三千百八十六(うた)閲覧注意荒川区内商店街訪問記
丙午(西洋地球破壊人歴2026)年
四月十八日(土)
午後は都電一日乗車券(400円)で、沿線商店街巡りを行った。都電沿線すべての商店街を計画した。三ノ輪橋側から始めて、王子から先(滝野川一丁目、庚申塚から大塚駅方向、東池袋四丁目から新大塚方向鬼子母神から弦巻通りと鬼子母神表参道)は、次回回しになった。
午後からは都電沿線繁華街すべて廻れず次回に残す
結果的に、荒川区内だけに留まった。まづは小台で降りて、旧小台通り。道幅が狭く、歩くに佳い感じだ。商店は、そこそこある。酒屋はあるが、閉店中で自販機は度数の低いものばかりだった。帰りは、並行する小台通りを歩いた。賑はひがこちらに取られたか、と思ったがこちらも店は少ない。大通りだから目立たないだけだ。帰宅後にインターネットで調べると、昭和ゴムの大きな工場があって栄えたが、昭和五十七年頃に無くなりマンションになった。新住民は、商店街を利用しないらしい。
三ノ輪橋ではなく、小台から始めたのは、車内が混んでゐた。帰りにミニストップで大吟醸180ml紙パックを買った。税抜き178円は安い。確かに大吟醸の味がする。しかし、値段相応かな、が感想だった。それより問題なのは、店員二人が雑談をしてゐた。客の前で、店員は芸能人と同じだ。雑談禁物である。

小台通りの神社
次に乗った電車は空いてゐたので、三ノ輪橋まで乗った。まづ、おもいで館に寄ったが、ここは店員がよくない。大声で雑談を続ける。詳細に観るので、関係者ではないかと思ったのか、声が小さくなった。この程度なら合格だが、今までうるさ過ぎた。
荒川一中前まで都電の北側を走る商店街は、賑やかだ。とは云へ、空き家だらけの商店街を見過ぎた為で、よく見ると閉まった店が多い。アーケードがあり、外国人観光客もゐて、まあ成功してゐる商店街だ。

商店街終端から少し入った位置の弁才天 踏切を渡ってすぐ
次は熊野前で降りた。熊野公園の公衆お手洗ひへ行くのが、目的だ。五十八歳前後から、お手洗ひが近くなった。それからは、それほど悪化せず今に至る。途中の荒川自然公園に寄ると、下車停留所が一つ増えてしまふ。それより、次の商店街を見れる停留所にした。尾久橋通りの一本西側の商店街は、尾久小学校を過ぎたところから、急に賑やかになる。これは帰宅後にストリートビューを見た結果だが。歩いた時は、更にその先の尾久銀座に入った辺りから、賑はひを感じた。尾久銀座入口を交差する、尾久本町通りも賑はふ。両通りの共通点は、小学校だ。小学校は、賑はひの原点ではある。もう一つ、ここも道幅が狭い。旧小台通りは寂れたが、両側を同時に見れることが肝要だ。更にもう一つ、駐車場の無いスーパーは、商店街の集客に貴重だ。
繁華街商店街が中心も 今は商店衰へて 飲食店や公共の施設が僅か点在が普通になるも 尾久銀座栄える訳はスーパーが集客力を果たすの故に
反歌
駐車場持つスーパーは商店街寂れる故に諸刃の剣
終端で引き返し、尾久本町通りを東へ向かった。尾久橋通りは日暮里舎人ライナーが頭上を走るが、ここの交差点を過ぎると、だんだん寂れる。更にずっと進むと、町屋二丁目の交差点手前に三叉路があり、右折の道は地図上で商店街が続くはずだ。確かに、ところどころ商店がある。そして京成の高架と小竹橋通りに出た。
今回の商店街巡りには、町屋駅南側があった。実際は、赤札堂に寄っただけだった。この次の滝野川一丁目は、商店街が1500メートル続く。残り四十五分では、無理だ。荒川車庫前で、都電思ひ出広場が開園中なので、ここへ寄った。
PCC車の運転台の説明がパネル板に書かれ、一部消えて見えない部分があった。ペダルがあるが、加速の制御器とブレーキ弁もあると思ふ。と云ふのは穴しか残らなかった。
反対側の運転台は昭和40年代の、7500型の運転台に改造され、前面景色が画面に出る。制御器を回すと加速を始めたが、遅い。ブレーキが弱く掛かるのではと、ブレーキ弁を左に回したが、反応しない。次の停留所が近付くいたので、電気ブレーキで停車させた。ブレーキ弁が反応しないためだ。交通局か外郭団体の方に、どうも電気ブレーキが効いてないやうだったと尋ねると、勝手に停車画面になるさうだ。やうは、発車から停車まで、いつも同じ画面だ。
次に7500型に乗ると、12番、13番の路線図が運転台の後に表示してゐる。これは昭和42年頃に始まった。

運転台後ろの路線図(12系統の新宿操車所に注目) 都電路線図(代替バス付き)
都市内に路面電車の在る街は道路が人の為に在り 路面電車を廃止後は無味乾燥の車道が残る
反歌
宇都宮広島富山全国に広がる電車人にとも道(終)
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