三千百八十(うた)江戸川区郷土資料室旅行記(東京球場跡、八幡京成百貨店跡、薬研堀、お台場)
丙午(西洋地球破壊人歴2026)年
四月十三日(月)
都営交通一日乗車券(七百円。都電都営地下鉄舎人ライナー都バスに乗れる)を購入し、篠崎駅横の江戸川区郷土資料室へ行った、昭和四十年代の都電愛好仲間から、トロリーバスの資料が三点展示されてゐると聞いたからだった。
帰りに本八幡へ行き京成百貨店跡も調べよう、お台場へも寄り小香港がどう変はったか見よう。さう皮算用を立てた。
都電の三ノ輪橋で降りたあと、東京球場の跡地を見たくなった。かつては地下鉄の三輪駅を降りて、都電終点を左に見ながら更に進むと、前方に在った。予め調べた訳ではないので、ゴミ出し中の老人に訊いたところ、前面一帯がさうだと説明してくれた。製絨所跡と説明のある赤レンガ塀のみが残り、東京球場跡を示すものは何も無かった。

 
製絨所跡の赤レンガ塀


大映の子会社球団プロ野球 南千住の球場は冬はスケート父の思ひ出

反歌  小学生父に連れられスケートへ一つ思ひ出東京球場
大関横丁の交差点で、バス乗り場に迷った。探す間に目黄不動を見つけた。これは大発見と喜んだが、帰宅後に調べると、江戸川区と台東区と二ヶ寺あり、そもそも五色不動の名称は明治末か大正初めに出来たとの説がある。
目黄不動見つけ最初は喜ぶも 開門前で道路から 帰宅後二ヶ寺心は黄色

反歌  江戸府内三大不動は白と黒薬研堀にて黄赤含まず
浅草までバスで出て、都営地下鉄の浅草線から新宿線に乗り換へるとき、薬研堀への案内が地下通路に在った。寄ってみたら、境内は狭いながらも立派だ。一階がホール、二階が本堂、左に石碑、裏に信徒会館と稲荷。神仏感が満ちる。
薬研堀三大不動の一つにはたまたま気付く不動の地位を

  
薬研堀の本堂(中央)と受付所(左)            受付所の更に左(1)                 (2)

  
(3)                         薬研堀の裏側                    その右端

新宿線に乗り換へて篠崎まで行った。江戸川区郷土資料室は小規模なので、入場無料。トロリーバスの資料三点と、別の展示にトロリーバスと都電が廃止された説明があった。
トロリーバス 今井と戸山に営業所昭和町には派出所が 昭和思ひ出今へと戻る

反歌  江戸川区今井の辺り懐かしき地元の思ひ今へと続く
文京区に住んてゐた人が、江戸川区まで地元とは、欲張り過ぎではないか、と誰もが思ふことでせう。説明をすると、文京区の東端なので、文京区の弥生と千駄木、台東区の谷中と池之端と上野公園は、隣町だった。都電20番沿線(須田町~江戸川橋)と、トロリーバス101番沿線(上野公園~今井)も、懐かしい地域だ。
二十番江戸川橋へ百一番江戸川区へと似た江戸川へ

郷土資料室を出た後は、本八幡まで乗った。京成百貨店がどうなったかを調べる為だ。広場で、持って行った酒を飲み弁当を食べた。そのあと、目の前のスーパーでアイスクリームを計三つ食べた。値段は一個100円前後だが、広場を使はせて貰ったから、きちんと儲けさせる。気配りが必要だ。今は京成本社ビルになった。一階は賃貸店舗が並ぶ。
本八幡から再び乗り、門前仲町で降りた。バスで、お台場海浜公園駅まで行った。ここのマルエツは前にも利用したことがあり、アイスクリームを食べた。本日はアイスクリームの日になった。
Decksのビルへ入ったが、どう云ふ集客戦略なのか、まったく分からなかった。それは以前の、小香港でも同じで、どうも香港の感覚がしなかった。二階建て路面電車が無いではないか、は冗談である。それを除いても、分からなかった。
お台場は 小香港が無くなるの後はどう云ふ集客か その後知らずに訪問の後も分からず謎は深まる

反歌  お台場は海浜公園中心もデックスのみで帰路へと急ぐ
反歌  お台場とビッグサイトと青海には次へと残し楽しみ尽きず
反歌  品川と東陽町を結ぶバス荒野を走る昔のお台場
三十三年前に都バスに乗ると、お台場地区は荒野の中を走るのみで、乗降客はゐなかった。青島さんが都知事に当選し、世界年博覧会を中止したのは、其の後だった。
妻には、帰宅時刻を夕方五時と伝へてある。今から帰路に就かないと、遅くなる。バス、都営地下鉄、バス、JR定期券区間と乗り継いで、五時半に帰宅出来た。(終)

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