は「美生善」とし、その意義は同じだとして、牧口さんを称賛した。しかし最近になって、仏法の三学、つまり三毒を超えることを入れたほうがいいことに気付いた。
そこで美生三を考へた。美生学だと、学が一般に学ぶことだと思はれてしまふ。三毒を超越する意味で、美生超または美生越でもよい。しかし毒は三つあることを強調し、美生三がよいだらう。
次に、順序を考慮すると、生きることは最優先だ。生きる事には、仕事をする事も含まれる。生まれて幼児から小児になり、意識が芽生えたあと、三毒を超えることは二番目の優先だ。そして美がある。だから、生三美がよい。
動物と共通項は生きるため 三毒越えて人として合格の後美しさあり
反歌
三毒を一部越えにて人ののち比丘へ進むか美を楽しむか
牧口さんが美を先頭に持ってきたのは、江戸時代までの武士道がまだ残ってゐたのと、戦争が絶えない時代だったためだらう。美と云へば、宗派と最大の信徒団体が分裂する以前は、美が完全に欠乏してゐた。
本山の本堂はまだ許容範囲だが、総坊と称する五つの巨大な宿坊は、外側がコンクリート打ちっぱなしの醜い建物だった。管長が急死し、次の管長が建て替へたほどだった。かうなった原因は、前管長の娘婿が建築士で、この人が本堂も総坊も設計した。
板曼荼羅が明るすぎる問題もあった。お寺は、或る程度暗いほうがよい。それなのに眩しいくらいに照明を当てる。それどころか、この管長が、或る塔頭へ行ったら仏前が薄暗く私のお寺なのにあのやうな塔頭もあるのかと驚いたあのやうなところにゐると考へも変になってしまふ、と説法したことがあった。塔頭の住職に直接云ふのならよいが、皆の前でそんな説法をしては駄目だ。もう一つ、塔頭は別の宗教法人だ。本山管長のものではない。
これらは、管長の眼が悪いためださうだ。明るさは、管長ではなく一般の人を基準にしなくてはいけないし、明治維新前からの流れも尊重しなくてはいけない。
信徒団体が悪いこともある。昔からのお寺は、御影像を板曼荼羅の前に置く。ところが信徒団体の圧力で、御影像を撤去する寺が多くなった。曼荼羅が見えにくい、が理由だった。管長がこれに加担した。読経のときは「妙」の字を見る、と説法した。こんな説法をしては駄目だ。それでは、御影像を安置してきた昭和四十年辺りまでのお寺と、お参りした人たちが切り捨てられてしまふ。
これらの原因は、牧口さんの美利善、小生の云ふ生三美のうち、美の欠落であった。牧口さん式だと、先頭が美だ。あの宗派にこれらが続発する理由は、管長に権限を集中し過ぎた。宗会が宗務総監を選出し、権限を分散すれば、問題が起きても、宗務総監が悪かった、宗会の多数派が悪かった、で済ませられる。
一番美しくないのは「時の貫首たりといへども仏法に相違して己義を構へばこれをひいるべからざること」の解釈を、貫首は権限として誰を用ゐてもよいが仏法に相違した人間を用ゐてはならない、としたことだ。これはいつまでも国立戒壇を主張する団体に云った言葉だが、日本最大の信徒団体も不快に思ったことだらう。小生も後に知って、これであの宗派は終はりだ、と思った。
これこそ、美が一番欠落した解釈だった。
管長は象徴故に権力を持たず慈悲にて皆を導く(終)
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