三千百三十一(朗詠のうた)閲覧注意上野界隈と、下町の博物館
丙午(西洋地球破壊人歴2026)年
二月二十八日(土)
昭和四十年代の都電愛好仲間から、下町の博物館で都電特集があると聞き、前回の白根記念渋谷郷土博物館文学館に続いて訪問した。
学芸員の説明が午後二時からあるので、予定は国立博物館を訪れ二時前に入館だった。せっかくの土曜なので、説明が二時半まで、それから館内を廻り四時に帰宅の途につく。
その後予定を変更し、御徒町駅で降りた後、吉池地下二階の酒売り場で180ml21度の缶酒、越後新発田にある菊水酒造「にごり酒 五郎八」290円(抜き)を買った。晩酌は止めたし、昼に酒を飲む事は旅行の時以外はしない。今回は、小旅行だった。
かつて上野駅の向かひ側に輸入酒店があり、そこで海外ビールを買ひ、上野公園内で飲むむことが五回ほどあった。結婚前の話である。しかし高尿酸血症になりビールを飲まなくなり、横浜へ引っ越したため、その店に行かなくなり、店はその後、閉店した。
新たに吉池が、なじみの店になった。かつて小学生低学年のころ、母に連れられて外出のときは、帰りに松坂屋の地下か、吉池で、夕食のおかずを買った。そのとき以来の馴染みの店になった。と云っても、購入したのはこれで三回目だが。
幼きの時に連れられ吉池と松坂屋には馴染みあり むそ年経ちて復た蘇る

反歌  幼きの時は音立ていなづまの車走るも消ゑていそ年
今回の目的の一つに、狸小路を歩かう、がある。池袋サンシャインの地下にもかつてあった。ごく狭く短い路地で、両側は飲食店が並ぶ。観光客で賑はった。隣の飴屋横丁、上野中通り、それと交差する道路、上野センターを歩いた。
今までアメ横センターだと思ってきた屋内商店街は、上野センターと云ふ別のビルだと初めて知った。アメ横センターは、飴屋横丁と上野中通りが分岐する角の大きな電光画面があるビルだった。しかも地元ではセンタービルと呼ばれる。アメ横センターは、昭和50年頃にアメ横の新たなビルとして一般紙に載った記事を読んで、名前だけは知ってゐた。
地元だとか言ひながら、そんなことも知らなかったのかと云はれさうだ。都電時代は広小路で降りて御徒町から国電に乗るか、上野公園で降りて、上野駅から乗った。上野と御徒町の間は、空白地帯だった。
アメ横センターの地下で、白酒の小瓶400円(込)を買った。中央通りに出ると、ABABが閉店した。耐震工事が必要な為だ。かつての京成デパートの跡に入った丸井がヨドバシカメラになってゐた(3.01追記 京成デパートは線路の東側だった。西側は京成本社ビルで、食堂デパート京成聚楽が2005年まで営業し、老朽化でビルは解体された)。
帰宅後に調べると、ABABが閉店したのは2024年。元は、赤札堂と云ふ安売り店だった。後にファッション店に業種転換しABABになった。そして赤札堂が経営するスーパーマーケットのAマートが、赤札堂と名乗るやうになった。今回分かったことは、赤札堂は七店しかない。堀切店を知ってゐたので、京成の沿線を中心に幅広く数十店を展開するのかと六十年間思ってきた。(3.01追記 更に調べると、1990年には40店で、記憶は間違ひではなかった。)
赤札堂のスタンプは、かつては集めると有利だったが、昭和43年に赤札堂55%、ブルーチップが45%出資し、レッドチップになってからお得感が下がった。
さうこうしたあと、下町の博物館へ入館した。一通り見終はり、学芸員の解説を聴き、再び館内を見終へて帰宅した。充実した下町巡りだった。
草枕小さき旅も 行く前と帰るの後に調べれば 三たび等しくともし火照らす

反歌  新しく知ること多しふるさとも海しるべには元暗しかな(終)
(3.04追記)母に、上野の赤札堂が無くなった、と話したところ覚へてゐた。赤札堂、松坂屋、吉池の三店は、我が家にとり馴染三店舗だったがその後、ABABが脱落した。

メニューへ戻る うた(一千七百七十)へ うた(一千七百七十二)へ