三千百四十四(うた)日経新聞が異変した
丙午(西洋地球破壊人歴2026)年
三月十一日(水)
十年程前までは、産経と読売が拝米なのに対し、日経新聞は経済重視のハト派だった。ところが最近、拝米になった。同新聞のホームページに
「中国の脅威」は日本を強くするか 共振する明治と令和

が載った。
明治中期の日本にとって、国の存亡にかかわる脅威の一つは清朝中国だった。

冒頭から変だ。明治期の日本にとり、脅威は西洋列強であり、明治中期は特にロシアだった。だから朝鮮半島を日本の生命線と考へた。
ところが朝鮮国(李氏朝鮮)は、日本の云ふ事を聞かない。朝鮮は、日本の属国ではないから当然だが。そして、そればかりか清国を頼った。そして日清戦争が起きた。清国が、日本を侵略しよう、と考へた訳ではない。ロシアが考へた。否、そればかりではない。欧米列強全体が考へた。地理的に、ロシアが近かっただけだ。
神奈川県横須賀市の千代ケ崎砲台跡は、そんな時代の危機意識をいまに伝える史跡である。
1853年にペリーが来航した浦賀の海岸から、そう遠くない小高い丘に3つの砲座が残る。2月末のよく晴れた日に訪ねると、海を挟んだ向こうの房総半島が、驚くほど近くに見えた。
明治政府はここが、首都東京を守る最後の防衛ラインになると考えたのだろう。陸軍が千代ケ崎砲台の建設を始めたのは、日清戦争が始まる2年ほど前だった。
完成は95年。すでに日本は清に対して勝利をほぼ確実にしていた。「結局、この砲台は一度も実戦で使われませんでした」。案内してくれた横須賀市教育委員会の(氏名略)さんが教えてくれた。

日清が戦争になりさうなときに、砲台を作り始めた。清国が日本を占領しようとした訳ではない。
「清の軍事的優位を前に日本は大陸に進出できず、おかげで国力の向上につながる西洋型の政治体制づくりに専念できた」。こう指摘するのは日本政治外交史が専門の五百旗頭薫・東大教授だ。

五百旗頭の頭には、とんでもない駄論が詰まってゐる。日本は、西洋列強の植民地化を防ぐことで精一杯だった。その次に起こる日露戦争も、ロシアが満州に進出したため、日本を護る為の朝鮮半島が危うくなった、と始めた戦争だった。
そもそも「国力の向上につながる西洋型の政治体制づくりに専念できた」と云ふが、その行き着く先が、先の敗戦である。
また、当時の西洋型の政治体制の結果、中国、日本、タイを除く世界のすべてを植民地した。そして第一次世界大戦の結果、敗戦側に支払ひ不可能な賠償金を課した為と、植民地を持つ側が身勝手な経済保護主義を始めたため、第二次世界大戦が起きた。
韓国を併合せずと考へた伊藤博文亡くなりて 日本このとき針路違へる

反歌  日本には支那通と呼ぶ多数人日清日露経て少数派
反歌  長岡の山本五十六記念館漢詩寂しく来場者待つ
反歌  盧溝橋多田と石原拡大に反対するも波に飲まれる
反歌  防衛がいつの間にかの侵略に今また起きる西洋型へ
工作目標が、産経読売から、日経新聞に移ったのか。(終)

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