三千九十九(うた)渋谷菊名鶴見訪問記
丙午(西洋地球破壊人歴2026)年
一月二十九日(木)
昨日はまづ、白根記念渋谷郷土博物館文学館で写真展「青山通りを走った都電」を見た。6系統の方向幕に「xxx渋谷駅前」と書いてある。xxxが分からず、学芸員が来てくださったが、やはり分からなかった。
本日になり、インターネットで検索した写真を拡大すると「西麻布渋谷駅前」ではないかと思ふ。
それほど広くない部屋の、三方の壁に写真が展示されてゐる。部屋中央のガラスケースに、住宅地図の当該頁が開かれて天使してある。車庫内の配線まで載り、車庫は渋谷側と青山六丁目側から複線の入出庫線が中で合流し、そのあと複線でループ。南千住の単線を二重にした感じだ。
教習所は、車庫からずっと青山六丁目側で本線から複線で分離し、車庫の裏と横を通って交通局病院を一周。
廃止後に 青山車庫の入出庫かなり離れてもう一組間にアパートある為に 理由分からず五十年今に至りて謎解き終はる

反歌  青山は交通局の病院と教習線がある為に三田と並びて重要な車庫
常設展は、二階が渋谷の歴史、地下二階が文学館。渋谷の歴史は、ほとんど楽しく拝見したが、恋文横丁を、米兵へのラブレターは国恥ものだ。恋文横丁で英文を書いてもらひ送るか渡すかしても、その後の英語をどうするのか。売春婦と変はらない。或いはアメリカかぶれだ。
広報誌に斎藤茂吉の名が載るので、なるほど青山病院かと思った。しかし地下二階の展示に名がない。青山は港区だと気付いた。代はりに島木赤彦が展示されてゐる。渋谷区北部に住んだことがある。アララギ編集部もここにあった。
青山の脳病院は港区に 赤彦自宅アララギの編集部兼ね渋谷区にあり

反歌  諏訪を出て小石川区と麹町区それと比べて渋谷区無名
郷土博物館文学館は、二月末で長期休館に入る。大規模修繕のためだ。外観は変はらないが、内部は大きく変はるさうだ。

駅へ戻る途中、國學院大學博物館があるので寄った。企画展「性別越境の歴史学-男/女でもあり、女/男でもなく-」は、疑問だ。
まづ、昔は、衣料が貴重だった。だから家では、男が女の衣装を着たり、女が男の衣装を着ることもある。その感覚が、祭りや芝居にも出る。
次に、神仏習合で、教義と戒律と日頃の礼拝は、仏法が担った。その仏法部分を取ると、戦争も、侵略も、人権無視も、放置するものが残ってしまふ。
戦争に国を滅ぼす神道が繰り返すのか習合がよし


(ここから閲覧注意)
渋谷から菊名へ、急行が来たので乗った。相鉄線乗り入れなので、日吉で降りたら、次が特急で日吉は止まらなかった。以前は、特急と急行が交互で、その間に普通が入る。今は、日吉から菊名方面が減った。尤も本日になって時刻表を調べると、菊名から上りは、特急、急行、普通の組み合わせが同じだ。相鉄線乗り入れが入るので、渋谷と日吉の間が不便になった。
菊名で降りて、大口への入口である内路へ行く筈だが、上り坂を避けたところ、菊名池へ出た。
菊名池 夏はプールの溢れ水塩素を水路で抜いたあと 池に流すは自然に配慮

反長歌  夏以外井戸の水にて池満たす 水生生物守るため地球環境僅かに消費
このあと、ヨークマート妙蓮寺店で1合日本酒紙パックを買った。建功寺に寄ったあと、歩いて花木園へ行った。
花木園開園のとき 藤本家菖蒲園内本年は公開せずの表示在り 二十八年経た後に来れば広がる旧藤本家

反歌  花木園藤本宅を合併し古き農家に価値は三倍
反歌  花木園説明書きに建功寺信州諏訪の支族が創建
反歌  渋谷区の博物館と鶴見区の園が繋がる諏訪を介して
開園のときは、池に水鳥がゐた。足を漕ぎながら底の泥に首を突っ込むことを繰り返すため、下の子が「やめなさい」と叫んだことが懐かしい。
バス通りを鶴見駅へ歩くと、相鉄ローゼンがスギ薬局に替はった。相鉄ローゼン株式会社のホームページに、次のちらしがあった。
2024 年3月4日
東寺尾店閉店のお知らせ
相鉄ローゼン株式会社
1969 年(昭和44年)の開店以来お客様にご愛顧いただき営業してまいりました「そうてつローゼン東寺尾店」は2024年3月27日(水)をもちまして閉店させて頂くことになりました。
これまで賜りましたご厚情に深く感謝するとともに、営業最終日まで変わらぬご愛顧をいただきま すよう、また近隣店舗「そうてつローゼンオルト新子安店」のご利用を何卒よろしくお願いいたします。

バス停の名称は、相鉄ローゼンのままだった。めがね橋を渡り、ずっと進むと駅手前にかつて、諸嶽と電光縦看板の業者があったが、無くなった。横の小さな階段から総持寺の墓地へ入り、大祖堂に参拝、三松閣に寄った。新鶴見橋北側の線路を超える鉄橋から見える緑の大屋根は、三松閣ではなく、大祖堂だと分かった。
三松閣前に新設された三師銅像を見てゐると、雲水たちの声が聞こえる。托鉢に出掛けるところだ。かつて旧東海道で出会ったことがある。二列で進むので少し離れて続くと、本山前の踏切跡を超えた。踏切が無いのにどうやって、と不審に思ひ急ぐと、歩道橋を渡った。昔は自転車で踏切を超えたので、歩道橋を忘れてしまった。20分待たされる魔の踏切だった。
線路を超え旧東海道を右折し、国道へ出た。そして二手に分かれた。小生は分かれて、旧東海道を駅方向に向かった。駅ビル屋上の日本庭園を見て帰宅した。
鶴見区は建功総持花木園駅前屋上仏の縁
(終)

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