三千百七十九(うた)閲覧注意地元の話題(浦和への徒歩路、青年の家跡、日光浴)
丙午(西洋地球破壊人歴2026)年
(4.16追記 旅行記は正確と詳細を心掛けるが、今回は酷過ぎる。完全に閲覧注意だった)
四月十一日(土)
先週に続き本日も、徒歩で浦和まで往復した。前回の往路は、旧中山道だった。旧中山道は、六辻で国道十七号と交差のあと、少し左折分岐して浦和宿へと向かふ。今回は、左折分岐せず、そのまま直進した。すると公民館の角へ至る。そこを左折するが、実際は少し手前で短絡させる道に入り、その道へ合流する。この少し先に、かつては床屋があった。三十歳前後のころによくここを利用した。店主が別の客に、我々相場師は云々、と話した。店主は理容師だと思ふが、相場師なのかなあ、とそのとき思った。その後は、それが理由ではなく、単に気分転換で別の店を利用するやうになった。バブルが弾けたあと、店の前を自転車で走っても、もはや店の位置は分からなかった。
好景気弾け不景気その次に失はれたの三十五年
さうであった。この道は、かつては自転車で気に入りの幹線道だった。床屋を過ぎて、丁字路を右折すると、かつては県立浦和青年の家があった。今調べると埼玉県教育委員会のホームページに
げんきプラザとは
平成15年4月1日に、加須・長瀞・神川の青年の家3所、小川・名栗の少年自然の家2所、大滝グリーンスクールを廃止し、「集団宿泊活動、自然体験活動等を通じて、青少年の健全育成を図り、県民の生涯学習活動の振興に資する」ための埼玉県の社会教育施設として誕生しました。
現在、県内に4所あり、子どもから大人まですべての人が利用できます。
とある。更に
令和8年3月31日 埼玉県立加須げんきプラザ及び埼玉県立神川げんきプラザ廃止
今は、日赤の建物がある。インターネットで調べると
2011年(平成23年) - さいたま市岸町に支部社屋を移転。かつては浦和市役所岸町庁舎、浦和青年の家(物産陳列館跡に昭和43年6月開設。物産陳列館は大正3年に埼玉県により設置され、各地の織物、川口の鋳物、鴻巣雛、狭山茶が展示されていた)があった。
とある。
県南は郊外住宅始まるも 埼玉県立調(つきのみや)公園及び別所沼 少し離れて秋ヶ瀬と見沼用水野田の鷺山
反歌
県立の青年の家都市化にて一部は消える自然と共に
次の角を左折し、調(つきのみや)公園の横から右折すると、かつては浦和駅前通りに出た。今は、高層マンション一階の自由通路を抜け、浦和駅東口駅前通りと国道17号を結ぶバイパスを横断するやうになった。
今回の終点はイトーヨーカドーに設定した。前回は開店前だった。帰路は、周辺の飲食店商店街を抜けて旧中山道を南下、田島通りのスーパーへ、と思ったらドラッグストアだった。そのまま南下し、阿弥陀堂の角を南下し、武蔵野線を潜った。帰宅した。この道が旧中山道に至ることは、初めて知った。
五十年ほど前、A病院に数回通院したことがあった。そのときこの道は歩いた。今年の一月四日にも歩いた。それでも、気付かなかったか、或いは歩けば景色で道は分かるので、注意しなかったか。
四月十二日(日)
昼食後に、公民館の角を曲がらず直進した。下り坂が、自転車で直進しない理由だと発見した。目前に東北線の陸橋が見えるので左折すると、浦和一女高校の前で、次の交差点向かひが日赤だ。昨日と同じく高層マンションの一階を観たあと、旧中山道で帰宅した。途中の火の見やぐらを、昨日に続き貴重な歴史遺産だ、と眺めた。

高層マンション通路 火の見やぐら
二日続けて散歩の理由は、半ズボンで日光浴をした。昨日が三時間、本日は一時間。二日続けて午後二時前後の気温は24度。昨年秋以来、足にも日光を当てた。ここ二年ほど足の衰へが目立つので、足にビタミンDとメラニン色素を補充した。
一年の九ヶ月ほど太陽の光当たらぬ皮膚思ひやり(終)
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